第363話 【幕間】宰相と訪問者②

 王都では『東部人』という呼び名が、特別な意味を持って使われ始めていた。

 これは東部連合軍の第一陣と第二陣の軍勢が王都を目指して侵攻した際の非道な行為に端を発する。


 彼らは王都に至る途中の町や村で、東部貴族領の民ではないというそれだけの理由で略奪・暴行、そして虐殺までも行った。後にアルヴィースによって、東部連合軍が傭兵を服従させる目的で用いた魔道具が民に刃が向くトリガーになったと明らかにされるが、魔道具の影響を受けていないはずの一般兵でも狂気が伝染したかのように民への暴挙に加わる者が多かったという。

 更には、東部連合軍の侵攻に呼応するように頻発した王都内での放火などのテロ。そのことごとくが軍や住民の中の東部出身者によって起こされたことが知れ渡ると、王都に漂う空気が変わった。


 民はその非道さに強い嫌悪と激しい憎しみの念を抱き、王都とその近郊で暮らす東部出身者を『東部人』と呼んで東部連合軍と同一視する風潮が一気に広まった。


 内戦がもたらした分断はこうして民衆の心の中にも深い溝を形成し、王国が内部から瓦解してその深みへ沈む方向へと後押しをしている。



 ◇◇◇



「ウェルハイゼス領外退去処分…?」

 思わずそんな声を発した宰相レガニスは、急ぎ続きを読み始めた。

 手にしているのは、衛兵が本部から持ち帰ったエヴェラードに関する資料だ。


「スウェーガルニで何かあったようですが…」

 同じ資料を読んでいる衛兵が、そう言って眉をひそめた。

 レガニスは頷く。しかし既に意識の大半は、資料には記載されていないそうなった経緯、詳細を知りたいという方向に向かっている。

 そんな様子のレガニスの心中を察したように衛兵は続けて言った。

「時期としては、スウェーガルニで起きたケイレブ王子襲撃事件の頃です。エヴェラードはその頃から東部連合の為に動いていたのかもしれませんね」


 そうか。あの頃のことなのかと、レガニスは思わず顔を上げて溜息を吐いた。


 レガニスは、ケイレブ王子襲撃事件や一連の騒動に関与した王国騎士をウェルハイゼス公爵軍が王都に送還してきた時のことを思い出していた。


 白昼堂々と街中で行われた王子襲撃事件のように広く公にはされていないが、ウェルハイゼス公爵家のユリスニーナ姫を害そうとした計画にも主犯格に近い形で関わっていた騎士は、両腕を斬り落とされた状態で王都に戻ってきた。

 罪の重さに見合う罰に選択の余地はなく、王国騎士団としても極刑を科すことになったその騎士の斬首の場にレガニスは見届け人として立ち会っている。


 思い出し蘇った血生臭い記憶を振り払うように、もう一度息を吐いたレガニスは資料の続きにその注意を戻した…。


 その後、エヴェラードに関してある程度の情報は得ることが出来たとして再び地下室へ向かったレガニスは、さっきと同じ席に着くとすぐに、エヴェラードに施された拘束を少しだけ緩めさせた。


「あー。楽になりました」

 と、嬉しそうな顔に変わったエヴェラードをレガニスはじっと見詰めた。

「それで…? 書簡を投げ込んで逃げれば良かったものを、どうして私に会う必要があるのか。その辺を話して貰おうか」


 するとエヴェラードは、質問の意味が解らないと言いたげな表情を見せた。

 そして、少し困ったような色もそこに織り交ぜてから口を開く。

「そっちからですか…。てっきり最初はアルヴィースのことを訊かれるのだろうと思ってました」

「……」

 今度はレガニスの方が意味が解らない。訝しげな表情に変わった。


 質問に答えろとばかりに、すぐにレガニスの隣の衛兵がエヴェラードを睨みつけて怒鳴りつけそうになるが、その雰囲気を察したレガニスは小さく手をかざして衛兵の動きを制した。

 その姿勢のままレガニスは問い返す。

「……アルヴィースと何か関係があるのか?」

「あ、はい。お気付きではないようですが…。アルヴィースの一員、弓使いのエリーゼもバウアレージュ。私の妹ですよ」


 この言葉を受けてすかさずレガニスの隣の衛兵がペラペラと資料をめくって一枚の紙片を抜き出すと、それをレガニスの方に差し出した。


 王国の、正確にはアリステリア王家を中心とした王国の中央統治機構が擁する諜報機関はそれほど有能ではない。実際のところ、アルヴィースに関してはいまだに断片的な情報しか得ることが出来ていないのが実状である。

 しかし、断片的に聞こえてくる話には突拍子もないものが幾つかあるので、どこか得体が知れない。不気味な存在だとレガニスは見ている。ウェルハイゼスが明らかにアルヴィースの情報を遮断していることも、レガニスのその思いを募らせる一因だ。


 衛兵からアルヴィースに関する記載がある紙片を受け取ったレガニスはそれに視線を這わせながら、同時にエヴェラードに質問を投げた。

「じゃあ、アルヴィースの秘密でも教えてくれるのか?」


 そう問われたエヴェラードは、いかにも困った顔に変わった。

 だがそれは、どこかしら作られた態度のようにも見える。


「よくそういう質問をされるんですが、私が知ってることなんて大した話じゃありません。そもそも兄妹と言っても、随分と長い間まともに話もしてませんし…。ウェルハイゼスの人間の方が詳しいでしょう」


 ここまで言うと、エヴェラードはひと呼吸おいた。


 しかし…、とエヴェラードは続ける。

「しかしこのことはよく知っています。ウェルハイゼスはアルヴィースを重用しています。帝国でもかなり武勲を上げたようですし、ウェルハイゼスにとっても大きな戦力なのは間違いないでしょう」


 ふむ…。

 ここまで会話を交わしてきてエヴェラードの性格、人となりが何となく見えてきた気がしているレガニスは、話題を変えることにした。

「……まあいい。では、さっきの質問に戻ろう」


 拍子抜けしたような表情を一瞬だけ見せるが、エヴェラードは頷いた。

 そんな様子を確認して、この日一番の眼光の鋭さでエヴェラードを睨んだレガニスは静かに語りかける。

「サラザール伯爵から書簡を預かったという事実だけでもお前の価値は十分に示されている。それでも尚、面会を希望した理由を説明して貰おうか。アルヴィースとの関わりも示したかったというだけなら、期待外れもいいとこだぞ?」


 この質問の直後、レガニスはエヴェラードの雰囲気が一変したような気がした。


 ここまでエヴェラードは、サラザール伯爵からの密書を持参したことで存在感を示し、その次はアルヴィースのメンバーと血縁関係にあることを本人の意識としては控えめに、だが実際にはかなり得意げに強調していた。

 エヴェラードは内戦の双方のキーマンと繋がりがある自身の有用性をアピールして何か利を得ようとしているのだろう。レガニスはそんな風に看ていた。

 しかし突然スイッチで切り替わったように見え透いた下心が一瞬で消えて、どこかこの状況を面白がっていたような態度も影を潜めてしまった。


「聖櫃についての話をする為だ」

 急にトーンも口調すらも変わった声がその場に響いた。

 決して大きな声量では無いのに、それはレガニスの鼓膜を強く揺らした。


 衛兵達は全員が身構えて、今すぐにでも剣を抜ける態勢を取る。


 エヴェラードから発する存在感は既に彼自身のものではなかった。

 身構えてもそれ以上の行動は起こせない衛兵達は冷や汗を流し、レガニスも底知れぬ存在感からの威圧に身体を震わせた。


「初代アリステリア王の血を継ぐお前には資格がある」


 続けて響いたその言葉を脳内でやっと処理できて理解が及ぶと、レガニスは少し冷静さを取り戻した。そして、明るい照明で照らされていたはずのこの地下室がすっかり暗くなっていることにその時になって気が付いた。

 部屋を覆い始めているこの暗さは普通の闇ではない。

 どこかざらざらとした触感さえ感じさせられるような、濃密な闇が部屋の中に充満しようとしていた。


 ドサッと音を立ててエヴェラードの後ろに立っていた衛兵二人が床に倒れる。

 レガニスの隣に座っていた衛兵も椅子から落ちた。


「聖櫃を開ければ、お前は大きな力を得るだろう。欲しくないか? 力が」


 答えに逡巡しているレガニスの懐が赤く光り始めた。


「その書簡をもう一度よく読んでみるがいい」

 縛っていた戒めの縄は完全に解けていて、エヴェラードは自由になった右手でレガニスの光る懐を指差している。


 よく動かせないぎこちない手つきで、レガニスは自分の懐に仕舞っていたサラザールからの書簡を取り出した。

 折り畳んでいたその紙片を広げて、言われたままに書簡の文字を目で追う。


「お前に戦う能力の無いことは解っている。時機を待つのだ。サラザールが滅んだ後こそ、機会が巡ってくるだろう。アルヴィースになんとしてでも接触するのだ」


 次第に、老若男女の何人もが同じ言葉を発しているような多重の音声となって響き始めているその声。レガニスはその声が聞こえているのに、意識の全ては書簡に向いている。

 指し示し挙げたままだったエヴェラードの右手の先から、微かに紫色の輝きを帯びた闇の霧が滲みだした。


 闇の細霧ダーク・エルネブラ


 レガニスは、所詮は傍流に過ぎないとバカにされても王の血筋に誇りを持っていた。自身に微かにでも流れるその血の確かさを証明したいとずっと考えてきた。

 書簡には、聖櫃に封じられた力は絶対的な神の鉄槌を振るうことが出来るものだと書かれている。その呼び名は『聖剣』。


 手に入れたい。ずっと願っていた。王家や公家のような王族の、その末席でいい。そこに名を連ねられる存在になりたい。

 誰にでも少しは有るそんな願望。

 心の中の片隅に小さな棘のように刺さっていた物。

 もし初代の王のように『聖剣』を持つことが出来たなら…。


 悪魔種リリスの文字通り悪魔の囁きが、闇の細霧ダーク・エルネブラの中に織り込まれている。

 レガニスの魂の震えが、その囁きと同調した時。

 一気にレガニスは邪に染まる。

 彼の魂に残る善性が呼び起こした本能的な抵抗は刹那の間のみ。


 エヴェラードがニヤリと笑うと、次の瞬間にはエヴェラードの身体が崩れ始めた。

 充満してきた闇の細霧ダーク・エルネブラの中に、エヴェラードの身体が溶け込む。そうして邪が更に濃く練り込まれた粘着質な細霧はレガニスの身体を覆い、そして染み込んでいった。



 ◇◇◇



 イアンザード城塞からは少し離れた山林の中。

 身を隠す完璧な隠蔽の中で横になっていたラスペリアは、閉じていた目を開いた。

「ふぅ…、相変わらず遠隔で邪隷属移動を行使するのは体力使うわね…。まあでも、エヴェラード君のおかげで標的のレガニス宰相に辿り着けて良かった。書簡も本物だと思ってくれたし、我ながらなかなかいい仕事だったわ」


 そしてラスペリアは、行使して消耗した力を取り戻すためのしばしの眠りにつく準備を始める。


 三日ぐらい寝てればいいかな…。

 ディアスがまた煩いだろうけど、先が見えてるのにアイツらホント馬鹿よね。

 このままだとアイツら全員死ぬわよ。

 逃げた方がいいと言ってもどうせ聞く耳持たずだろうし…。

 と、そんなことを思いながら、続きは言葉にしてまた独り言を呟いた。


「ウェルハイゼスとアルヴィースの力を見誤った時点で、勝負は決着してるのよ…。さて、次の種は蒔いたから王国でもう少し遊べそうだけど。噂のアルヴィースはどんなものを見せてくれるのかしら。メドフェイルが引っ込んでしまったから観客は私一人なのがちょっと残念ね…」

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