もう一つの加護

「――そんなことって……」


 手記を読んだキュベレェもまた、声を震わせ動揺を隠せない。

 第一教会でマーヤの執務室を借りた柊吾とキュベレェは、応接用のソファに座りどのようにしてヒュドラを倒すか検討していた。

 手記に書いてある通りなら、ヒュドラの頭にはそれぞれコアがあり、それを九頭同時に破壊するべきだ。


「間違いないと思います。何度も倒しましたが、確かに額を射抜いただけで死んだときもありました。それにしても、深淵の滝の底にいたなんて……」


「深淵の滝というのは?」


「フリージアの最北端にある広大な滝です。私たちハイエルフの中でも、王の素質がある者は、そこで鍛錬を積むことで加護を授かるという風習がありました」


「それじゃあ、キュベレェさんもそこで?」


 柊吾はなにげなく聞いただけだが、キュベレェは悲しげに頬を歪めた。肩も少し震えている。 


「本当は、私の他に加護を授かった女の子がいたんです。その子は風習通り厳しい鍛錬にも耐えて、ついに加護を得たというのに、なぜか同時に私も授かってしまった。鍛錬もせず彼女を見守っていただけの私がっ」


「えっ? それじゃあ加護を持ったエルフが二人も?」


「そうです。最悪だったのは、私が得たのが光の力なんていう強力なものだったせいで、彼女の努力を台無しにして私が王にさせられました」


「そう、だったんですか……」


 柊吾は言葉に詰まる。

 キュベレェは今にも泣き出しそうに肩を震わせながらも、涙を必死にこらえ膝の上でドレスをギュッと握っていた。

 柊吾はしばらく彼女が落ち着くのを待った。


「……ごめんなさい。今は私の過去のことなんて語るときじゃなかった」


「いえ、いいんですよ」


 柊吾はゆっくり首を横へ振り、安心させるように柔らかく微笑む 

 キュベレェは手を胸に当て、気持ちを落ち着かせるように深呼吸すると本題に戻った。


「深淵の滝には、今まで一度も辿りつくことはできませんでした。倒したヒュドラの首を辿って北へ向かうに連れ、次から次へと新しい個体が現れるからです。結局いつも長期戦になって、私が逃げ出すという流れが断ち切れませんでした」


「なるほど、本体を守るために集まってくるわけですか。でも次は俺たちがいます。きっと深淵の滝まで辿りつけますよ」


 柊吾は励ますように明るく言った。

 今は敵の弱点が判明し目的も決まった。であれば、柊吾、メイ、ニア、デュラのコンビネーションで切り抜けられるはず。

 柊吾はそう確信していた。

 そんな自信に満ちた柊吾を見て、キュベレェは目を見開く。


「本当に、力を貸してもらっていいのですか?」


「もちろんですよ。領主様はきっと協力に応じてくれます。カムラからの同行者は、俺たちが行きたいと頼めば即決のはず。まあそれがいつもの流れですから」


 そう言って苦笑する。

 危険な戦いの先頭に立つのも、キジダルにチクチク言われるのもいつもの流れだ。

 しかしそう考えると、今回も上手くいくはずだと思えた。


「なにからなにまで本当にありがとうございます」


 キュベレェは感激したように目を潤ませて深く頭を下げた。

 すると柊吾は「や、やめてください」と慌てる。


「キュベレェさんは俺たちを助けてくれたんですから、当然のことですよ。改めて礼を言われる理由はありませんって」


 なぜか柊吾が慌てた様子で言うものだから、キュベレェもおかしそうに笑う。


「ふふっ、ありがとうございます……じゃあ柊吾さん、私に敬語なんて使わなくていいですよ。もう仲間なんですから。名前もキュベレェでいいですけど、そうですねぇ……キューちゃんって呼んでもらっても構いませんよ」


「へっ? いやいや、それはちょっとハードルが高いっていうか……」


 柊吾が赤くなっていると、キュベレェはクスクスとおかしそうに笑う。

 からかわれていると気付いた柊吾は、なんだか親近感がわいてきた。こうしていると、まるで弟をからかう姉と話しているようだ。

 なんだか新鮮で心地良い。

 柊吾は頬が熱くなっているのを感じながらコホンと咳払いし、


「それじゃあ……これからよろしく、キュベレェ」


「はいっ」



 その後、腐敗の密林でのある程度の段取りを考えてから、柊吾は家へ帰ろうと立ち上がった。

 キュベレェも立ち上がり、借りていた手記を渡そうと差し出す。

 彼がそれを受け取ると、キュベレェはなにげなく問うた。


「それにしても、この手記はいったいどこで手に入れたんですか?」


「うちのシモンていう鍛冶屋が浜辺で拾ったらしいんだ」


「そうですか。微かに加護の力を感じたもので」


 その単語を聞いて柊吾はようやく思い出した。この手記の持ち主であるという聖女も、加護の力を持っていたということを。

 その聖女の名は――


「たしか、フェミリアという人が持ってたらしいんだけど……」


「……えっ?」


 その名を聞いた瞬間、キュベレェの目が見開かれる。そして驚愕の表情で唖然として言葉を失うと、自然と一筋の涙が頬を流れた。

 柊吾はわけが分からず慌てて駆け寄る。


「ど、どうしたの!?」


 どうしていいか分からず、心配そうにキュベレェの肩に手を置くと、彼女はすぐに我に返った。

 なんでもないと言うように首を横へ振り、一歩下がって柊吾に背を向けると、


「……なんでもありません。聖域の奪還、がんばりましょう」


 その声は震えていたが、柊吾にはかける言葉が見つからず立ち去るしかなかった。

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