第243話
明け方から雨が降り始めた。
念のためにと張っていた天幕を叩く雨の音で俺は目が醒める。
天幕はテントの前に置いているテーブルや椅子の上も広く覆っていて、そこには見張りをしているレヴァンテとガスランが居る。
俺は街道の状態を見ながら、ガスラン達の隣の椅子に腰を下ろした。
「二人とも、おはよう…。やっぱり降ってきたな」
「おはよう。エリーゼの天気予報が当たった」
ガスランは周囲の警戒をしながら本を読んでいる。気配察知スキルとして明確に発現している訳ではないが、ガスランには元々かなりの察知能力がある。
「この辺りの雨季はまだ先のはずだから、長くは降らないとは思う」
そう言いながら俺は、能動的探査を目一杯広げてひと通り周囲の状況を確認する。
異常なし…。静かなものだ。
レヴァンテがテーブルの上に置かれているポットの温度を確かめてカップに一杯注ぎ俺の前にそれを置いた。
紅茶が注がれたカップからは湯気が立ち昇る。
「おはようございますシュンさん。どうぞ、温まりますよ」
「おっ、ありがとう」
この辺の地勢的な理由もあるのだろうか、朝早いことと雨のせいで気温が低い。冒険者モードの装備なので防寒対策は万全だが、それでも温かい飲み物はありがたい。
その後、エリーゼとニーナも起きてきて皆で朝食を済ませた頃には雨も小降りになってきた。ただ空はまだどんよりしている。
隣のテントの二家族も起きだしてきて、エリーゼから渡された朝食を親子で食べ始めた。子ども達は朝からデザートも貰えて喜んでいる。
そんな子ども達の相手を終えたエリーゼが俺の傍に来る。
「シュン、馬車出す? 今日はずっと降りそうだよ」
「先を急ぎたいから馬車は止めておこう。急げば今日中に街道の合流地点に着けるだろうし、このくらいの雨なら大丈夫だろ」
「改良版防水ローブの出番だね」
「あー、あれ使うの初めてだな」
防水ローブと呼んでいるが、要するに雨合羽である。
防水加工したそういう物は商店などでも売っていて旅人や冒険者の必需品だ。でも今言っているのは少し前にエリーゼが更に徹底的に加工した特別なローブのこと。
馬車の二家族の七人に別れを告げて俺達は馬を走らせた。
エリーゼ特製の防水ローブは水の侵入をしっかり防いでくれるし、なかなかいい。市販のものは重くて硬いのが難点だとよく言われるが、これは柔らかくてそんなに重たくもない。これを羽織ったまま戦闘が出来るというのがコンセプトだとエリーゼは言っていた。
ちなみに、ロフキュールを発った時からレヴァンテも俺達と全く同じ装備だ。予備の予備という感じで多めに持っている俺達全員の装備から一式、サイズの調整をして装備させている。もちろんこの防水ローブも。
そうしたのは、一人だけ違う装備で変に目立ってしまうことを避けるため。
清浄の首飾りも身に着けさせている。
レヴァンテには体臭はないので、埃や泥などの汚れを除去するためということ。
今日のように雨が降っている時は、髪や顔が濡れても首飾りの効果で乾きが断然早い。
時折の休憩の際には例のごとく馬達にもクリーンとヒール。クリーンは濡れていた身体も一瞬で乾くので馬達もご機嫌だ。まあ、またすぐ濡れるんだけどね。
雨は降ったり止んだり。今日いっぱいはこんなぐずついた天気なのだろう。それでも順調に馬を走らせて、思っていた以上に早く目的地に近付く。
そして街道が長い下り坂に変わった時、その前方、緩やかに坂を下った先にある小さな宿場町が見えてきた。
同時に、北に進めば王国へ至る南北に延びる主街道が一望できた。
夕刻が近い頃合いだからか、今は街道を北上している人は居ないが探査で宿場町には人が居るのが判っている。
一旦その場に停まって、雨に煙っている宿場町とそこを中心とした盆地のような一帯を眺めながら俺は言う。
「帝国軍は居ないみたいだな。兵は残さなかったのか…」
エリーゼが警告を発する。
「少し様子を見ようよ。危ない感じ」
「だな。ちょっと様子がおかしい」
宿場町は簡素な木製の柵で囲まれている。
簡素ではあるが高さもあり割と頑丈な感じなので、ゴブリンやオーク程度なら簡単に侵入されることはないだろう。
その柵の中央には街道に面して扉が付いた門と物見やぐらがあり、やぐらには見張りが一人立っていて門の扉は閉められている。
門は夜間は閉じるものだろうがまだ日没には時間がある。
「襲撃に備えてる?」
ガスランがそんな疑問を口にした。
「それも有るかもしれないけど、多分閉じ込めてる方かな。人を逃がさないようにしてる感じがする。どうやら何人も囚われてるっぽいよ」
探査では、柵に囲まれた中の最も奥まった辺りに数人が固まってじっとしているのが判っている。そこに居るのはおそらく女性ばかりだとエリーゼが言った。
それを聞いたニーナが眼つきを鋭くして言う。
「てことは、いきなりここが賊のアジトって訳?」
「何日か前に帝国軍が通ったばかりのはずなんだけど、うまく誤魔化したのか…?」
帝国軍は首都を目指している。戦略的な重要地点でもないこんな宿場町には然程注意は払わなかったということだろうか。このルートで言うなら確かに征圧して占拠すべきはもっと南の教皇国の軍団支部が在ると言われている大きめの街が筆頭だろう。
宿場町には暗くなってから侵入することにした俺達は、街道を少し外れた所に在る木立の傍でテントを張った。草も茂っていてここからは宿場町が見えない。
「ん? 南から騎馬…。4…、いや5人だな…。どうやら中に入りそうだ」
探査で見えている状況を皆にも説明。
ガスランが木に登って門の方を確認し始めた。
「二人乗りしている片方は女の人…。縛られてる…」
「どこに運ぶか見ておこう」
俺はそう言ってガスランの隣に上がった。直接目視できれば女性にマーキングを撃ち込める。
「これで賊の人数は多分、13人…かな」
エリーゼも別の木に登って見ている。探査と併用してる感じ。
そして、人が閉じ込められているんじゃないかと当たりを付けていた場所にやはり女性は連れて行かれた。
これでそこに捕まっている女性は5人。
◇◇◇
奴らが寝静まるのを待つという選択肢も無い訳ではなかったが、こんな輩がやる事は相場が決まっている。日が暮れたら飯と酒、そして女だ。
その前にケリをつける。
篝火が灯されたのを機に、俺達は柵に近付く。ニーナの隠蔽が掛かっているので割と大胆に走っている。
まだ雨が降っているので防水ローブを羽織ったままだ。フードを深く被ると人相も隠せるので、これはこれでありだと思う。とは言え、隠蔽魔法のおかげで物見やぐらの見張りにも全く気付かれることはなくニーナの重力魔法で持ち上げられた俺達は柵の中に降り立った。
そこからは二手に分かれる。救出組と制圧組。
賊が屯しているのは門に近い所だが、女性が囚われている所はもっと町の奥、少し離れていることが判っている。
今回の救出組はエリーゼとガスラン。そして制圧は俺とニーナ。レヴァンテは外からの支援だ。レヴァンテは付いて来たがったが馬を見て貰ってるからね。
合図のライトの光球を高く上げると、いきなりとんでもない轟音が響いた。
ズガーンッと町の外壁である柵が大きく揺れて衝撃が伝わる。少し間を置いてまたそれ以上の轟音が響く。今度は柵が粉々になって弾け飛んだ。
レヴァンテに派手に音がする魔法を撃ってくれと頼んでいたんだけど、こんな凄いのは予想してなかった。
そして物見やぐらにもそのレヴァンテが放つ巨大な風の刃、風撃が襲い掛かると、バーンッとその上に居た男共々砕けた。
やぐらの半分から上が無くなっている。
この宿場町で一番大きな建物の屋根付きのテラスのような所で焚火を中心にして食事と酒盛りを始めていた賊達は何が起きているのか理解できず、ただ「何だ、どこだ」と口々に言うばかりで右往左往している。レヴァンテが立てた破壊音が凄まじすぎるのと範囲が広すぎて攻撃がどの方向からだったのか判らないのだ。
しかし、そんな中いち早く事態を少しは把握した奴なのか、指示の声が出始める。
「外からだ! 街道に出て見てこい!」
「逃げた方がいい!」
「一人も逃がさないよ」
姿を現した俺がそう言うと、ニーナが奴らの背後の建物を押し潰して退路を断つ。またとんでもない轟音が響いた。
ここに居るのは10名。驚きながらも、俺達が二人だけだと知ると口々に何か喚きながら武器を手に向かってきた。
しかしニーナが手当たり次第にアダマンタイト剣でそんな男共を次々に斬りつけていく。腕と脚を斬ってるから致命傷では無いはず…。多分。
ニーナはわざと加重魔法で拘束しなかった。
何人かは剣や槍を振りかざして俺にも向かってきたが剣の腹で殴ってすぐに伸びて貰った。
転がってしまったその場の全員にスタンを撃ってから、俺はレヴァンテに向けて終了の合図のライトを打ち上げた。と言っても、どういうスキルか魔法かは判らないがレヴァンテは割と俺達の状況を把握してるんだろうと思う。
あっ、魔法的パスが繋がった相手の状態は俺達以上にレヴァンテには解るのかもしれないな…。
エリーゼとガスランが女性達が囚われている所に駆けつけて、そこに居た賊二人が動かなくなったことが判った俺は、まだ賊達を睨み続けていて般若の顔になっているニーナに言う。
「賊はあと二人。エリーゼ達が片付けた」
「そう…。もう終わりなのね」
今回の野盗に対するニーナの怒りが強いのは知ってたんだけど、今日はメチャクチャ怖い。滅多のこと言わない方がいいぞと俺は自分に言い聞かせる。
すぐに、縛り上げた賊二人をガスランが引き摺って現れるとその後からエリーゼに導かれた女性が五人歩いて出てきた。
とんでもない破壊音、轟音は確実に聴こえていただろう。
街道に面した部分の半分ほどが粉々に破壊された柵や建物などを見て驚いている彼女達にニーナが状況の説明を始める。
目に留まった近くの建物の中を覗いて見たら、そこは食堂か何かだったようで結構広い。比較的綺麗な感じもしたので、俺はそこにクリーンを掛けてニーナに言う。
「この中、綺麗にしたから。濡れると冷えるよ」
霧雨のようになっているがまだ雨が降っている。
コクリと頷いたニーナとエリーゼは女性五人と共にその家の中に入って行った。
ニーナと二人で倒してしまった奴らを縛り上げてしまうと俺はガスランに言う。
「ガスラン、レヴァンテを迎えに行ってくれるか。馬五頭だから」
「分かった。あっ…、さっきの凄い大きな音はレヴァンテ?」
「そう。やぐらと柵を粉砕したのはレヴァンテ」
「なにそれ、怖すぎ」
「ニーナも凄くキレてたから、今日は大人しくしてた方がいいからな」
「げっ…、うちの女性陣怖い」
「それ同感」
さて、この後すべきことは嫌な仕事だ…。そろそろエリーゼの説明も終わってる頃だろう。
女性五人は全員が首都近郊から来た難民だった。
二人は同じ日に捕らえられたが他はそれぞれ別の日だったらしい。
食料や金目の物を全て巻き上げられるだけではなく家族や親しい人を目の前で殺害された。更には、ここに閉じ込められてからは賊達の慰み者として毎日何人もの相手をさせられていた。今日連れてこられた女性もここに連れてこられる前に四人から味見と称して次々と。
俺はその建物の奥の部屋に簡易ベッドを出した。普段はあまり使うことが無いが収納に入れておいた物だ。そこでエリーゼが一人ずつ連れてくる女性に緊急避妊魔法という名の膣内洗浄および堕胎の魔法をかける。精液などが体内に残っていればそれは全て除去し、もし妊娠していればそれは異物として除去される魔法だ。胎児はどんなに小さくとも生体魔力波は母体とは絶対に異なる点に着目したミレディさんのオリジナル魔法。母体への負担はほぼ無いと言っていい。
通常避妊魔法をかけていたという女性にも一応念のために同じ処置をした。
俺の魔法の後はエリーゼが全身のクリーンとキュア。着替えも支援物資の中から好きなものを選ばせる。
ひと通りそんな処置が終わると食事の時間。彼女達は食事は与えられてはいたようだが当然のように満足な量ではなかったそうで、ニーナとエリーゼが大量に収納から出して振る舞った。
食べ始めは嬉しそうにパクパクと食べていたが、次第に彼女達は静かになってくる。全員が泣いていた。
ニーナがそんな彼女達に微笑みながら言った。
「食べて体力付けてね。たくさんあるから、ゆっくり好きな物だけでもいいから」
◇◇◇
賊達は縛り上げて猿轡も噛ませて倒した場所に転がしていた。それでもうんうんと煩いので、納屋のような建物の中にニーナがまとめて浮かせて放り込む。
「彼らはどうするんですか」
そう訊いてきたのはレヴァンテ。途中からだが女性達の話も聞いているしニーナと一緒に女性達にポーションを飲ませたり世話も焼いていた。
俺はレヴァンテに答える。
「王国か帝国だったら最寄りの街の衛兵に引き渡してあとは任せるんだけど、ここではそういう訳にはいかないからな」
「ということは…」
「取り敢えずは一人ずつ尋問して情報収集。他にも仲間が居るかもしれないし、別の拠点が在るかもしれない」
そしてレヴァンテにも手伝わせてガスランと俺とで一人ずつ尋問をして判明したのは、こいつらはこれで全員だということ。しかしどうやら他に同じような野盗グループが幾つかあるようだ。
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