海風

 殺すのは決めたけど、問題は距離だな。山道を二百キロもランクルで走ってたら二日三日は掛かる。


「ジュニパー、お前の脚で百二十哩ってどのくらい?」

「真っ直ぐ走ったら、日暮れ前には着くかな」


 おうふ。もう昼はとっくに回ってるけど。ざっくり二時間くらいか。さすが俊足の水棲馬ケルピーだけのことはある。


「頼めるか?」

「任せて」


 ふわりと笑って馬形態になったジュニパーを見て、タファは息を呑んで固まる。


「ま!」

「魔物ではあるけどな。こいつは、あたしの大事な仲間だ。わかるな?」


 失礼な口を利くとブッ飛ばすぞという意味を込めて微笑みかけると、小僧は青褪めた顔でブンブンと頷いた。


「ここと同じような関門は、他にもいくつかあんのか?」

「……ある、けど……やまの、なかのは……ちいさい」


 ジュニパーの背中の前側にあたしが乗って、後ろにミュニオ。落ちないよう真ん中にタファを挟む。


「港湾要塞とやらの方角は」

「あっち」


 北東方向を指すと、ジュニパーは頷いてゆっくり走り出す。滑るような動きでスルスルと加速し始めたかと思ったら、あっという間にトップスピードまで到達していた。

 気付けば一瞬で超高速になっているこの感じ、やっぱり新幹線に似てる。背中でタファが震えてるのは感じられたけれども、かまっている余裕はない。あたし自身、絶叫マシーンとかそんなに得意ではないのだ。


「お、おおおぉ……ッ」


 ジュニパーは起伏を飛び越え傾斜を突っ切って、地形など無視する強引なショートカットで山道を疾走する。ときおり魔物らしき気配や叫び声が聞こえたものの、視認するより早くそれは背後に置き去りにされた。


「シェーナ、右奥に関門あるよ」

「無視していい」

「わかった」


 小さな砦状の建造物は見えたが、こちらに気付いた様子はない。体感で三十分ほど走ると、山の上に着いた。つづら折りの下り道が延々と続いて、谷底でまた隣の山をうねうねと登ってゆくのが見える。


「……え、ちょッ」

「だい、じょーぶ!」


「「ひゃぁッ⁉︎」」


 悲鳴を上げたのはあたしとタファだけだった。谷間を目掛けてまっしぐらに飛び出した水棲馬ジュニパーの背で、こちらは血の気が引いて声も出ない。

 風の音が耳元で轟々と鳴るなか、ミュニオの嬉しそうな笑いが聞こえた。


「よっ、と」


 ジュニパーはフワッと音もなく着地すると、また急斜面をぐんぐんと駆け上がってゆく。もう驚く気力もない。怖がる余裕もない。鬣にしがみついて信じてもいない神様に祈りを捧げるだけだ。


「見えた」

「ええぇ……⁉︎」


 二つ先の山を越えて、峠の端でジュニパーは足を止めた。まだ出発して小一時間というところ。海まではたぶん、最低でも五、六十キロはある。

 平地から山に向かって風が吹き上げているようだ。気のせいか、磯の香りを含んでいる気がした。


「ほら、あそこ。海の手前にピコッと飛び出してるのがあるでしょ?」

「……たぶん」


 遥か彼方の地平線近くが青っぽいから、そこは海面なんだろう。わずかに手前側、少しだけ盛り上がった地形のところだけ緑がない。あたしの視力じゃ突起にしか見えんけど、あれが港湾要塞か。

 その場所に向けて平地のなかを真っ直ぐに道が続いているのは見えた。


「ジュニパー、下に降りてから、海まではどのくらい?」

「だいたい、約四十八キロ三十ミレかな。途中で二箇所、関門があるよ」

「ありがとう。それじゃ、山を下り切った辺りまででいい」

「わかったー♪」


「「にゃああああぁ……⁉︎」」


 峠の切り立った断崖絶壁から、まさかの紐なしバンジー。魔物の力かジュニパーの特殊能力か、落下速度はわずかに殺されている感じはするものの、落下は落下だ。途中で減速するような手掛かり足掛かりも遮る物は何ひとつない。ほとんど……いや、完全にスカイダイビングだ。

 悲鳴を上げて自由落下を続けるうち、感覚が麻痺してくる。怖いのか楽しいのか変な笑いが漏れる。


「さーて、そろそろ行こうか……!」

「え」


 ゆっくり近付いてきた垂直に近い傾斜を蹴って、ジュニパーはまた矢のような疾走を始めた。

 今度は高低差こそないが、鬱蒼と茂った森の間を超高速で駆け抜ける。乗ってるあたしたちが枝や蔦に引っ掛からないよう気を遣ってくれてるのは何となく理解できたが、それでも鼻先を木の幹やら生き物やらがブンブンと掠めてゆくたびに身を強張らせてしまう。

 ジュニパーさん、乗客を飽きさせない工夫とか、要らないんですが……ってヤバい、気が遠くなってきた。


「着いたよー」


 生きた心地もしない一時間ほどのケルピー乗馬ライドが終わると、平地の道の端であたしとタファは思わずへたり込んだ。腰が抜けて、自分でも生まれたての小鹿のようになってしまっているのがわかる。


「ちょ、ちょっと……待って。休憩、しよ。……な?」

「「うん♪」」


 ペットボトルのミネラルウォーターとエナジーバーを出して、ぷるぷる震えるだけのタファにも押し付ける。

 こっからが、本番だ。気合を入れるべきなんだろうけどな。


 ……ちょっと、いまは無理。

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