第392話 破砕の矢
ダークエルフの里で一夜を明かした翌朝、レヴァンテがスクロールを解析して得た転移先の座標を俺とフェルに地図上で示した。
「……どうやら、転移先はこの辺りに設定されているようです」
それを見た俺は思わず溜息を吐いてしまう。
「ふぅ…、これは予想外」
俺達が見ている地図は現代の物だ。
「イシャルディーナは、帝都の南西500キロぐらいの所だろうって話だったよね」
隣からそう言ってきたフェルを俺は横目で見て頷いた。
イシャルディーナが在った場所として目星を付けていたのは、今フェルが言った通りで現代のイゼルア帝国の帝都ルアデリスの南西500キロの辺り。
対してレヴァンテが示したのは、その更に南西。現代の帝都からだと1000キロは離れている辺りだった。
「ここまで行くと確実にエルフの勢力圏内だな。それもヒューマンと小競り合いをしている前線どころじゃないかなりの後方」
地図を見詰め口を尖らせて悩んでいる様子のフェルが、俺の言葉に応じた。
「実はイシャルディーナはその辺りだったって可能性もあるのかな…。それか、先にそこに行かなければ駄目な理由がある…?」
しかし俺達には他に選択肢はない。
ここまで来たら魔王の思惑に乗って進むしかないんだけど、いきなりヒューマンと敵対している勢力の真っただ中という可能性もあるということ。最初から簡単なミッションではないと思っていた今回の件の難易度の見積もりを、俺は更にもうひと段階上げて臨むことにした。
朝食を食べた後、ユプクローネにもてなしへの感謝と別れを告げてから、フェルがスクロールに刻まれた魔法を発動。
俺達三人の足元に展開した魔法陣による転移が完了して出た先は、小さな集落にほど近い林の中だった。
すぐに判ったのは、集落はエルフのものであること。
懸念は的中し、ヒューマンの勢力圏から遠く離れているここを何故魔王はスクロールの転移先として設定したのか。俺はその理由を悩み続けることになった。
僅かながらエルフ軍の兵士も駐留していたそのエルフの集落で暗躍した結果。周辺の地理的な情報を得た俺達は、そこから改めてイシャルディーナを目指した。
集落から小一時間ほどの所に在った街道はエルフ軍の前線へ物資を送る補給路。
俺達は、馬車などの往来がそれなりに多い道の上を進むことはせず。街道とは一定の距離を保って身を隠しつつこの街道が行き着く所を目指して歩いた。
どこに在るのかが明らかになったイシャルディーナへ最短で辿り着く為には、まずは北東方向へ続くこの街道を進み、街道が終わった所からはエルフ軍最前線までの警戒網を突破して更に森林を抜ける必要がある。
点在するエルフの集落を大きく迂回して避けながら、それでも街道から遠く離れないからこそ、街道に近い山中を巡回する兵士、狩猟や採取の為に山に入っているエルフと遭遇しそうになることも少なくない。
俺達三人の見た目は明らかに、彼らが敵対しているヒューマンだ。
こんな所でもし見つかればややこしいことになるのは確実。何よりも発見されることを危惧した俺達の進行は遅かった。
◇◇◇
さてそういう訳で、ダークエルフの里を離れて既に十日が過ぎた今も俺達はイシャルディーナの街にはまだ辿り着けていない。
しかしこの日になってやっと、そんな気の抜けない焦れる進行のひと区切りとなる街道の終点に俺達は着いた。そこに在るエルフ軍の大きな駐屯地を目の当たりにしたのは、この日もあと少しで暮れようかという時刻。
この駐屯地には捕虜を収容する施設が在る。そこを含めたこの駐屯地の詳細を把握すべきだと考えそのまま身を潜め続けた俺達が間もなく迎えたのは、日中の曇天そのままの隠密行動にはおあつらえ向きの分厚い雲で月が隠された闇夜だった。
闇に紛れて壁に囲まれた駐屯地の様子を木陰から窺う俺は、合図ですぐ後ろに追い付いて来たフェルに小声で囁いた。
「焚かれている篝火は少ないけどしっかり警戒してる」
「レヴァンテの方はどうなのかな」
「見張りは
「了解」
街道の終点となっていた駐屯地の西側の様子を見てからは、反時計回りに南側に進んだ俺とフェルとは別にレヴァンテは時計回りに駐屯地の北に回り込んでいる。
進行方向を指で指し示した俺はすぐにフェルと共に木立ちの間を縫うように走り始め、ひと足先に北側の偵察を終えて同じく駐屯地の東側に移動を開始しているレヴァンテと合流すべく向かった。
このエルフの駐屯地を囲う外壁は、街の防壁などとは違う簡易な作りだということを割り引いても俺達の現代の常識に照らせばハッキリ言ってかなり貧相なものだ。それでも密かに侵入しようと試みる敵を困らせる目的ならば、それほど高さも厚みも無いこんな壁でもそれなりに効果的なものだと言える。
ただ、ここで何よりも厄介なのは壁の内側に幾つか等間隔に建てられている物見やぐらを起点に張られている侵入検知の結界。見張りの監視を補佐する目的で張られているのだろうが、これは物理的・魔法的のどちらであってもこの結界に触れると警報が発せられる仕組みだ。
先に駐屯地の東に到着していたレヴァンテは、俺達の接近に気が付くと外壁から遠ざかる方に少し後退して俺とフェルを待っていた。
「早かったですねシュンさん。あちらはどうでしたか?」
「うん、南もこの東側と同じような感じだった。門は小さくて通用口という感じだけど見張りはそこそこ多いし結界が隙間なく張られてる」
「北側も見張りは多く警戒は厳重なようでした。但し、そんな見張りの大半が意識しているのは壁からは少し離れた所から始まっている森の方ですね。結界はまさに隙間なくです。意外と優秀そうな感知結界ですよね」
「だな。空からの侵入も想定してるとは思わなかった。中に忍び込むなら転移しかなさそうな気がしてるよ」
ここまで話し終えると、俺は更に駐屯地から離れる東の方向を二人に指し示した。
「探査の範囲内はキープしてもう少し離れようか。続きは深夜の方が良いだろう。取り敢えず腹ごしらえだな」
「賛成!」
「畏まりました」
フェルはどうやらお腹を空かせているようで、ニッコリ微笑みながら真っ先に同意の声を発した。
今夜はもうひと仕事が残っているしこんな近くで火を起こす訳にも行かないから、ということで手軽に食べられる物。
とは言え、量はそれなりに。
フェルは何本目かの串焼きを平らげてしまうと、続けて二つ目の大きなサンドイッチにかぶりつき始めた。
俺は探査の方にも意識を振り向けながら、やはりサンドイッチをパクついている。
フェルには果実水、俺の為には冷たい紅茶を注いだコップを差し出してきたレヴァンテに目礼を返してから、俺はこの駐屯地についての話を始めた。
「最初に探査で見た時にも言ったけど、やっぱりこの警戒は少し過剰な気がする」
「手厚いですよね」
「んー…、なんか大切な物があるのかな」
と、そんなことを呟いたフェルに俺は頷いて答える。
「この雰囲気は今すぐにでも襲撃されそうな状況。それに備えてるようにしか思えないんだよ。何か特別なものを守る為なのかは分からないけどな…」
食後は深夜まで仮眠しておこうと俺とフェルはシートの上で寝っ転がる。
レヴァンテは俺達の傍に座っては居るが、フェルの腹の上で丸くなっているモルヴィと共に全方位への警戒を続けてくれていた。
◇◇◇
それは、フェルが熟睡の寝息を立て始めてしばらく経ってからのこと。
俺は、突然パッシブな探査に現れた多くの新たな反応で瞬時に覚醒。
そして元々見えていた駐屯地の中に居る兵達から生じた慌ただしい動きも感じる。
その時には既に立ち上がっていたレヴァンテが顔は駐屯地の方に傾けたまま、チラッと俺を一瞥すると静かな声を発した。
「シュンさん、駐屯地が攻撃を受けてます」
「みたいだな…。攻撃者は駐屯地の北から。約50名」
俺も囁くような声で応えて立ち上がる。
迷うことなく能動的探査をフル稼働。これは魔力探査も惜しみなく使う渾身の探査だ。
すぐに判ったのは、俺もレヴァンテも隙間無くと表現した駐屯地全域に張られている感知結界が物理的な干渉で揺らめき警報を発していること。
「モルヴィ、静かにフェルを起こしてくれ」
ミュー…
その後、大きく迂回するために一旦真北に向かい始めた俺達は、走りながらの話し合い。
「出現は突然だった。直前までおそらく高精度の隠蔽を掛けてたんだと思う」
「だけど、今やってる攻撃は魔法無しの矢だけなんでしょ」
そう言ったフェルも、俺同様に魔法が使われていることは感じていない。
「そう。多分、動きを止める為の牽制だろうな」
牽制だとしても、この攻撃集団の弓の腕はかなりのものだ。
駐屯地の北側に幾つか立っている物見やぐらに居た兵士は、全員が撃ち落とされてしまっている。
「シュンさん、攻撃の本隊はどこから攻めると思いますか?」
このレヴァンテの問いかけに俺は即答。
「北ともう一つ西からも攻めるかな。おそらく街道の方からも近付いてると思う。駐屯地を守る兵にとって街道が在る西側は背後みたいなものだから。追い詰めるつもりならそこを塞いでしまうだろう」
「ということは、シュンさんは攻撃しているのはヒューマンではないと考えられてるのですね」
「そうだよ。こんなに腕のいい弓の部隊をこの時代のヒューマンの軍が持っているとは思えない」
走った分だけ攻撃部隊に近付いてきて、矢が射られる音が少しずつ聞こえ始めた。
一旦停止した俺達は、改めてもう一度周囲の状況を探った。
フェルは放たれている矢が発する音に耳を澄ませて厳しい顔つきに変わる。
「凄い…。エリーゼが何人も居るみたいな音」
「いいや、そこまでは無い。エリーゼに匹敵しそうなのは一人だけだ」
と、俺は首を横に振ってフェルにそう言ったが、実はその一人についてはかなりの驚きを感じている。
そうしているうちに、引っ切り無しに聞こえていた多くの矢が風を切る音が突然途切れた。
だが、間を置かずに魔法が発動する気配と共に聞こえてきたのは鏑矢が発するような甲高い音。
そしてそれに続いて、空間を貫いて大きな空洞を開けてしまいそうなほどの轟音。
「強弓からの破砕の矢…」
俺がそう言った直後、大きな爆破音が轟き北の門の全てとその周囲の壁が広く砕け散った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます