渦巻くもの

「それ相手に、どうすりゃ良い⁉︎ 撃つか⁉︎ 爆破するか⁉︎」

「ちょっと待って、引き離すから! あの渦に近付かなければ、どうにか……!」


 操舵室から飛び出したあたしたちの耳に、ジュニパーの叫ぶ声は聞こえてくる。とはいえ現状パトロールボートの最大加速でも、引き離すどころか引き寄せられてくばかりだ。

 どんより濁った海面に広がる渦潮は、少しずつ確実にこちらへと近付いてくる。


「あれが本体って、海面下したに何かがいるわけじゃないのか⁉︎」

「いるけど、見たものはいないの。ひたすら何でも呑み込む大喰らいだって、聞いたことはあるの」

「喰うって、何を⁉︎」


 とっさに思い付くのは、あたしたちの食料だけど。あんな巨大な怪物が喜ぶ感じはしない。食肉用の動物は撒くほどストックがない。


「あッ、そうだ!」


 あたしは思い付いて、収納したままの死体を海面に放り込む。途中で拾って持て余してた敵兵の死体だ。どうせどこかで処分するはずだったもんだ。喰わなきゃ喰わないで構わん。

 次々に二十ほど投げ入れたところで、船体な引き摺られてた感じが弱まってきた……気がする。


「良いみたい、あいつ喜んでるの! シェーナそのまま、どんどん行くの!」


 収納のなかを探って、ガバッとひと山の死体を放り出す。最低でも四、五十体はあるか。波間に漂った兵士の死体やその残骸は、スルスルと海面を滑って渦の中に吸い込まれて行った。

 その間もジュニパーはパトロールボートを全速力で走らせる。あたしも操舵室に戻ろうとしたところで、ミュニオが後方を見たまま固まっているのに気付く。


「……失敗、したかもしれないの」

「え?」

「あいつ、いまので味をしめた可能性があるの。少し距離を取って、こちらを追ってくるの」

「渦潮の怪物なのに、そんな知能あんの?」

「たぶん本能だけで動いてるの。こうしたら餌が来た、じゃあもう一回っていう……」


 ヤベぇ。便利な給餌器みたいに認識されたか。


「急いで岸に向かえば逃げ切れるかな」

「上陸すれば、追っては来れないの。でも……」


 ミュニオは海岸線方向左舷側を指す。そこにも小さな渦巻きが見えていた。


「うぉい! もう一体⁉︎ まさか群れとかつがいとかいわねえよな⁉︎」

災渦潮流カリュブディスは、生き物というより本能を持った災害なの。雌雄もないし繁殖もしない、意思の疎通もしない……はずなの」

「それが合ってても間違ってても、証明するのがこんな状況ってのは勘弁してくれ……!」


 船の航跡を追ってくる大型の一体と、岸に向かおうとするのを塞ぐ位置にいる小型の一体。

 他にもいるのかもしれんけど、いま視界に入るのは二体だけだ。


「どうする」

「シェーナ、死体は、あとどのくらいあるの?」


 いわれたあたしは、少し意識して収納を探る。正確な数や状態までわかるわけではないけど、なんとなくの量は感じられた。


「……たぶん、いま出したのの三倍くらい」


 どこでどう突っ込んだ死体なのか、どんな奴らなのかも覚えていない。正直、知りたくもない。

 ミュニオは、覚悟を決めた顔でこちらを見る。何か作戦を考えたようだ。

 操舵室のジュニパーに、チビエルフは速度と方向をできるだけそのまま維持するよう頼んだ。


「シェーナ、もう少ししたら、死体を少しずつ後ろの渦に放り込んで欲しいの」

「わかった」


 どういう作戦かは知らん。どのみち、あたしには何も解決策が思い付かない。せいぜいミュニオの策が上手くいくようにサポートするだけだ。


「シェーナ、お願い」


 二、三体ずつポイポイと死体を海に放り込む。パトロールボートの後部はダイバーやゴムボートを降ろしたり引き揚げたりしやすい傾斜になっていて、あまり近付き過ぎると海に転落する。

 そうなったら助かる可能性はほぼゼロだ。


「そのまま、少しずつ流して欲しいの」

「おっけ……それで満足したら離れてくかな」

「百年ほど前に東の大陸で発生した災渦潮流カリュブディスは、ひとつのを呑み込んだって聞いてるの」

「それ、ダメだよね⁉︎ いま手持ちの死体は二百かそこらしかないんだから!」

「大丈夫、きっと上手くいくの」


 ジュニパーは必死にボートを安定させて、両方の海流に呑み込まれないような進路を選んでくれてる。


「ミュニオ! ちっこい方も近付いてきたぞ!」

「見えてるの。シェーナはそのまま……」


 あたしの横で海に落ちないよう支えてくれてたミュニオが、投げ落とそうとした死体に触れる。一瞬だけ緑色の光が瞬いて、それは海の落ちるとすぐに消えた。

 そこから近寄ってくるふたつの渦潮目掛けて、残りの死体を放り込み続ける。その後も二、三回ミュニオは死体に触れて緑色の光を瞬かせた。あたしも落ち着いてきたのか、ようやく彼女の意図が理解できるようになってきた。


「“恵みの通貨”?」

「そうなの。一気に溢れさせたら呑み込む前に森が生まれちゃうけど……少しずつなら、きっと一定量が集まるまで発生が遅れるんじゃないかと思うの」


 どういう原理か知らんから、あたしにはなんともいえん。そういうとミュニオは、こちらをチラッと見て笑った。


「わたしも、詳しくは知らないの」

「え」

「森を生み出すことは禁忌だと聞いていたから、力を押さえ込むことばかり気にして生きてきたの。生き延びるために使う日が来るなんて、思ってもみなかったの」


 笑ってる場合じゃない。なのに、急にたまらなくおかしくなって、あたしたちは大声で笑った。


「……来た」


 災渦潮流カリュブディスがふたつ、重なるように繋がってこちらにグングンと近付いてくる。

 こちらの笑い声に反応したのか、ミュニオの魔力を込めた餌が気に入ったのか。いずれにしろ奴らが求めているのは、さらなる餌だ。あたしはポイポイと死体を海面に放り込み続け、ミュニオも死体に込める緑の光を少しずつ強めてゆく。


「……大丈夫か、いまんとこ変化ないぞ」

「これ以上は、制御できなくなるかもしれないの」

「シェーナ! ミュニオ!」


 ジュニパーの声に船首方向を見ると、海面に突き出した暗礁が行く手を塞いでいた。


「左旋回で避けるよ、つかまって!」

「わかった!」


 あたしは船べりをつかもうとして、収納から取り出していた死体を取り落とす。ミュニオが眩いばかりの光を当てる。ぐにゃりと、死体の背中が歪むのが見えた。

 渦潮が急に広がり、船尾ギリギリまで迫ってくる。


「シェーナ、全部放り出して!」


 収納にあった死体をドバッと放出する。いくらか後部甲板に引っ掛かったけど、船に迫る災渦潮流カリュブディスの波が舐め取るみたいに引き剥がしていった。ミュニオが最後に魔力を込めた死体を、逆巻く渦潮の中心まで蹴り飛ばす。

 直後、ボートは右旋回しながらギリギリで暗礁を躱す。背後で波がぶつかる音がした。

 ミュニオが息を呑む声が耳元で聞こえる。


「……ッ⁉︎」


 ボフンと、背後の海面が盛り上がる。船尾が押されて持ち上げられ、転げかけたあたしたちは重機関銃架にしがみつく。


「「オオオオオオオォッ‼︎」」


 嵐の海鳴りみたいな轟音が響き渡る。振り返ったあたしの目に、おかしな物体が映る。暗礁に覆い被さる、膨れ上がった緑と青紫の塊。腐った魚の死骸のようにも見える青紫の物体は、ふたつ。互いに絡まりながら、もがき苦しんでいる。急速に膨れ上がった緑の木々に腹を突き破られ、体液と肉片を飛び散らせながら弾け飛んだ。


「……ぅへぇ……」


 全速力で進むボートの背後で、ゆっくりと暗礁は遠ざかってゆく。なのに緑は小さくなるどころか、ワシャワシャと枝葉を広げてどんどん大きくなっていた。丸っこく濃い緑の集合体。まるで巨大なカリフラワーだ。

 水平線近くに見えなくなる頃、ようやく成長は止んだ。


「……ジュニパー、もう速度落として大丈夫だ!」


 ずぶ濡れのミュニオが、グッタリとデッキに座り込んだ。体力を使い果たしたのかと思ったら、涙目でこちらを見上げた。


「ぷっ」


 そのまま泣き笑いの顔で吹き出し、あたしも釣られて笑いだす。

 そうだ。恐怖と緊張が解けると、妙な笑いが出る。操舵室からも、ジュニパーの笑う声が聞こえてきた。頭がおかしくなったみたいだと思いつつ、どうしても止められない。


 あたしたちは馬鹿笑いしながら、曇天に広がる夕暮れを眺めていた。

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