第334話

 坑道の入り口。その脇に在る元は資材置き場だったような小屋の前に馬を繋いだ。

 そこでエリーゼとニーナに馬の世話は任せることにして、

「ちょっと辺りをひと回りしてくるよ」

 そう言った俺はガスランと共に周囲の状況の確認の為に動き始める。

 谷の奥に行き着くまでの途中に在った幾つかの坑道の入り口と、この谷を形作っている周囲の山。その向こう側の状況についてもチェックしておくつもりだ。


 廃鉱山となってしまったこの鉱山の坑道は、おそらくは悪用されることを防ぐためだろう。その全ての入り口が頑丈な木材で封鎖されている。が、順に確認していくうちに、これをこじ開け破ろうとした形跡を俺達は見つけた。

 木を削り引き裂こうとしたようなその爪痕を見たガスランは、太い木材に残る傷跡を指でなぞっている。

「シュン、これって魔物?」

 俺は割と新しいもののように見えるその爪痕の、大きさと深さを目で測りながら答えた。

「……だな。この感じだと、かなり手はデカいぞ」

「アウルベア?」

 と、そう言ったガスランに俺は頷いて見せた。

「爪以外を使ったような様子は無いし、その爪も大きくて鋭い。そうだな。おそらくアウルベア。でも、こっちは魔物はそんなに多く無いと聞いてるんだけどな」


 東部の人が暮らす地域の例に漏れずサラザール伯爵領も魔物の数自体は少ない。その少ない魔物についても通常は軍がまめに駆除しているのだと聞いている。だが、今の東部の情勢と軍の動きを考えると、ここしばらくは魔物については手が回らず放置しているのかもしれない。


 その後、斜面を登って山の稜線まで上がってみたが、その頃になると雨は弱まったものの霧雨に変わり、この一帯は濃い霧に覆われてしまっていた。

 目視で何かを見つけることは早々に諦めて、俺は探査などスキルを駆使。遠くに、ガスランが言ったとおりのアウルベアを始めとした魔物の反応を幾つか捉えた。


 そして更に、魔物とは違う反応にも気が付く。

 ん? これは…?


 俺は、その反応がある方向を指差した。

「ガスラン。多分、人が居る。アウルベアの少し先」

「アウルベアの?」

「うん。まだ襲われては無いけど、狙われてる可能性は高いと思う」

「一人?」

「そう。俺、先行するから。ガスランはエリーゼ達に伝えてきてくれ。応援が居る時は赤いライト出すよ」

「了解!」


 重力魔法を使ってすぐに飛び立った俺は、真っ直ぐにアウルベアの方へ向かった。

 霧は坑道がある谷から離れるに従って少し薄れてくる。しかし山のこちら側には木が茂っていて、地上のアウルベアの姿を目視することは出来ない。同じように、アウルベアから狙われている者の姿も見えない。

 アウルベアの進行速度が上がり、俺も速度を速める。そして、いよいよアウルベアが襲い掛かろうかというタイミングで俺はその真上に辿り着いた。


 咄嗟に手にしたのはスタンガン。

 俺が引き鉄を引くのとアウルベアが標的に襲い掛かったのはほぼ同じタイミング。


 ビビッ…


 子どもか?

 襲われている方についてそう思った時には、スタンで気絶したアウルベアが襲い掛かった勢いのまま灰色の服を着た子どもに圧し掛かってしまっていた。



 その子どもは、襲い掛かられた時もそして上に圧し掛かられた時も驚いたような小さな叫び声以外には声をあげなかった。今もそうなのは、どうやらアウルベアに圧し掛かられ結果として地面に叩き付けられたその衝撃で気を失っているからのようだ。

 地上に降りた俺は、うつぶせの子どもの脚の上に覆いかぶさっているアウルベアを転がしてどけてしまうと、気を失っているままのその子どもの状態を調べ始めた。


 ケガの有無を調べて取り急ぎのキュアを施し、比較的雨がしのげそうな木の下へシートを敷いて、その上に改めて子どもを横たえてからもう一度クリーンを掛けた。


 5、6歳程度にしか見えないこの子どもは灰色の貫頭衣の他には何も身に着けていない。森の中を歩いていたにも関わらず素足だ。アルビノを想起させるような白い肌に目を閉じていても判る整った顔立ち。銀色に近い金髪は首筋を隠す程度に綺麗に揃えられていて、そんな容姿と傷だらけの素足の様子がちぐはぐで、ずっと森の中で暮らしている訳ではないことを示しているように思う。

 続けて念入りに全身を調べながら、俺は何度もこの子どもの鑑定を行った。

 大きなケガはない。手足や顔のあちこちにある擦り傷と傷だらけの足の裏にも念入りなクリーンとキュアを掛けて、そろそろ気が付いてもおかしくはないのにまだ気を失ったままなことを不思議に思う。


 さっきから何度も行っている鑑定で、この子どもは人間だが人間ではないということは判っている。そして、ぱっと見は女の子のように見えるが実は身体の構造としては男の子だということも。


 さて、どうしたものかと俺は悩む。

 降り続いている霧雨と夕暮れが近いせいで、辺りの気温はどんどん下がってきている。そうじゃなくても、まさかこの子をここに放置も出来ないし、そもそもこの子はいったいどんな出自なのか。どこからやって来たのか。

 スタンで眠らせていたアウルベアを処分して収納に仕舞い込んだ俺は、すっかり冷え切っている子どもを毛布で包んでしまうと、赤い光球を頭上に打ち上げた。

 それは木々の上に浮かぶ程度の決して高すぎない高さ。

 二度打ち上げてからは、まだ目を閉じたままの子どもの横に腰を下ろした。相変わらず魔力探査と鑑定を繰り返して解析を続け、そして考え込んだ。



 ◇◇◇



 その後、しばらくしてニーナがエリーゼとガスランを連れて飛んできた。

 地上に降りてすぐに、横たわった子の顔を三人は覗き込んだ。

 簡単に経緯を説明すると、三人の中の第一声はニーナから。

「綺麗な子ね」

「どこから来たんだろう?」

 と、そんな疑問の声を発したのはガスラン。

 一人、エリーゼは魔眼で視ているせいで、既にかなりのことを理解している。

 言葉は発しないが何か言いたげなエリーゼに俺は頷きを返し、全員に向けて説明を続ける。

「この子はホムンクルス。女の子っぽいというか中性っぽいけど一応男の子。そして、この子には名前が無い。鑑定では見えないという意味だけど」

 息を呑んだニーナは大きく目を見開いてギョッとした顔で俺を見た。 

「……今、ホムンクルスって言った?」

「……」

 無言のままガスランは渋い表情に変わって男の子を見詰める。


「うん、鑑定でホムンクルスだということはハッキリ見えてるよ」

 俺がニーナに向けてそう答えると、少し前から唇を噛み締めていたエリーゼは、小さく息を吐いて男の子を見た。

「シュン、この子…。すごくお腹を空かしてるよ。気を失ったままなのは、襲われたせいだけじゃないと思う。身体が弱り切ってる…」

 そう言ったエリーゼは魔力を惜しまない渾身のヒールを男の子に掛けた。



 ここは大きな木の下で雨はそこそこ遮ることは出来ているとは言え、それは完全ではなくやはり寒い。

「取り敢えずあっちに連れて行きましょ。もっと治癒した方がいいんだよね。目が覚めて自分で食べたりできればいいんだけど、その辺も様子見ないといけないわ」

 そう言ったニーナの言葉には俺達も異存は無く、それからすぐに男の子を抱きかかえて馬を繋いだままの坑道の入り口の所まで全員で戻った。


 坑道を入った所をメインの野営場所としてエリーゼとニーナが諸々の設営を終えていた。馬たちも小屋の屋根の下で雨をしのげているし、そこには空調と隠蔽の魔道具もちゃんと設置済みだった。

 入り口を塞ぐ木の壁はエリーゼが切り取って開けてしまっていて、入り口から10メートルほど入り込んだ所にテントが張られている。


 このテントの所でも空調の魔道具を動作させ始めるとすぐに暖かくなってくる。

 簡易テントを一つ追加した俺は、その中に敷いたマットの上に男の子を横たわらせて、テントの中が外から見えるようにテントの窓に該当する部分を全開にした。


 坑道の入り口部分が元通りに見えるように木を嵌め直して、そこでも隠蔽魔道具を動作させる。そうして、照明の魔道具を俺は灯した。

 そんな灯りと温かさのおかげでほっとした気持ちになってきたところで、エリーゼが言う。

「ちょっと早いけど夕食にしようか」

 テントの中を覗き込みながら男の子にヒールを掛けていたニーナが、エリーゼを見てうんうんと頷いて微笑んだ。

「賛成。お腹ぺこぺこよ。あっ、私の手持ちを出すよ。美味しいステーキがあるの」

「やった!」

 と、ガスランは喜んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る