第2話 「はじめての魔物」

「もうこの世界には慣れた? お兄ちゃん」

「んー……。まあまあかな」


 ―――この世界に来てはや数日。


 この世界についてなにも知らなかった俺は、エナにその都度その都度いろいろなことを教えてもらい、根本的な部分は把握した。


 まず、俺が転生してきたこの町は「リモ」という名前で、この前聞いた通り人間とエルフがともに暮らしているそうだ。

 自然豊かな森の中に位置する町は、周りを石でできた壁で囲まれている。


 ―――理由はもちろん、魔物から住民を守るためだ。


 やはりどの異世界にも魔物は存在するらしく、昔まだ壁がなかった時は、それはもう大変だったのだとか……。


 それと、これはエナと話していて分かったことだが、この世界の言葉は、文法、表現などすべてにおいて日本語となんら変わりないことが分かった。


 いや、正確には『エルフと人間が共通言語を使っていることが分かった』だが、この二種族が同じ言葉なら、おそらくほかの種族も同じ言葉を使っているだろう、と俺は考えた。

 とはいっても、転生してからこの二種族しか目にしていないので、ほかの種族がいるのかはまだ分からないのだが。


 しかし気になるのが、最初は意味不明でただの記号にしか見えなかった文字が、いつの間にか日本語や英語、つまり地球の文字に見えるようになっていたことだ。


 ……圧倒的語彙力皆無。


 えっと、例えば―――お店の看板が『武具店』や『道具屋』って見えるようになってたり、よくRPGで出てくる『INN』って見えるようになってたり。


 不思議だとは思ったが、同じようなことをアニメで見たし、そのアニメもあまり説明せずにごまかしていたので、俺も「あーそんなもんなのかー」とあまり考えずに片づけた。

 あるあるだよ、あるある。

 知らんけど。


 ……で、今はなにをしているのかというと―――


「ママただいまー!」

「あ、エナおかえり。ハルトもおかえりなさい」

「ただいまー」


 母さんに頼まれたおつかいを済ませ、ちょうど帰宅したところだ。


 この世界の母親は道具屋を営んでいるらしく、道具屋には欠かせない薬草を取りに、エナと一緒に森まで行っていたのだが。


 俺は袋の中に入っている、自分の手で取ってきた薬草を見て。


 ……ほんとに薬草ってあるんだなぁ。

 いや、地球にも薬草と名のつく草ぐらいあると思うんだけどさ、なんか感動する……!


 ―――と、異世界感に浸っている俺に向け、


「……あ、ハルト悪いんだけどもう一回行ってきてくれない? なんだか今日はやたらと薬草が売れるのよね」

 母さんはそう頼んできた。


「あーおけ。分かった」

「エナも行こっか?」

 心配そうな顔をするエナだが、俺は一人で大丈夫だと告げる。


 町の外は魔物が出ると聞いたが、それをエナは心配しているのだろう。

 しかし、さっき町の外に出てきた時に魔物らしき気配はなかった。


 なにより、俺が見てきたアニメから考察すると、転生した最初の町周辺でいきなり強い魔物が出てくるわけがない。

 せいぜいスライム程度だろ。


「そっか。気をつけてね!」

「おう」


 俺は再び家をあとにして、町に出入りするための門がある広場へと、家の前の通りを歩いていく。


 ―――楓、元気にしてるかなぁ。


 ふと、そんなことが頭に浮かぶ。


 ―――葵も、俺のこと心配してくれてたりして。


 最近あいつらのことばっかり考えてる気がする。


 異世界に来た喜びで浮かれてたけど、あいつらがいないと結構さみしいもんなんだな。

 失った時にはじめて大切さに気づくっていうけど、ほんとそれだわ。


 会いたいけど、あんな退屈な世界に戻りたくない。

 くっそ! なにこのジレンマ。


 いっそあいつらも転生してきてくれねえかなー。

 ……あ、それ死んでって言ってるようなもんか。


 ―――と、


「ハルトくんじゃないか。また薬草かい?」

「あ、はい。おかわり取りに行きます」


 いろいろ考えているうちに町の玄関に到着した俺は、自警団の人に門を開けてもらう。


 この町は、外出する時や帰ってくる時に必ず門でチェックを受けるらしい。

 冒険者が外からやってくる場合も同じだそうだ。

 ……こんな森の中の町にわざわざ訪ねてくる人がいるかは怪しいとこだが。


「じゃあ、くれぐれも気をつけて行くんだぞ?」

「ほーい」


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……んじゃ、そろそろ帰るか」

 町から延びるあぜ道を歩いて、ほんの数分のところにある薬草畑? じゃないけど、なんか薬草が生えてるところで、俺は十分ほど薬草採集をした。


 薬草でいっぱいになった袋をかつぎ、俺は町への帰路につこうとする。


 その時だった。


 ―――ガサガサッ。

 近くの茂みから、なにかが動くような音が聞こえてきた。


「おわっ! び、びびったあー」

 驚いて寿命が五秒ほど縮んだ俺は、音がしたほうへ顔を向ける。


 ……な、なんだ?


 しばらく茂みを観察してみるが、なにも起こらない。


「き、気のせいか……よかったぁ……」

 俺は今丸腰だ。

 だから今もし魔物でも出てこようものならやばい、死ぬ。


 せっかく異世界に来たんだからアニメで見てきたような魔物の一つでも見てみたい、と最初の頃は思っていたが、現実的に考えると戦い方も魔物の強さも分からない俺に倒せるはずがないということが分かった。

 やはり二次元と三次元、理想と現実は違った。


 ……いや、俺に魔物を倒せるだけの力があるのなら話は別だ。

 ―――あればの話だが。


 俺は転生してから数日間かけて、悲しい事実に気づかされたのだ。


 それは―――アニメの主人公のようなチート能力がないということ。


 主人公たちのような圧倒的な力、いや、そんなものより魔法に憧れていた俺は、転生したんだから自分にも同じような力を使えるだろうと思っていた。


 しかし、毎日毎日、何度も何度も、アニメで出てきた魔法の呪文を唱えてみたが、魔法陣は出てこなかった。


 いつか使えるようになるかもしれないと希望は捨てずに、ならばと思い全力で体に力を込めてみたが、力が湧き出してくることはなかった……。


 だけど、俺はまだ諦めてはいない。

 まだ使えないだけだと。

 だから、その時が来るまで気長に待つことにした。

 別に待つのは嫌いじゃない。


 ……いや、でもやっぱおかしくね? だいたい転生する時って神様が出てきて『お願いしますハルト様、どうか、魔王を倒してください!』的な感じでチート能力とともに異世界に飛ばされるはずだろ。

 でもなにこれ。

 なんも使えないんですけど。

 このままだとただの一般人なんですけど。


 ……神様、そろそろ力をくれてもいいと思うんです。

 早くください、お願いします。


 …………神様、そういえば俺まだ転生理由も聞かされてません。

 一体俺はなんのためにこの世界に来たのですか? 魔王ですか? 魔王を倒せばいいんですよね。

 それならそうと早く言ってください、お願いします。


 ………………神様、なにも説明されていないのにどうやって行動しろというのでしょうか。

 ……あ、自分で考えろと。

 転生させてやったんだから、あとは自分でやれと、そうおっしゃるのですね。

 でも残念ながら、俺そんなに頭回りません。

 これからなにをすればいいのか教えてください、お願いします。


 俺は心の中で神様へお願いしまくるが、もちろんなにかが起こるわけもなく、むなしい気分になっただけだった。


 ……ほんと、顔も見せないわ力もくれないわ、この世界の神様どうなってんだよ。

 仕事しろや。


 そんなことを心の中で愚痴っていると、


 ―――ガサガサガサッ。

「ひょわっ!?」


 さっきの茂みから、再び音が聞こえてきた。

 同時に、俺は大慌てする。


「な、なんだよ! 誰かいんのか? さっきから人のこと驚かせやがって、出てこいよ! ……あ、あれか? もしかして猫か? そうか猫だったのかそうなのかそうだよなそうであってくれ!」


 全力で魔物ではないことを願いながら、逃げるか逃げないか迷う俺。

 危険だということは分かりながらも、まだ魔物を見てみたいという好奇心は捨てきれていなかった。


 どうせ出てきても弱い魔物だろうと踏んではいるが、よく考えてみたら、この世界に来た日から今この時までいろいろと思った通りにいかなかったので、いきなり強い魔物が出てくる可能性は低くない。


 ―――ガサッ、ガサガサガサッ。

 少しづつ、音の主が近づいてくるのを感じる。


 どうする? 逃げるか鈴木晴斗。

 ……いや、一ヶ月だけ入部してたけど幽霊部員すぎて強制的に退部させられた陸上部で培った足が俺にはある。

 これなら魔物が出てきても逃げられるはず。


 そんなことを考えているうちに、音はもう数メートル先まで迫っていた。


 や、やっぱやばいって!

 もう無理だ、逃げないと……!


 そして、俺が動きだすよりも早く、なにかが目の前に飛び出してきた―――!


「うわあああ!! ……っと?」


 豪快に叫んだ俺の前に現れたのは、サッカーボールほどの大きさをした、透明でプルプルと小刻みに動く生物だった。

 そう、あれ。


「……お、おおおおー! スライムだ!」

 たぶんスライムだろうその生き物に俺は興奮する。


 は、はじめて見た! すげえ、これがあのスライムか! 動いてるすげえ!

 すげえ! すげえしか出てこねえ!


 さっきまでの恐怖は消え、思った通りの魔物に少しホッとする。

 異世界に来て、いや生まれてきてからはじめて目にした魔物に興奮が止まらないが、どうにか心を落ち着かせ、注意深く観察してみる。


 ……なんか、肉眼で見ると妙に生々しいな。

 でもゼリーみたい。

 食えそう。


 ―――透明の体の中心には、球体の黒い物体があった。

 おそらく、コアとかいうやつだろう。

 ……あーはいはい、あれ壊せば死ぬ感じね。


 ちなみに、某RPGのように目や口がついているわけではない。

 あんなにかわいくない。

 どっちかっていうとキモい。


 ……た、倒したほうがいいのか?


 …………。

 俺は少しのあいだその場でじっとする。


 ―――プルッ。


 ―――プルプルッ。


 そんな擬音が聞こえてきそうな動きをするスライムだが、俺に襲いかかってきそうな様子は感じられなかった。

 というか、よく見てみると食事をしていた。


 ―――自分の体の下にある草を体内へ取りこみ、溶かし、消した―――消化したのか。


 アニメでは見られなかった、スライムの貴重な食事シーン。


 ……こうやって見ると、魔物こいつらも頑張って生きてるんだなぁ。

 その姿に、俺はなぜか少し心を動かされる。

 そして、不覚にもかわいいと思ってしまう自分がいた。


 ど、どうしよう、倒せねえ……!

 魔物に情が移ってしまうほどの自分の甘さに俺は情けなさを感じる。


 こんなんじゃ先が思いやられるぞ、こんな魔物も倒せなくてどうする!

 そう自分に言い聞かせ、ようやくスライムを倒そうと決意する―――が。


「……あっ」

 そうだった、俺今丸腰だったわ。

 素手だったわ。


 前にアニメでスライムを素手で倒そうとしてた主人公を見たことがあるが、案の定全然効いてなかった。

 確か、魔法でやっつけるか、あの中心にあるコアを剣かなにかで壊して倒してたな。


 ……しかし、今俺は魔法も使えなければ剣も持っていない。


 ど、どうしよう、倒せねえ……!

 今度は違う理由で行きづまる。


「もおおおお! なんでスライムなんかに苦戦してんだよおおお!」

 苦戦する以前に戦いすら始まっていないが、本当にこのままだとお先真っ暗だ。


「……神様、お願いです! 異世界に転生させてくれたのはうれしいのですが、早く力をください! スライムも倒せないなんて異世界生活始まりもしません! ……早く! 早くして! 普通はここで都合よく力を発揮するとこだろ! ふざけんなよおおおお! 仕事しろやああああああああ!」

 俺は全力で神様にチート能力をお願い、いや要求するが、もちろん思い通りにいかない。


 ……なんだ、もしかして俺は主人公じゃないのか? 主人公じゃないから力が使えないのか?

 いや、今まであんな退屈な世界で、主人公だと思うことでつまらなさをしのいできた俺の努力をなしにされてたまるか!


 仕方ない、もうここは素手で……!


 ―――カランッ。


 ようやくスライムを倒す決意をした俺の足に、なにかが当たったような音がする。


 足元に視線を移すと、都合よく、そこそこの太さと長さの木の枝が落ちていた。


「なんで俺こういうところは運いいんだろう……」

 ため息をつきながら、すかさずそれを拾う。


 そしてスライムへと視線を戻すが……。


 まだ、のうのうと雑草を食べていた。


「こ、これを倒すのか……」


 スライム一匹にいちいち優柔不断になる俺。


 ゲームでは魔物なんて片っ端から討伐しまくってたけど、これは現実なんだ。

 倒すってことは殺すんだよな? じゃあそこら辺の猫や犬を殺すのと同じ。

 そ、そんなことをしろと……?


 クソッ、なんでアニメの主人公共はあんなに気軽に生き物を殺せるんだ……!

 魔物は悪い奴だから生き物じゃないって考えなのか? こいつらだって頑張って生きているのに?


 出てきた時にさっさと倒せばよかったものを、懸命に生きるスライムの姿を見てしまった俺は、しばらく葛藤を続けた。


『こんな雑魚も倒せないでどうする? 主人公になりたいんなら、魔物への同情なんて捨てろ! そんなのただの綺麗事だ』

 ―――もう一人の自分が俺にそう語りかける。


 き、綺麗事なんかじゃない!

 俺はただ、ただ……。


 ―――と、食事を終えたのか、スライムはこちらにのそりのそりと近づいてきた。


 攻撃されると思い、俺はとっさに木の枝を構える。


 ……なにを迷ってたんだ、そうだ、こいつは魔物。

 人間に害をなす生物、猫や犬とは違う。

 だから、倒すべき敵だ。


 たかがスライム相手に長すぎる葛藤を終えた俺は、再び意を決し、ゆっくりと歩み寄る。


 襲われると思ったが、スライムは俺の数センチ手前に留まり、小刻みに震えだした。

 表情こそ分からないが、その動きからは楽しそうな様子が感じられる。

 まるで、こちらに興味を示しているようだ。


「……ッ!」

 お前はまたそうやって俺をヘタレにさせるのか。

 そんなことされたら殺せないじゃないか。


 たが、いつまでも立ち止まってはいられない。


「ご、ごめんっ……!」

 俺は木の枝を、静かに、正確にスライムのコアに突き刺した。


 ―――瞬間、スライムは数秒間もがくような素振りを見せ、紫色の霧となってその場から消えた。


 こ、殺した……のか? 俺は、一つの命を……。


 許してくれ、これは俺が越えるべき登竜門。

 罪なき小羊よ、どうか安らかに眠ってほしい……。

 お前の死は絶対に忘れない、俺の糧となって生き続けてくれ……!


 俺は、少し前までスライムがいた場所に両手を合わせた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ―――町への帰り道。


 薬草を取って帰るだけだったはずが、三十分もかかってしまった。


「スライムを倒しただけなのに、なんだろうこの気持ち」

 俺はまだ、完全には罪悪感が消えていなかった。


 ……いつまでも引きずるのはよくないかもしれない。

 だが、無抵抗なものを殺すのを快く思うほど、俺はサイコパスではない。


 ―――俺は何度も何度も心の中で謝って、どうにかいつもの自分に戻った。


 薬草を取っていた場所から町までは二百メートルもないくらいの距離だ。

 だから、もう既に俺の目には門が映っている。


 ……エナ、心配してないかな?

 数日間一緒にいるけど、あれは相当なお兄ちゃんっ子だ。

 めっちゃかわいいからいいけど。


 でも、帰ったらとりあえず謝らなきゃな。


 思いながら、俺は門の扉を開けてもらうために自警団の人に声をかけた。


「ただいまです」

「ああ、おかえり。少々長いように感じたが、そんなに取っていたのか?」

「ま、まあ……」


 スライム相手に数十分、なんて言えるわけがない。


「そうか、ハルトくんは働き者だな! はっはっは!」

「あはは……」

 自警団のおじさんが、豪快に笑いながら門を開けようとしてくれた、その時だった。


 町の中から、爆音が轟いてきたのは―――。

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