第15話 あわてんぼうのサンタクロース狂騒曲


「11時過ぎに迎えに行きます」

 

 SMS(ショートメッセージ)を示す短いバイブレーションが頭のすぐ横で枕を揺らす。赤ワインが残る重い身体を捻って時刻を確認する。ひびの入った液晶画面は10の数字を表示していた。


「お願いします」


 メッセージを返して、身体を再びベッドに放り投げる。どうして時間はこんなにも相対的なのだろう。眠りたい時には短くなり、眠れない時には長くなる。僕はぶつぶつと時間に対して文句を言いながら、もう一眠りしたい気持ちを窓の近くに放った。射し込む穏やかな太陽光線で、わがままな分身を灰燼に帰せしめ、のそりと起きてシャワーに向かう。


 あいたた、飲み過ぎだ。少し頭が軋む。


 ――ドンドンドン


 土曜日午後からのゴルフ、そして、そのまま参加したワイン会。6人しか飲む人がいないのに1から8までの数字がついた麻袋に入ったワインが出迎えてくれた。テイスティングと称しているのに、一杯相当の量が注がれるグラスを眺めていた。すきっ腹に4~5杯入れたのが敗因であろう。帰って来てからの記憶は、何度も打ち込んだボールと一緒に濁った池の肥やしになっているに違いない。


 ――ドンドンドン


 寝不足による倦怠感とブドウ臭い身体を、ぬるま湯で洗い流してゆく。心なしか全身に残ったアルコールも希釈されていくようだ。頭頂からしたたり落ちていくお湯の感触を味わいながら、そのまま眠りに落ちたい欲に引っ張られる。が、時間はあまりない。さっとシャワーを浴び終えた。


 ――ドンドンドン


 ああ、もう、煩いな。


 身体を拭いたタオルを腰に巻き付けて、僕は動かしたことのない暖炉を睨んだ。スイッチで作動するタイプの簡易暖炉である。三階建てのこのアパートにもちろん煙突などはない。どこにもつながっていない暖炉。しかし、そこにあわてんぼうが降ってくるのだ。


 ――ドンドンドン


 なぜ今なのかわからない。3月1日、日曜日。生類憐れみの令が廃止され、ショパンが生まれた日。クリスマスには程遠く、お祭り騒ぎをする日でもない。何の因果か、到底理解も出来ないまま、軽やかにサンタクロースが足を滑らせ続けている。


 ――ドンドンドン


 あのメロディーが頭の中をエンドレスリピートすると同時に、一度に三人のあわてんぼうが降ってくる。「ぽたぽた」でも「しとしと」でもない、重低音を響かせたなかなかのり方である。「今日は大サンタクロース注意報でも出ていたかしら」と天気情報を見るが、そんな注意報は発令されていない。アメリカ気象局よ、もっとしっかりしろ。そう考えている間にも、サンタクロースは積もっていく。


 ――ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン


 降り方は強さを増していく。みちみちと隙間もなく暖炉にこびりつくサンタ。ここまでしつこいサンタだと強力タイプの排水管クリーナーじゃないと効かないため「Home Depot(ホームセンター)に寄ってもらう」と頭のメモに書き込む。


 しばらくすると、潰れたハリボーのようになっていた一人が、サンタの山からずるずると這い出してきた。何も言わず、真っ黒な顔と相対する。僕が迷惑そうな表情を隠さずにいると、向こうも困った顔をしている。


 そして、彼の中の何がそうさせたのか、突如として顔の黒いサンタは踊り始めた。ストリートダンスで基本となるトップロックと言われるステップを軽快に踏む。その後ろでは死屍累々のサンタが積みあがっている。「やめてくれ」という切実な願いも、踊り狂うサンタの耳には届いていないようだ。


 ただでさえ砲撃のような落下音が響いているはずなのに、これ以上踊られると下の階の人が拳銃を持ってインターホンを押してもおかしくはない。優雅で静かなはずの日曜日の朝を乱され、血走った眼で階段を上がってくる男性が思い浮かんだ。

 その想像上の姿に戦慄した僕は慌てて暖炉の下に積み重なっているサンタを一人引っこ抜き、体の前に構えて恐る恐るドアを開けて外の様子を伺った。耳を澄ますが、階段を踏み鳴らす音は聞こえない。聞こえるのは継続する落下音と後方で踏み鳴らすステップの音だけである。


 ――ドンドンドンチャチャチャ


 僕はそろそろとドアを閉めて鍵を掛けた。

 

 ――ドンドンドンチャチャチャ


 そして、ソファで頭を抱えて11時になるのをひたすら待った。この世で一番長い十分間であった。


「もう着きます」

 短いバイブレーションと共にポップアップが開く。僕はすぐに玄関へ向かって、靴を履く。振り返ると、思う存分踊って満足したのかステップは止み、暖炉に詰まったサンタたちはもそもそと蠢いていた。


 これでやっと解放される。

 そう、安堵しながらドアを開けて廊下へ出た。


 ドアを閉める直前、踊っていたサンタはこう言った。


 ――もいちど来るよ


 僕はドアに鍵を掛けて、外に出る。



 


 アパートの前で同期に拾ってもらい、ホームパーティーへ向かう。目の前の交差点を越えて空に目を向けると、アパートの屋上から赤い粒が空に還っていくのが見えた。


 僕は心の中でつぶやいた。


「二度とくんな」

 

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