第216話 辺境の異変
倒していく傍からその空白を埋めるように周囲からまた押し寄せて来るスライムの群れ。それでも探査の反応では確実にその数が減っているのが判っている。エリーゼが放つ矢で一気に数を減らしていくからだ。
ベラスタルの弓、それは無限の矢をコストを支払うことなく放つことが出来るものだが、今エリーゼが放つ矢には全て電撃の魔法が付与されている。この魔法の付与にはさすがにコストがかかる。相応のMPを消費するのだ。
「エリーゼ、そんなに急がなくてもいいよ」
「あ、うん。大丈夫よ。MPは全然余裕だから、さっさと終わらせるよ」
俺達に押し寄せつつも取り囲もうと広がるスライムの群れを重力魔法で抑えつけているニーナの言葉に、エリーゼは微笑みながらそう答えた。
ニーナの魔法の範囲から外れている個体を俺とガスランは次々に電撃や斬撃で潰している。
そして、エリーゼの言葉通りにそれほど時間はかからずそんな攻防は終わりを告げた。
離れた所に、若干のはぐれスライムは残っているが、既に群体としての動きではなくなっている。こちらに近付く奴はガスランが撃っている。それももうあとは放置でもいいだろう。
「最初の三分の一ぐらいに数が減ってしまうと割と大人しくなったね」
「そうだな…」
「ボス居なかったよね」
「居なかった」
と、ノンビリ話しているが問題はまだ残っていて、むしろ大変なのはこれからだ。
ニーナが少し自嘲するような笑みを浮かべて言う。
「で…、どうする? これ…」
「あー、どうしよっか…」
俺達の目の前には大量のスライムの体液が、まるで大雨が降った後のたくさんの水たまりのようになって広がっている。
取り敢えずは、軍の中隊の兵士達の物だったと思われる武器や装備品などを回収することにした。スライムは金属を好まず、体外に排出してしまう。今、体液の水たまりの中にポツポツと見えている物はそういう類だ。装備の革の部分などは無くなっているので、パーツがバラけてしまっていたりして大変。
俺達は街道にシートを広げて、水たまりから拾ってクリーンをかけてしまった物はそこに並べていく。スライムをやっつけるよりも手間も時間も掛かる作業だ。
俺達がそんな地味な作業を続けていると、街の方から人が近付いてくる。約20人で全員騎乗している。
「今度は騎馬兵だ」
俺がそう説明するとニーナは頷いて言う。
「遅い、と言いたいけど。まあ丁度良かったよね。これを引き渡せる」
「魔法師が居たら、この水たまりの処理を手伝ってもらいましょ」
「そうしよう」
すぐに俺達の所にやって来た騎馬の一団。その先頭には顔見知りが居た。
それはオルディス・ルクセイン男爵、辺境伯側近で俺達が前回メアジェスタを訪れた時に領主のレゴラスさんと共にとても親身に接してくれた人物。
オルディスさんは俺達に一瞬だけ微笑を見せて言う。
「アルヴィースが来ているというのは本当だったんだね」
「オルディスさんお久しぶりです。スライムの群れをやっつけて、今、その後始末してるとこなんですけど、この通りいろいろ残ってるんで焼いてしまう訳にもいかなくて」
うんうんと頷いたオルディスさんは厳しい表情に戻ってすぐに兵士へ指示。そして俺達の作業を引き継ぐように兵士達は物の回収を始めた。
◇◇◇
結局、乗合馬車の運行が再開したのはその翌々日。そしてその間はオルディスさんから是非自分の屋敷にと言われて世話になった。オルディスさんは正真正銘の独身貴族なので屋敷は広すぎて持て余し気味だと笑っていた。
「あと数日でレゴラスが戻って来るんだが…」
領主自ら辺境伯領北部の魔物討伐に赴いているレゴラスさんの話だ。そんな言葉でオルディスさんから引き留められたが、俺達はロフキュールへ発つことにした。
メアジェスタからロフキュールは馬車で三日の距離。宿場町で一泊の後に野営一泊が必要で、その野営地は軍の駐留地だ。街道の安全確保のために軍の部隊が駐留しているのは辺境が近いこの辺りならではのこと。
そしてその野営の日は以前と同様に、駐留地の一角に在る乗合馬車の乗客専用の野営場所に俺達はテントを張った。スライム騒ぎの後やっと動いている乗合馬車なので、待っていた乗客が多く乗るのだろうと思っていたら実際には逆だったようで、まだ様子見をしている人が多いのか乗客は少なかった。
夕食を済ませて、そのテントの前に出した長椅子などで俺達が寛いでいた時に異変は起きた。探査に多数の反応。
「ゴブリンだ…。多いぞ。北東から接近中」
「…700以上。いや、まだ増えてる」
ニーナとガスランはすぐにテントなどの片づけを始めた。
駐留地は柵で囲まれている程度の簡易な造り。決して防御力が高い訳ではない。乗合馬車の乗客達の野営地の最も近くに立っている歩哨に俺は声をかける。
「ゴブリンの集団がこちらに近付いている。ここの責任者にそう伝えてくれ」
「は? 何を言ってるんだ。どうしてそんなことが分かるんだ」
「説明している暇はない。さっさと体勢を整えないと全滅するぞ」
歩哨が大声を出したせいで近くに居た他の兵も何人か集まって来る。
集まってきた兵達からもこれ以上騒ぐなら追い出すぞと言われ始めたので、俺は説得を諦める。
「とにかく乗客達だけでも建物の中に入れてやってくれ。俺達は追い出されてもいいから。いいな、頼んだぞ」
その時にはニーナ達に説得され連れられた乗客達がそこに近付いて来ていた。
「俺は気配察知のスキルを持っている。ゴブリンの集団が少なくとも約700。ここに向かって真っすぐ進んできている。建物に籠って決して中に入られないよう防ぐんだ」
乗客達にそう言った俺が目で示した合図にエリーゼが頷いて、ニーナとガスランに声をかける。エリーゼとガスランが走って柵の外に向かう。
この暗闇に紛れられたら、いくら俺とエリーゼに探査スキルがあると言っても視認する必要がある魔法の類などでは撃ち漏らしが相当数出てくるのは必然。それじゃなくてもゴブリンは狡猾だ。すぐに散会して柵の中に入って来るだろう。
「急げ、あまり猶予は無い」
俺はもう一度乗客達にそう言って、待っているニーナと共にエリーゼ達の後を追おうと足を踏み出した。
「あんた達はどうするんだ」
乗客の一人がそんな俺の背中に声をかけてきた。
足を停めた俺は、声をかけてきた男に振り向いて答える。
「柵の外でゴブリンを迎え撃つ」
俺とニーナがエリーゼとガスランが居る所に着いた時には、既にゴブリンが視認できる距離に近付いていた。少し暗視効果がある首飾りのおかげで照明が無くてもそれなりにゴブリンの姿が見えているが、もちろん万全ではない。
「散開される前になるべく多く叩こう。おそらく回り込んで柵の中に入って来る。それをなるべく阻止しよう」
「「「了解」」」
探査の反応は増え続けていて、約千体のゴブリンは既に大きく二つの群れに分かれている。ほぼ半分ずつという感じ。辺境外縁の森に最短距離の方向となる北東から一つ。そしてもう一つは東から。どちらも遮蔽物はほとんどない平原だ。
そろそろ距離は十分。ゴブリンが立てる物音が聞こえ始めている。
「ライトで照らしたら攻撃開始だ。3、2、1、」
ゼロ。そう言った時には、俺は巨大な光球を二つ空高くに作りだしていた。一つは北東方向のゴブリンと俺達との間。もう一つは東のゴブリンと駐留施設との間にも。
エリーゼとニーナが矢を次々に放ち始める。ガスランは斬撃と爆炎。俺は雷撃散弾を連射。ガスランの爆炎の大きな音と俺の散弾の音が響き、矢が次々とゴブリン達に襲い掛かる。
グギャグギャと騒ぎ立てるゴブリン達は、逃げ回っているばかり。攻撃は俺達が居る駐留地の方向からだと解っているはずなのだが、奴らの最後尾の辺りにも撃ち込んでいるガスランの爆炎がいい目くらましになっている。あたかも全方位から攻撃されているように感じている事だろう。こちらの群れの約500体のうち400体は初撃からの一連の4人での一斉攻撃で葬った。
「よし、二手に分かれようか」
「「「了解」」」
直前に打ち合わせた通りに、俺とガスランは東側へ走る。エリーゼとニーナは残っているゴブリンを拘束しながらの確実な掃討だ。エリーゼがライトの光球を3つ打ち上げて、そしてすぐに矢を放ち始めたのが分かった。ニーナは自分達の周りに防御用そしてゴブリン達にはそれぞれ拘束する為と、重力魔法を幾つか同時使用している。
東側からの群れは既に散開を始めている。全てを柵に近付けないようにするのはかなり難しい。そこは、そろそろ状況を理解したはずの兵士達にも頑張ってもらうしか無いだろう。その兵士たちが居る施設の方に向かって俺は叫ぶ。
「東からもゴブリンが来てるぞ。迎え撃て!」
まだ明々と光を放っていた光球に、俺は更に追加して広い範囲で光球を打ち上げる。最初の光球から遠ざかるようにして闇に紛れるつもりだったゴブリンは戸惑いを隠せないでいる。足を停めてしまっている奴も多い。
そして兵士達の矢がそんなゴブリンに向けて飛び始めた。
「やっとか…。遅いよ」
俺はそう呟きながら散弾と雷撃の両方を撃ち続けた。
しかし、それでも柵に辿り着くゴブリンが増えてきて、建物の間に入り込まれている。その時、そんな状況が見えているのだろう、駐留地の真ん中の上空にエリーゼがライトの光球を打ち上げた。
「ガスラン、そろそろエリーゼ達は終わってこっちに合流するはずだ。エリーゼとニーナと三人で柵の内側に居る奴を潰していってくれ。俺は外に居る奴らをもう少し削って来る」
「了解」
この駐留地には兵士が約50人居る。10人程が乗客が逃げ込んだ建物、おそらくこの駐留地で最も大きな建物に居る。他の40人はあちこちで戦闘が始まっている様子に右往左往していたが、やっと統率された行動になってきたようだ。
俺はまだ柵の外に居る探査で見えるゴブリンを順に撃破していく。縮地で近付いて雷撃か散弾で撃つ。
逃げ始めたゴブリンも追いかけて派手に散弾で打ち砕いていると、ゴブリン達の逃げ足が速くなった。それでも縮地で追いついて個別撃破を続けた。
探査で見えている駐留地の中に居るゴブリンの最後の一体の反応が消えた時、俺も追撃を止めた。逃げてしまったゴブリンは約30体。
駐留地に戻ってテントをまた設営した俺達はテーブルと椅子も出して、そこでお茶を飲んで寛ぐ。エリーゼとニーナが幾つかお菓子の類も出した。もちろん能動的探査の網は広げたままだ。
「申し訳ありませんでした。警告を受けてすぐに対応すべきでした」
駐留地の軍の責任者はそんなことを言って何度も頭を下げてきた。
どうやら乗客が、俺達と兵士達の最初のやり取りを話して文句を言ったようだ。
ゴブリンの死体の回収は兵がやることになった。俺は明るくなってからでもいいような気がしたが、彼らは既にその作業を開始している。
乗客は今日はそのまま施設の中で休むらしい。あと数時間で夜は明けてしまうが、俺達も交代で少し休むことにして最初はエリーゼとニーナがテントに入った。
俺はガスランと二人で焚火の傍に座っている。
「ガスラン…。なんかおかしいと思わないか?」
「スライム、ゴブリン。別々にどちらも千匹」
「意図的だよな…」
「うん。誰かが操ってる」
「ガスラン。俺…、今レイティアのこと思い出してるよ」
「俺も。あの時どうやって魔物を操ったのか結局分かってない」
「ロフキュールで情報集めないとな。多分、ステラも手伝ってくれるだろう」
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