第228話
教皇国の大司教マクレーンに付き従いオーブに施されていた封印の解除を行った女性の身体が文字通り崩れ落ちた。彼女と共に床に落ちていたオーブは、その女性のなれの果ての残骸の傍で青い色の輝きが増し不気味な明滅を始めている。
突然の凄惨な光景を茫然と眺めるだけだった教皇国の男達は、やっと現実味が出てきたのか我に返ると震えおののき騒ぎ始めた。
「な、なんだ、これは」
「ひいぃ、逃げろ」
俺達から気絶させられていないその教皇国の男二人はそう言うと階段の方向へ逃げようとする。
言葉が出てこない様子のもう一人のマクレーンはアワアワと意味のない声を発しながら、やはり階段の方へ逃げようとするが、足がもつれてこけてしまう。
俺はこの広い部屋の唯一の出入り口である階段とオーブの中間に位置している。両翼に位置しているガスランとエリーゼには少し下がるように指示をして、こけたマクレーンを助け起こしながら俺は言う。
「ちょっと待て。お前ら一人ずつ仲間を担いで行け」
気絶している男三人をマクレーン達にそれぞれ一人ずつ抱えさせると、すぐにニーナと兵士が彼らを階段へ追い立てた。
俺の傍まで下がってきたガスランとエリーゼは二人ともヴォルメイスの盾を構えながらじっとオーブを見て警戒を続けていたが、俺の更なる指示で二人もニーナの後を追うように階段の方へ後退を始めた。
オルディスさんは大司教達の武装解除などを兵士とニーナに指示をしてしまってから、俺の傍に来た。
「今のは何だったのか分かったかい?」
そう小声で尋ねてきたオルディスさんに合わせて俺も小さな声で答える。教皇国側の人間には聞かれたくない話だからだ。
「今のは光魔法でした…」
「えっ? 光だったのか…。時間の流れが極端に速くなって一気に年を取ってしまったように見えたけど…」
全体を俯瞰する為に弓を構えたニーナ達の後ろで剣を構えていたオルディスさんは、オーブに触れて死んだ女性の一部始終もはっきりと見ていたようで、そんなことを言った。
俺はオーブの監視を続けながら、さっきからずっと並列思考がフル回転している。
オーブが発したものが魔法解析スキルで光魔法だと判って、そのことに強い違和感を感じ、解析結果を否定したい気持ちになっているのは他ならぬ俺自身だからだ。
「仮に時空魔法だとして…、あんなに一気に老化して朽ちてしまうほど時間進行を速めるのはこんな小さな魔力消費では不可能です。遅延と違って時間を加速するのは神でさえ簡単には発動できない大規模魔法ですから」
俺が光と時空持ちだということをよく知っているからだろう。オルディスさんは納得したような口調に変わる。
「なるほど…。ということは、もしかしたら光の浸食なのかもしれないね…。学院時代に伝説の古代魔法の一つとしてそういう魔法の話を聞いたことがある。本来攻撃性を持たない光魔法の唯一と言っていい攻撃魔法という話だった」
浸食…。言葉は少しアレだけど治癒魔法の真逆の作用なのか…。
「……あとで詳しく教えてくださいね」
俺がチラリとオルディスさんを見てそう言うと、オルディスさんは俺の肩に軽く手を添えた。
「うん。古代魔法で光魔法だからフェイリスの方が詳しいと思うんだけど、いいよ…。で、シュン。これからのことなんだが…」
「あー、これって…。このままにして撤退って訳にはいかないんでしょうね」
「こんな災厄の種を見つけてしまったら、それは出来ないね。と言っても教皇国の奴らをこのままという訳にもいかない。一旦離れてから考えようか」
「了解です」
◇◇◇
結局、階段を昇って神殿風の建物の外まで一時退却することになった。
まだ気絶中の教皇国の三名はマクレーン達に担がせて階段を昇る。
体力がないマクレーンがへとへとになりながら階段を昇っていても、奴のお仲間は誰も手助けはしなかった。自分の上司のはずなのに彼らはマクレーンを気遣う様子も見せない。
「ほら、遅い。さっさと上がって」
ニーナにそう檄を飛ばされても、初めの頃はブツブツと文句を言っていたマクレーンだったがすぐに言い返す気力も無くなっている様子だ。
階段を昇り切ってしまうと、先に上がっていた兵士が俺達とは別動隊となっていた他の兵士全員を神殿の前に呼び集めていた。
その人数の多さを見て諦めの気持ちが増したのだろう、教皇国の連中は階段を仲間を担いで昇った疲れ以上に脱力していた。
しかしマクレーンは、つい今しがた見たばかりの女性の凄惨な死に様のショックが少し和らいできたのか、独りだけ目をギラギラさせ始めている。隙あらばと真剣に逃げることを考えているのが見え見えである。
そんな様子に気付かないほど今回同行している辺境伯軍の精鋭達は甘くない。
皆がそれとなくマクレーンの様子を見ている。
兵士やマクレーン達とは少し離れた所で、俺達四人とオルディスさん、更には上で待ち伏せの指揮をしていたこの隊の副官を交えて相談。俺はマクレーン達には聞こえないよう遮音結界を張る。
青い殺人オーブから発せられたのは光魔法だと言った俺にニーナが眉を顰めた。
「てことは、やっぱりあれはレヴィアオーブじゃなかったということ?」
「そう。鑑定で見えた名は『
「あれはシュンが言ったようにトラップだろうね。多分、神殿が仕掛けたものだろう」
俺に続いてオルディスさんがそう答えた。
俺と同じように、神殿のトラップにしては生々しいというか過激な印象を持ったのか難しい顔つきのガスランに向かって俺は言う。
「魔族は光魔法が使えない。俺は、ほぼ間違いなくそうだと思ってる。だからルインオーブの仕掛けは不可能なはずなんだ。そう考えると、あのルインオーブは神殿が仕掛けたレヴィアオーブに似せたトラップなんだろうなと、消去法みたいな感じだけどそう思ってるよ」
俺に頷いたガスランは続けて、おそらくは皆の頭の中にある疑問を口にする。
「レヴィアオーブはどこに?」
「うん…。もしあそこに在るとしたら台座の中か下が怪しいと思ってるんだけど、見てみないと何とも…。あの台座妙に綺麗だっただろ。あれ全部ミスリルだぞ、混じり物無しの100%純ミスリル。ただの台座にしては怪しいよな」
「なっ…」
「あんな大きな物が全部ミスリル…」
「「「……」」」
問題はルインオーブがどんな動作をするのかが解らないこと。
さっきの様子から推測できるのは、触らなければ害は無いかもしれないということだが、それとて当てになる話ではない。近づいたらダメなのかもしれないし。
そして、他にトラップが無いとは限らないのだ。
当時の神殿がレヴィアオーブを封印したのはやむを得ない事情があったんだろうけど、それの対処をしなければならなくなった俺達、後世の人間の身にもなって欲しいものである。
早速オルディスさんが教皇国の連中から聞き出した話によると、トラップがあるのを想定していたということまでは無かったのかもしれないがマクレーン達も封印を解除してからの手順は考えて準備していたようだ。ちゃんとオーブの真贋を調べる為の魔道具も持っていたらしい。
そんな手筈を台無しにしてしまったのは俺達のせいのようだが、当然ながら俺達に罪悪感など欠片もある訳が無い。仕掛けてきたのはそっちだろ、という感じ。
六人で話しながら、結局あの殺人オーブには正面から対峙してみるしかないのかと諦めの気持ちが沸いてきた時、何やら騒々しい雰囲気が感じられてきて、俺は遮音結界を停止した。
見ると、拘束されていたはずのマクレーンが縛っていたロープを解いて逃げ出したところだった。しかしあの体力の無さだ。すぐに兵士達に追いかけられてまた拘束されるのはまず間違いない。
解かれたロープを見ると魔法の痕跡がある。
「意外と魔法の能力はあるみたいで普通のロープじゃダメみたいですね。器用にロープを土魔法で切断してます」
この短時間に魔法の発動を周囲に感じさせずにやったのだとしたら、それはある意味才能である。大司教の肩書は伊達ではないということ。
て言うかここで、よりによって攻撃系の魔法使うなよ。オーブがどんな反応するか分からないと言っただろうが…。
見ていると意外な俊足でドームの端まで走って行ったマクレーンがピタリと立ち止まった。大きな声で怒鳴っているのが聞こえてくる。
「そこをどけ。誰の指示でここまで入ってきたんだ!」
マクレーンが走り込もうとしたキラーアントの通路に探査で見えているのはクイーンだ。クイーンの後ろにはキラーアントが数匹従っている。
クイーンもキラーアント達も魔道具による指示ではないので、当然ながらマクレーンがいくら怒鳴っても言う事を聞くはずもない。
そうして自分達が使役していたはずのキラーアントに行く手を阻まれたマクレーンは、なおも進んでくるクイーンに近付けず後ずさりを始めた。
「この虫けらどもが!」
クイーンに悪態を吐き続けているマクレーンの見苦しさと、この一連のドタバタの滑稽さに皆が苦笑を浮かべ始めた時、エリーゼが叫ぶ。
「クイーンから離れて!」
そう。俺もエリーゼとほぼ同時に感じていた。
それは、クイーンの中にふつふつと沸き上がっている感情の動きのようなもの。
俺は間に合わないと思いながら縮地を駆使してマクレーンの元に走り始める。
少し遅れてガスランが付いて来る。
エリーゼとニーナは兵士へ警戒を呼びかけた。
キュッ、キュッ…。
どこか物悲しい声のように聞こえたその鳴き声は、クイーンの心の中の葛藤の現れだったのだろうか。
俺が辿り着く寸前に、これまでに見せたことが無い俊敏な動きのクイーンによってマクレーンの身体がかみ砕かれた。
◇◇◇
「いてえよ…。おい、何とかしろ」
倒れたマクレーンが、駆け付けた俺に言った言葉がそれだった。
クイーンと他のキラーアント達もニーナが加重魔法で拘束。だがクイーンには暴れたり抵抗するようなそんな素振りは無く、ただじっと静かにしている。
ドームの中では魔法はなるべく使わない方がいいと思っているけど、こんなことになってしまったら止むを得ない。
マクレーンは背中側から腰の少し上、腹部をほぼ半分ほどひねり潰したように切り裂かれていて、内臓の破片がバラ撒かれてしまっている。
この状態でまだ喋れるのが不思議だ。
しかし、もう手の施しようがないというのがすぐに分かった。
「こんなはずじゃなかった…。こんなのおかしいだろ…」
「もう喋るな」
「いや、俺はもう死ぬ。だから言いたいこと言わせろ」
「……」
そう言いながら、マクレーンは目を閉じて黙った。
まだ息はあるが風前の灯火。
痛みが酷くて苦しむようならスタンで眠らせてやろうと思う。しかしそれは必要なさそうだ。
「ふぅ…、痛いのも通り越した。苦しいだけだな…」
再び目を開けたマクレーンは、弱々しい声でそう呟くように言うと俺をじっと見つめた。
「そうか…」
『転生なんかしなければよかった…』
驚いたことにマクレーンが呟いた言葉は日本語だった。
俺は彼の顔を覗き込んで日本語で問いかける。
『マクレーン。お前、日本人だったのか…?』
『あー、なんだ。お前も転生者か。こりゃ笑える』
その笑いはむせて、マクレーンは息を吐くたびに血を噴き上げ始める。
それでもマクレーンは言葉を続ける。
『だったらお前もレヴィアオーブが目的か…。ちぇっ、俺の方が先だったのにな』
『だったらってどういう意味だ』
『あ? 知らなくて来てるのか…? 仕方ない。最後だから教えてやるよ。レヴィアオーブはな…、転生者しか持つことが出来ない、使えない物だ。万能の神器。世界が手に入るぞ…。俺みたいなよわよわでも強くなれるんだ』
考え込んだ俺を見てマクレーンはニヤリと笑う。
しかし、その笑いは突然真顔に変わって彼は目を閉じた。
『もう一度、お袋の飯食いたかった…。カレーライス、食べたい…』
それがマクレーンの最後の言葉だった。
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