第79話この先の葵を乞う(朱明視点)
「いいの?私………………今度は君を逃がしてあげられないよ?」
そっちが逃げていったと認識していたのに、俺を逃がしたつもりだったとは。
「おまえが俺のものになるのなら、甘んじて受け入れてやる」
用心深い彼女は、探るようにこちらを見ている。まるで子供が自然の理を知りたがるような様子に、俺は言葉を選んで話す。
「葵、おまえは俺が魔の世に必要な存在だと言ったな。だが、おまえは?」
「え?」
「おまえは俺が必要ではないのか?」
「………………朱明、私は」
彼女の言いかけようとしたことを遮るようにして、こちらから告げる。
「俺はおまえが必要だ。人の世も魔の世も知ったことではない。おまえがいる世が必要だと、どうして気づかない?」
「君は、私がいる世を選ぶというのか?」
「そう言っている。おまえはどうだ?俺はおまえの深淵しんえんを見たい」
目が覚めたような顔をしたと思ったら、次には泣きそうに唇を歪ませた。息を吸い込み、それから吐き出すように叫ぶ。
「私も……………私も朱明が必要だ!君が傍にいるなら、どこだっていい!」
ああ、それが聞きたかった。
「君が欲しいよ、ずっと欲しかった。本当は死ぬまで君を離したくない。ずっと私のものだ!」
ぶつけるように欲をさらけ出す葵の姿にゾクゾクとした感覚が身体を浚う。
「君がいいと言うのなら、どうか私のものでいて」
浅ましく醜いその想いが、最も欲しかったものだ。純粋すぎて美しく感じる程のそれが。
だから本音を吐き出した。
「殺そうかと思っていた最初から、どうやら俺は知らない内におまえのものだったらしい。おまえを忘れていても離れていても、それでもおまえのものだ……………気付かなかったのか、葵」
彼女が前に脚を踏み出すと、肩から羽織っていた衣裳がするりと滑り落ちた。
差し出した手が合図だったように、葵が腕に飛び込んで来た。
「朱明!私の……………朱明!」
手に入れた!
「ようやく俺のものだ」
強く抱き締めて葵を確かめる。さらりとした髪の感触、呼吸、華奢な体つき、体温。だが足りない。
「神久地を見捨てるのか!」
「……………葵を利用していただけだろう、よくもそんなふうに言えるものだ」
いきなり葵の父親が刃を向けてきた。娘諸とも斬るつもりの攻撃を難なく防げば、怒りで血走った目をしていた。
「我が子なのだ、当然だ!」
その言葉に良く似たことを他の者に言われたことがある。『母親の過ちを償え、子として当然の責任だ』と。
全くふざけている、例え血を引いていても同じじゃない。存在自体が違う。俺も葵も親の為の道具ではない。
葵の手が俺の首にしっかりとしがみつく。
「動くなアク・レ」
落ち着いた声で命じて、動けず愕然とする父親を葵は見ていた。
「父上、育ててくださった御恩忘れません。鈴音も、ありがとう」
別れを告げる表情に迷いはなかった。穏やかな声を聞き、二度とは与えない人の世の時間の猶予を、最後に少しだけ彼女の為に作ってやった。
「………………もう行け」
男が淋しそうに促せば、葵は頷き俺の懐に顔を埋めた。
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「好きだよ」
滑らかな肌を指で辿る俺の耳に、葵が囁く。言葉の力を行使する彼女が言うのなら、それは真実に違いない。
肩口に唇を落とし、俺は諦めにも似た気分だった。
最初に覚えた殺意も憎しみも屈辱も、この娘を手に入れた喜びには敵わない。
葵をずっとこれからも繋ぎ止める為に、俺は彼女のように言葉を惜しまないことにした。
「……………おまえを愛してる」
この言葉で、おそらく間違いない。そこに複雑な感情が多く足されていて名を付ける気など無かったが、全てを引っくるめてそうなのだと認める。
葵の眦から涙が一雫流れた。
幸せそうに微笑んで俺の肩に両手を回して縋ってきた。
「朱明っ」
彼女が欲していたのは、この名だったのだと気付いた。ならば何度だって繰り返そう、この先の葵を乞う為に。
「君は、私の…………」
口づけの合間に熱に浮かされ告げられたのは、俺と葵のこれから続くであろう新たな関係。
ただ、今は貪っていたい。
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