(閑話)サイモンの哄笑

「残念だな、これが終章エピローグだ。……わしが聖者を、磔刑台に送る」


 車椅子の老人が勝ち誇ったように言うのを聞いて、俺は平静を装ったまま密かに周囲を窺う。

 部屋の隅に、武装した男性エージェントがふたり。目の前にミズ・ボンド。案山子のような女だが、最低限の戦闘訓練は受けているだろうし武装もしているはずだ。


「サー・サイモン・メドベージェフ」


 自分が値踏みされていることに気付いていないはずはないが、それでも冷静そうに見える顔で彼女は俺に話しかける。


「先日、政府との国とのCOEが締結されました」


 コンヴェンション・オン・エクストラディション。犯罪者引き渡し条約か。公布された記憶はない。わかりやすいな。要はこのために用意されたものなのだろう。

 二国間交渉の場で、この国は驚くほど無能だ。ハッタリを効かせるには場数が足りず、それ以前に軍事力と友好国が致命的に足りない。急速に経済力を伸ばした結果、周辺国との関係を悪化させてしまったのだ。

 少なくとも半分は俺の責任。もう半分も俺が遠因ではある。


「あなたの全資産は凍結されました。あなたの身柄も、ここからは国家安全情報局N S I Aすることになります」


 マクネアの言葉に、俺は笑う。金の卵を産むガチョウは共産圏アカに売られるか。あいつらが最も得意とする技術は洗脳だからな。情報は好きなだけ出せると踏んでるんだろう。あながち間違いではない。

 大笑いする俺に、周囲の冷たい視線が刺さる。


「老害どもの面子を潰し過ぎたか」

「残念ながら、わたしたちが助けられる段階は過ぎてしまいました」

「そんな段階は無かったよ。最初から最後までな」

「……それは、結果論です」

「いや、単なる事実だ。ずっと無知蒙昧な未開国のままでいれば良かったんだろう。周辺の誰にとっても、おそらくこの国の能無しどもにとってもだ」


 少しだけ、マクネアの目が泳ぐ。愚人と狂人の国でひとりだけ啓蒙を受けてしまったとしたら、それはそれで不幸なのかもしれんな。哀れには思うが、俺の知ったことではない。

 腹を据えた俺の顔を見て身構えるが、もう遅過ぎる。


「何をしようというんですか」

「いまさら寝言をほざくな若造。お前らが気にするべきは他人が何をするかじゃねえよ。共産主義者コミュニストに国を売って何を手に入れたか知らんが、鶏小屋に狐を入れたんだ。覚悟は出来てるんだろうな?」

「……政府の決定です。公僕には、それを拒絶することなど」

「ああ、ガッカリだよ。心の底から笑えてくるぜ。ちょっとでもこの国の未来に期待しちまってた自分にな」


 懐に手を入れかけたマクネアの片目に親指を突き入れる。老人だと侮ったか。。悲鳴を上げて仰け反った女の顎を、俺は掌底で容赦無く打ち抜いた。女を殴るのは初めてだ。これが最後であれば良いが。脳を揺らされた案山子は床に倒れ込むと泡を吹いて痙攣する。殺してはいないが、もうどうでも良い。

 後ろではテオが殴打用革筒ブラックジャックを振るのが聞こえた。鈍い殴打音が響くごとに、呻き声と倒れる音が続く。テオの数少ない特技だ。敵を昏倒させることと、その武器をボディチェックから隠すこと。


「アニキ!」


 倒した相手の懐を探って、テオは拳銃をこちらに放ってくる。樹脂製ポリマーフレームの内装撃針ストライカー方式オートマティック。俺にはまるで異星人の光線銃みたいに見える。


「サッサと済ましてくれよ。もう潮時だ」


 潮時も何も、正確には完全に手遅れなんだがな。それはテオも、わかってる。

 俺は車椅子で固まったままの老人に近付く。青褪めた皺くちゃの顔に勝ち誇った表情はない。あるのは絶望と、憎しみと、屈辱と、諦観。どれも老人の顔にはよく似合う。

 きっと、俺にもだ。


「……お前は、もう終わりだ。……破滅は、……時間の、問題でしかない」


 胸ぐらを掴んで無理やりに立たせる。骨と皮ばかりの老人は驚くほどに軽く、死体安置所モルグみたいな臭いがした。


「まだわかんねぇのか、シェビー・ボーイ。俺も、アンタも。とっくに終わってんだよ」


 スイートルームのテラスからは、遥か彼方まで風景画のような景色が広がっていた。かつて夢見たような美しく豊かな国を、実現しようとして道を誤ったのだ。俺も、こいつも。

 テラスのプランターでは、美しい白い花が風に揺れていた。それが“祈りのシェリル”だと気付いて、わずかに胸が騒いだ。

 みんな死んだ。そして、俺もすぐに追いつく。


「老いぼれの死は破滅なんかじゃねえ。ただの必然だ」


 手摺りを超えて放り出された老人は、悲鳴を上げることもなく地上に向かって墜落していった。

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