ママの味

 グッタリしていたあたしは、ひぐひぐと小さく泣き始めた赤ん坊の声で我に返る。最初に聞こえてたみたいな助けを求めるギャン泣きではないから、この子も少しは事態が好転したのを感じているのかもしれない。


「あ、そうだミュニオ、咆哮スクリーミン大鷲イーグルは?」

「しばらく上空うえ旋回してまわってたけど、いなくなったの」


 巣のなかの雛は死んでたから、赤ん坊を餌にするつもりだったのかどうかは不明。この子が無事だったんだから、ワシを殺さずに済んだことに少しだけホッとする。大きな翼を広げて悠々と飛んでいる姿は――利害が絡まなければ――すごく綺麗だと思ったから。


「ええと、これは……ミルクかな」

「ぼくは出ないよ?」

「わたしも」


 そらそうだ。当然ながら、あたしも出ない。いますぐ乳を出してくれる生き物も見当たらない。牛とか羊とかな。そもそも近くに民家がない。この子は、いったいどのくらい遠くから連れ去られたのやら。

 泣いてる子を受け取って、あれこれ調べていたジュニパーが怪訝そうに首を傾げる。


「どうした?」

「ねえ、もしかしたら……この子、人間じゃないかも」


「あたしには、人間にしか見えんけどな。少なくとも、人間っぽい感じの……ドワーフとかエルフとか?」

「ドワーフなら土か火の魔力だけど、感じるのは風の魔力だけなの。でも、エルフのものとは少し違う気がするの」


 エルフも赤ん坊のうちは耳が長くないというから、可能性としてはある。最初に抱いたときにあった違和感の正体がよくわからない。


「う〜ん……ジュニパーは、なんで人間じゃないと思った?」

「体重が軽過ぎる。それに、人間の赤ん坊なら、いまごろ元気に泣いてないんじゃないかな」


 大鷲が餌にするために攫ったんなら、食べられてるはずって話か? 雛が死んだら、代わりに保護するんじゃなかったっけ。


「人間の赤ん坊ってワシが運んでくるような餌を食べられないでしょ? この子がどこから運ばれたかわからないけど、一日以上は経ってると思う。ほら」


 いわれて改めて布に触れると、わずかに濡れてるのがわかった。嗅いでみるけど、おしっことかじゃなさそう。雨が降ったのだとしたら、昨日や今日じゃない。

 なんにしろこのままにしてたら良くないので、収納から乾いたタオルを出す。ボロ切れを剥いてみて、ミュニオとジュニパーがすぐに声を上げた。


「ああ、そっか」

「この子、有翼族なの」


 ゆーよくぞく……って、なにそれ。疑問符が浮かんでいるあたしの表情に気付いたジュニパーが赤ん坊の腕を指先で撫でる。


「有翼族っていうのは、鳥の獣人みたいなものかな。ほら、この子も腕と脚に羽毛があるでしょ?」


 あるといえば、ある。けど、“いわれてみれば”レベルだ。あたしの目には、手足だけ少し産毛の濃い赤ん坊にしか見えん。あとは……足先がちょびっと鳥っぽいか。踵のあたりに小さな蹴爪がある。全体としてプニプニしてるから、いわれないと気付かんかも。


「よかった。獣人種だったら、お乳じゃなくて魔力を与えるだけで、しばらくは生きられるよ」

「……それだ」

「それって?」

「あたしが最初に抱き上げたとき、なんか吸われてる感じがしたんだよ。あれ、魔力を補給してたんだろうな」


 まだ目が開いていないらしい赤ん坊の鼻先を指で触れると、小さな両手でつかんで口に持ってく。ちゅっちゅとしゃぶる動きとともに、また“吸われる感じ”がした。少しだけ血の気が引く感覚に似ているものの、くすぐったいだけで実害はない。自分の魔力の総量がどれくらいのもんかは知らんけど、赤ん坊に吸われて枯渇することもないだろ。

 ミルクを飲むみたいに震えるプニプニしたほっぺを眺めていると、ミュニオがさりげなくカービン銃マーリンのレバーを操作する音が聞こえた。急に吹き始めた風が森の梢をざわざわと揺らす。


「シェーナ、こっち」


 ジュニパーが赤ん坊ごとあたしをランドクルーザーの車内に誘導する。


「どした。なんか敵?」

「わからない。でも二十近い群れ。怒りと憎しみの感じがある。面倒なことにならなきゃいいと思うけど、念のために“らんくる”のなかにいて」

「……まさか、このタイミングで?」


 空の彼方に広がっていた黒い点が、ぐんぐんと近付いてくる。たぶん……というか、まず間違いなく、あれは子供を奪われたと思ってる有翼族の捜索部隊なんだろう。

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