第208話

 木々の中に小さな川が流れ、その両脇に畑と共にあるハイエルフの小さな集落。集落と言うにはかなり建物などの質が良過ぎる感じがするが、戸数は50戸程と少ない。魔物が少ないことを想起させる家々の周囲を囲う簡易な柵はただ結界を張る為だけに在るようなもの。そんな集落のすぐ外側に軍団は野営地を設営した。

 軍団が到着して間もなくその集落、ハイエルフの里の代表者と思われる人物が数人の兵と共にやってきた。


「アミフェイリス陛下、ようこそおいで下さいました。本来ならばお帰りなさいませと申し上げるべきですが…」

「ふむ、帝国に恭順する意向は今しがたも口上で聞いた。ならばその証として全てを話せ。聖域と呼ぶその場所には何がある? そして魔鉱石との関連を説明せよ」


 まだ逡巡している様子が窺えたが、フェイリスが騎士達を下がらせて人払いの意志を示すと、里の代表者である男はやっと語り始めた。

「聖域には世界樹の種子と呼ばれるものが安置されております。それを隠し守るのが我々氏族の務め、使徒から命じられた使命なのです」


 よりによって世界樹の種子ときたか…。

 俺達4人は互いに目を合わせるが、黙って話を聞くことにする。


 ハイエルフの里の代表者、おさは続ける。

「この地で採掘できる魔鉱石はその種子の安定の為に使われております。だからこそ門外不出なのですが、最近新しい鉱脈が見つかったために…」

 フェイリスが尋ねる。

「魔鉱石とは何なのだ?」

「地中の高濃度の魔素が長い年月の間に強い力でゆっくりと凝縮硬質化した物です。そして、その上に落とされた種子だけが芽吹くと伝えられております」


「まだ芽吹くわけではなく、種子の安定の為に使うと言ったのは、何かまだ足りないものがあるからなのだな?」

「ご慧眼のとおりでございます。魔鉱石なしでは種子はすぐに朽ちてしまいます。しかし過剰な魔鉱石もまた種子を変質させます。安定させてただ待つことが私どもの役目です。創造神の光がそこに降り注ぐまで」


 ふむ…。いろいろ考えることは多いが今はそれは後回しだ。

 俺はハイエルフの里の長に尋ねる。

「過剰な魔鉱石による変質とは?」

「発芽に使われるはずのエネルギーが内部で飽和状態になり、いずれは種子は極めて魔力密度が高い真核になります」


「真核?」

「「「……」」」


 俺は続けて尋ねる。

「過剰な状態を起こすにはどうする? 自然には起こらないんだよな」

「大量の純度の高い魔鉱石の中に埋め込まれたような状態です。言い伝えでは、古代に一度だけそうなったことがあると言われておりますので、自然には起こらないかと言われると可能性はあると言わざるを得ません。だからこそ我々にこの使命が与えられたと思っております」


 フェイリスが考え込んでいた顔を上げて長に問う。

「その古代の真核はどうなったのだ?」

「邪神の手に渡ることを恐れた神殿が封印したと言われております」


 フェイリスは話は一旦終了とばかりに騎士達を呼んで指示を出し始めた。聖域の偵察と包囲が急務である。



 ◇◇◇



 里からまる一日、深い森の中を進んだ所に在る聖域のその周囲に何重にも張り巡らされていると聞いた結界は既に解除されていた。俺達の目の前には泉。その中央に小島がある。小島までの橋は石造りのしっかりしたもののようだ。そして小島には小さな石造りの建物。

 泉があるせいでなんとなく水攻めを受けた神殿を思い出してしまうが、あれほど大きな物ではなく、小さな民家程度の広さで壁は無く太い柱と天井だけが在る。

 探査で見えている反応は5。マーキングしておいたイレーネとルミエルの反応もある。


 この泉が見え始めて感じてきた異様な魔力の反応と異臭で、何が起きているのか想像してしまった俺はフェイリスに軍を下がらせた方がいいと言った。

「魅了の精神操作だ。これまでよりもかなり強力」

「シュン達は大丈夫なんだよね」

「俺達は心配ない」

 女神の指輪が仕事してくれている。


 フェイリスも十分に距離を取ったことを確認した俺達はその建物に近付く。


「やっと来てくれたんですね。さっきから遠くから見ているばかりでしたから、来ていただけるか不安になってしまいました。あら、髪の毛染めたんですか…。いいですね似合ってます」

 俺が建物の傍に来たところで、中からこちらを見ているイレーネがそう言って妖しく微笑んだ。その手には一人のぐったりした男性を掻き抱いている。どこにそんな力があるのか不自然なほどに容易く片手でその男性を自分の口に近付けて、男性の胸に唇を押し当てる。その男性の身体がビクンと痙攣した。

 俺は建物の敷居の部分に立ち、その後ろにガスラン、エリーゼとニーナが並んでいる。


 ルミエルはイレーネよりも少し建物の奥の方に横たわっているのが見える。それは分厚い石で出来ているであろう大きな正方形の石棺の上。彼女の身体のすぐ横、石棺の中央が開いていて、最も大きな魔力の反応はその中から滲み出ている。


 抱えていた男を床に降ろすとイレーネが言う。

「そう言えば。ルークさんには私の魅了は効かなかったんでしたね。たまにそういう男性が居るんですが…。何故です?」

「ん? まあ、それは企業秘密だ」

「そちらの方も平気そうですね。理由を教えてくれてもいいじゃないですか」

 ガスランをチラッと見たイレーネはそう言いながら次の男を抱え上げて、今度はその男の首筋に唇を押し当てた。


 吸血鬼みたいだなと俺はそんなことを思った。


 質問には答えず、俺はイレーネに言う。

「ところで、これから何をするつもりなんだ?」

「これから? いいえ、私はもう何もしませんよ」

 そう言うと男性を下に降ろした。


 男達は死んではいないが、生きてるとも言い難い状態だ。この泉に近付いた時から探査の反応はとても弱く消える寸前。命が尽きた直後のような状態だ。彼らはもう救えない。

「話し合いの余地は無さそうだな」

「そうですね。そろそろ私は終わりますから」


 終わる?


 疑問に思ったのも束の間、大きな魔力が膨れ上がるのを感じた。

「下がれ!」

 俺がそう叫ぶと、ガスラン達はスッと建物から10メートルほど距離をとった。

 魔力の波動はイレーネから。イレーネの身体が膨れ上がり始めて、その身体が顔が中からボコボコっと、まるで中で何かが手足を振り回して暴れているかのように凹凸を作る。膨れた身体に飲み込まれるように次第に頭も手足も無くなって一つの丸い肉塊に変わっていく。

 そしてその次の瞬間、元の肌の色のように白っぽかった肉塊の色が一瞬で赤く変わると崩れ落ちた。


 イレーネの身体が全て溶けてしまって現れた半透明の赤くドロドロした粘液状の物は、ペチャっと崩れ落ちた勢いでも周囲に飛び散ることは無くスッと床を流れる。それはまるでスライムなどの不定形の軟体の魔物のように。

 その赤いドロドロが、床に横たわっていた男達を全て包むように覆い尽くしてしまうと、その次にはボコッというくぐもった音を立てて、包んでいた盛り上がりが平坦になる。

 次々にそうやって男達を吸収するイレーネのなれの果ての赤いドロドロは、男達を吸収する度にその軟体の量が一気に増していく。


 赤い軟体は、そんな風に男達を吸収し始めた時から同時に建物の敷居の所に居る俺の方にもその身体を伸ばしてきている。迎撃はしている。しかし、それを雷撃で焼いても散弾で吹き飛ばしても瞬時に復元される。剣で斬っても手応えなど殆ど無く、軟体はその身体をすぐにまた結合して何事もなかったように元に戻ってしまう。

 その様子を見ていてキリがないと判断したニーナが範囲加重魔法で赤い軟体全体を押しやると俺への攻撃は止まるが、軟体は今度はその全体を大きく膨らませてニーナの重力魔法に対抗し始めた。

 そうしているうちに石棺の上に横たわるルミエルが赤い軟体の中に引きずり込まれる。男達と違うのは、ルミエルの反応は通常と変わりなく、気を失っているがまだ生きていること。


 ルミエルを殺してしまっていいのなら、とっくにレールガン撃つとこなんだが…。


「二ーナ、あの石棺をあいつの手が届かない所に持って行けるか」

 石棺はその半分ほどは赤いドロドロに浸っている状態だが、元イレーネの赤いドロドロ軟体はその石棺を覆い尽くしていない。それには何か理由があるように思えた。

「こっちに持ってきたら追ってきそうだけど…、分かった」

 ニーナはエリーゼと目で合図を交わしてから、建物の天井すれすれまで石棺を持ち上げた。


「もう少し下がって」

 エリーゼのその声で全員がまた下がる。

 石棺を追うように、縋りつくように赤い軟体が伸びるがそれもニーナが加重で抑えつけると質量で対抗すると言わんばかりに、一気に大きな赤い塊がその箱を目指して伸びる。

 ヒュン、と微かな音で放たれたのはベラスタルの弓を引いたエリーゼからの光の矢。それは幅広い光の帯のようだ。数百本の矢が光の板のようになって、箱に伸びた軟体を一気に切り裂いた。そして続けてエリーゼが弓を引くと、赤い軟体の全体に光の矢が雨のようにとめどなく撃ちこまれる。それでいてルミエルには当てていない。


 赤い軟体が、破壊されても復元を繰り返すさまは異様だ。その部分だけ時間を巻き戻しているのは理解しているが、それにしてもこの尽きることのない魔力はどこから来ているのか。


 その時、俺達のかなり後方のフェイリスが居る辺りで異変が起きる。戦闘が起きているのが判る。

「ガスラン、フェイリスを守れ!」

「了解!」

 ガスランはそう答えた時には既に全速で走り始めていた。


 ベラスタルの弓で撃たれ続けている赤い軟体が、取り戻したい石棺に手が出せない苛立ちを見せるかのように、いきなり横に大きくその軟体を伸ばした。それは正確に建物の隅にある柱二本を直撃。

 ドドドドドーン と石造りの小さな神殿のような建物が崩れ落ちる。


 ニーナが崩れる天井や瓦礫を弾き飛ばして、上が開いたならばと一気に石棺を上空に押し上げた。軟体はそれも追いかけて伸びてくる。先端部分にはルミエルを含んでいる。

「ちっ、ルミエルを避けているのが知られた」


 それはそうと、フェイリスが危ない。ガスランは既にフェイリスの傍に着いているが、かなりの人数が押し寄せている。フェイリスを守っているのは女近衛騎士達とガスランだ。どうやら男性騎士、男性兵士のほとんどが敵に回ったようだ。

 魅了の効果が強いだけではなく範囲がとんでもなく広くなっていて、風魔法による障壁もあまり意味を成していない。


 しかし、並列思考と魔力探査を駆使していた俺はその時になって、巨大に膨れ上がっている赤い軟体の中に探し続けていた物をやっと見つけた。


 俺は矢を放ち続けているエリーゼの方を見て言う。

「エリーゼ、ガスランの応援に行ってくれ! 首飾りを付けていない男は全員敵だ」


 フェイリスが居る所だけではなく、周囲に散開して居た兵達のあちこちで小競り合いが起きている。暴れ始めた男の騎士や兵を女性兵達が抑えつけている状況が繰り広げられている。


 俺が今回帝都を発つ前に準備した物。それはイレーネの、フェロモンの類なのだろうかあの香りを伴う精神操作への対抗手段。強化したアンチポイズンの効果が発揮する首飾りを作った。全員分はさすがに無理だったが、近衛騎士は全員、そして帝国騎士団と帝国軍の指揮官クラスまでは行き渡っている。

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