思い出に変わるまで

 朝になると、水は引いていた。

 それはもう、面白いくらいにカラッカラの枯れ河に戻っていた。


「え、うそん」

「ホントに保水力ないんだねー?」


 まあ、良いや。寄り道とはいえ、あたしたちには良い経験だ。多少のケチはついたけどな。

 のんびりしててまた水が出ても面倒なので、すぐに出発することにした。昼ご飯はちゃんと作ることにして、朝食は道中ビスケットかチョコバーでも齧るか。


「ジュニパー、大丈夫の?」

「た、たぶん……あ、ふたりとも、もうチョイみぎみぎ!」

「きゅう……ッ」


 みんなでランドクルーザーに乗り込んで、ゆっくりと枯れ河の斜面を降りてゆく。水流で掘り返されたらしく河底にあたる部分は深くえぐられていて、車での上り下りにはかなりの勇気が要る。車体がグラッとするたびに、あたしたちは右へ左へ、体重移動でバランスを取る。気休め程度なんだろうけど、なんかちょっと楽しい。


「なんとか下りたのはいいけど、これ上れるかな?」

「ジュニパーの運転なら平気だろ。もし埋まったら、いっぺん仕舞って向こう岸で出すよ」


 あたしがそういうと、凄腕ドライバーのヅカ水棲馬ケルピーは当惑したように眉尻を下げる。

 なんだ、どうした。


「ねえ、シェーナ。なんで昨日、ぼくに乗って渡ろうとしなかったの?」

「へ?」

「“らんくる”仕舞って、ぼくに乗って、向こう岸でまた出せば良かったんじゃないかな、って。いまさらだけど」


 そうか。その手があったか。なんで思い付かなかったんだろ。


「あー、うん。昨日って、けっこう流れ早かっただろ?」

「でも、ぼく水棲馬だよ? あのシカが渡れたんだもの、ぼくも渡れた……と思うよ?」


 そうな。渡るだけならな。でもジュニパー、オアシスで溺れて水呑んでたじゃん。げぷッとか、いってたじゃん。


「昨日の水、けっこう汚なかったし。色んなゴミとか板切れとか流れてたし。そんなとこ入ってジュニパーだけ汚れるのとか、嫌じゃん?」

「いや、ぼくは平気……」

あたしが・・・・、嫌なの。べつに、そんな急いでなかったし。それに……」

「うん」

「ああいうので足止めされるのも、ちょっと楽しいかなって」


 そうかな、って顔でジュニパーは首を傾げる。そうかも、ってなったのか軽く頷く。

 この辺の微妙な心の機微は、研究所育ちの耳年増(ななさい)には難しかったかも知れん。


「そう?」

「そうなんだよ。死なない程度のトラブルってさ、なんか“旅してる”って感じすんじゃん」

「そうなの」


 不思議そうな顔のジュニパーを見て、ミュニオが嬉しそうに笑う。


「あとで、思い出したときね。いちばん楽しいのって、いちばん楽しかったことじゃないの」

「????」


 ミュニオ姐さん、相変わらず言葉が足りないせいでジュニパーが混乱してます。

 あたしは……なんとなく、わかるけど。


「つまりさ、楽チンで上手くいったことより、失敗したり大変だったり怖かったり苦しかったりしたことの方が、後で楽しい思い出になったりするんだよ。たぶん。な、ミュニオ?」

「そうなの♪」

「へー」


 このあたりは七歳と三十四歳で、人生経験の差が出るもんなのかもな。


「そんじゃ、ガーッて登っちゃって先進もうぜ」

「ジュニパー、がんばるの♪」


 ブンブンとランクルのアクセルを吹かしてルート取りを考えながら、発進間際にジュニパーはふと何か思い出して助手席のあたしとミュニオを見る。


「ん? どしたジュニパー」

「これ、上手くいかないで、ちょびっと転げたりした方が良いのかな?」


「いや、そういうことじゃねえよ⁉︎」

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