第209話 時空魔法
イレーネがあたかも自分自身を爆発させたかのように体内から弾け、そして身体全てが溶けて、その結果現れた赤い半透明のジェル状の化け物。それは軟体の魔物のようにウネウネと蠢き、触手のように身体の一部を伸ばしたりその軟体の身体で体当たりをするように攻撃を仕掛けてくる。
こちらの攻撃を受けても瞬く間に復元してしまう。爆破するように吹き飛ばしても切り刻んでもあっという間に再結合しているかのように元通りになってしまう。
ガスランとエリーゼは、女近衛騎士達と共にフェイリスを守りながら少しずつ俺とニーナが居る方に後退してきている。
イレーネの精神操作は欲望を異常に高めているもの。冷静な思考や理性も抑えつけられてしまうほど強力だ。欲望が満たされる為の条件が設定されていることは間違いがなく、それがフェイリスと俺達に危害を加えることになっているようだ。
橋のたもと近くまで後退して来たガスランに俺は大きな声で言う。
「ガスラン! 俺と交代しよう!」
「了解!」
「いいよ、行って」
石棺を赤い軟体の手が届かない高さの空中に留めて、こちらへの攻撃は加重魔法で跳ね返し続けているニーナが俺に頷いた。しばらく一人で頼むぞと俺は目で訴えた。
俺はガスランとスイッチして、フェイリスの周囲の男兵士達にスタンの連射。スタンの撃ち手が二人になったので少し余裕が出来る。但し、次々と剣を振りながら迫って来てすぐに混戦状態になってしまい、まとめてはなかなか撃ちづらい。
救いは魅了されている兵士達は動作が緩慢になっていること。
彼らの心の中のどこかで、これは自分の意志じゃないというブレーキがかかっているのかも知れない。そんな気がした。
剣を構えているエリーゼがスタンを撃ちながら俺に言う。
「シュン、少し時間稼いで。取り敢えず今見えている範囲に一斉に撃つよ」
「了解…。よし、今だ」
俺は更に周囲にスタンを連射。それに合わせるように近衛騎士達も目の前の兵士を押し返し始める。
剣からベラスタルの弓に持ち替えたエリーゼは、周囲を見渡して集中している。
「スタンの矢を撃つよ」
そう言ってエリーゼが放った矢は百本を越えていた。一気に男性兵士達にその矢が乱れ飛ぶ。放つ矢に弓を使う者の魔法を付与することが出来るベラスタルの弓。矢の全てにスタンが付与されている。
「もう一度」
再びたくさんのスタンの矢が放たれる。
ベラスタルの弓の特性で、放たれた時の照準を追尾していく矢が次々に男性兵士達に刺さり、そんな男性兵士達が一斉にその場に崩れ落ちた。
バラバラに小集団になって抵抗していた女性兵士や騎士達が、この機会を逃してなるものかとこちらに集まってくる。すぐ、集まってきた彼女達に近衛騎士や軍の指揮官が指示を出し始める。フェイリスに指示された近衛騎士がエリーゼの周囲を手厚くした。そしてエリーゼはまた矢を放つ。
こっちはエリーゼと彼女達に任せて大丈夫そうだ。
ニーナの傍に戻った俺はもう一度、元イレーネである巨大赤スライムもどきの体内を魔力探査する。一度捉えたものなのでそんなに時間はかからない。
ガスランと一緒に、主にニーナに向かって伸びてくる赤い触手を打ち砕きながらニーナに言う。
「ニーナ、この赤スライム。奥の方に誘導してくれるか? もう少しフェイリス達から離したい」
「何か策はある?」
「核が見えてきたからレールガンで撃ってみるよ」
「りょーかい…。ほら、これが欲しいんでしょ。食いつけ!」
ニーナが石棺を小島の奥、泉の水の上の方に移動させて少し高度を下げると、赤い軟体が石棺目指して伸びる。
「撃つ」
雷撃砲 ズギュンッッッ
狙ったのは赤い軟体の中の魔核。この魔核は魔物や魔族の物とは異なる。ガスランやフェルとも違う。
綺麗に魔核を撃ち抜いた雷撃の光が治まると、凍り付いたように赤い軟体の動きが止まった。空中に伸びた中間辺りに魔核があったため、そこで上下二つに千切れている。復元はされない。折れ曲がるようにしてルミエルを包み込んでいる上の部分は泉の中に落ちて、下の方はその場に倒れ込んだ。
「ガスラン、一応焼いておいてくれ」
俺はガスランに軟体の下半分だったものを示しながらそう言って、ニーナには石棺を元の石造りの建物があった、今は天井も柱も吹き飛んで石の床だけになっている所に降ろさせた。
ニーナは高級MP回復ポーションを飲みながら言う。
「ふぅ~、これものスッゴク重かったわよ」
「ちょっと休んでてくれ。まだ終わっていない」
イレーネ由来の赤い軟体が引き続き発していた人間の男だけに作用する精神操作は、俺が魔核を撃ち抜いた時に止まった。
フェイリスが、目が醒めたような状態で戸惑っている男兵士達に退避の指示を出した。たくさんのスタンで眠っている者達は取り敢えずは放置である。
エリーゼが俺達の所に戻って来る。
「ルミエルはどうなったの?」
「彼女は既に半分人間じゃなくなってる。そして、その水の中だ。まだ生きてる」
その時、俺のそんな言葉が聞こえていたかのように、スーッと泉の中から浮かび上がって来たもの。
「ルークさん、酷いですよ。痛かったです」
妙に通る声でそう言ったのは、泉の水の上に立っているルミエルだ。
ルミエルを見たエリーゼが小さな声で俺に言う。
「これって…」
「うん、イレーネとも少し違う」
ルミエルは周囲を見渡している。
と思ったら次の瞬間、石棺の横に立っていた。
「それはやめておいた方がいいと思うぞ」
俺はそう言って、ルミエルが石棺に伸ばしていた手を女神の剣で叩き切った。
ルミエルも俺も、この瞬間的な移動に使ったのは縮地スキル。
すかさず、また元の水の上に戻ったルミエルは、無くなった自分の右手の手首から先の方を見る。
「ルミエル、大人しく捕まってくれる気は無いか? そしたらもう痛い思いはしなくて済むぞ」
俺はガスランに目で合図。ガスランは眉を上げて俺を見るとすぐに頷いた。
ルミエルは俺の声には答えず無言で自分の右手を復元する。
雰囲気が変わっているのに気が付いた俺は、探査と鑑定で様子を見る。
更に融合が進んだのか。速いな…。
次の瞬間には、今度は俺の方に飛んできたルミエルを迎え撃つ。
赤い血の色をした両刃の剣をルミエルは俺に切り付けていた。
ガキィンンンッ
轟音が響く。
すぐに女神の剣で受け止めていた俺はルミエルと鍔迫り合いの形になる。
「その程度じゃ遅いぞ、ルミエル」
「……」
ガスランがニーナとエリーゼを庇う位置取りに着いたことを確認した俺は攻勢をかける。至近距離で放った俺の雷撃をかろうじて赤い剣で打ち払ったルミエルは、すかさず空中に飛び上がる。
上空からルミエルが放って来たのは氷血の矢。
幾つも飛んでくる凍った血の矢じり、その一つ一つに呪いが付与されている。
「なんて贅沢な魔力の使い方だよ」
俺は思わずそう呟いた。
ルミエルが上空に上がった時点から準備をしていたエリーゼが迎撃の矢を放つ。
矢と矢がぶつかり合う。エリーゼが放った矢は、一瞬のうちに氷血を消してしまって尚、その先へ飛んで行く。向かっているのはルミエルの居る所。
「くっ…」
逃げるように矢を躱し、そして思わず声が漏れてしまったのか。驚愕の表情を隠さずにルミエルはエリーゼを見た。
人間みたいな感情表現してるなと俺は一瞬思う。まだルミエルの人間の部分が少しは残っているのだろうか。
一瞬の後、予想通りルミエルはエリーゼの傍に飛んできた。が、そこに待っていたのはガンドゥーリルを構えるガスラン。そしてエリーゼはヴォルメイスの盾を構えている。魔法無効化の二重の壁だ。
ルミエルが振るった血の剣をガスランがガンドゥーリルの剣で受けた。ガンドゥーリルはそのまま赤い血の剣を消してしまう。そして剣を受けた勢いのままガスランがガンドゥーリルを振り切ってルミエルの腕を切り飛ばし身体も切り裂く。
ルミエルが大きく切り裂かれた身体を復元しようとした時、その場に縮地で飛んでいた俺はガスランが切り裂いた同じ所に女神の剣を突き刺した。
ガスランとエリーゼそしてニーナも、俺とルミエルから少し離れて身構える。
女神の剣を突き立てたままだからだろう、ルミエルは切り裂かれた状態の自分の身体を復元できない。
「な…、ぜ…」
悔しそうにルミエルがそう声を漏らした。
ずっと鑑定と魔力探査で見続けていて、今のルミエルにはイレーネと同じような魔核が存在し、独特な波長を出しているのが判る。少し前まで残っていた人間の生体魔力波はもう感じられない。
「お前達に食い物にされた人達も、同じ言葉を言ったんじゃないのか。お前達はそれになんて答えたんだ?」
俺を睨みつけるルミエルの視線が一瞬だけ逸れた。
まだ何かやって来るのか…?
ルミエルの体内で魔力が走り、そこに魔法が構築され始める。
「総員退避! フェイリス退避しろ!」
俺はそう叫びながら構築途中の魔法を分解していく。分解された個所を修復してルミエルは構築を進めていく。
「時空魔法だ。ガスラン皆を守れ! ヴォルメイスを使え!」
俺の分解のスピードの方が僅かに遅い。
ニーナが俺の後ろから叫ぶ。退避しろって言ったのに。
「シュン、そいつをぶっ飛ばすよ! 剣持ってかれないで」
「了解!」
ニーナの魔法発動に合わせて俺はルミエルから女神の剣を引き抜いた。
とんでもない威力の加重魔法がルミエルを弾き飛ばす。人間ならそれだけでおそらく全身が潰されて即死だろう。
しかしその刹那の直後、ルミエルの魔法も発動する。
三つのヴォルメイスの盾が並んだその陰に俺達4人は身を隠す。
エリーゼが持つ盾は俺が共に支え、ガスランは自分の盾とニーナが持つ盾の両方を支えた。
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