第175話

 地上への長い階段を昇り始めて、そのおよそ半分まで来た時に階段を照らしていた明かりが消えた。先頭を行くエリーゼがライトの光球を出す。

 一旦立ち止まって階段の下の方へ耳を澄ませ注意を向けていたニーナが言う。

「この階段の下まで水が来たってこと?」

「そうだ。どうやら、これを仕掛けた奴は完全に水没させたいみたいだな」

 俺はそう答えてからエリーゼに先を急ごうと目で合図をした。


 先頭はエリーゼ、その後にニーナとフェル。そしてガスランが続いて殿は俺。

 また昇り始めてしばらくすると、やはりフェルがばてた。

「ガスラン、フェルを」

「分かった」

 ガスランがフェルを背負うとエリーゼが階段を昇るペースを上げた。


 地表に出て皆の状態を確認した俺はすぐにまた階段に戻る。そして現在の水位を確認する。まだ水位の上昇は止まっていないが、少しそのペースは落ちてきたように思う。ドームの天頂部分は少し空気が残りそうだがドームの中はほぼ完全に水没ということ。


 俺はまた外に出て川の状態を見に行く。今居るこの中州の両側を流れる川に変化はないようだ。じゃあ、あの地下の水はどこから来たんだろう。俺はこの壮大なトラップの仕組みについて考える。そして、いつかこの水を綺麗に抜いてまたあの神殿の女神の像を拝みに行ってやる。そんなことも考えていた。


 その後、この界隈に留まることはせず強行軍でガスランの家まで帰ることにした俺達は、取り敢えず食べそびれていた食事を摂る。

「なんかスッキリしないけど、今回はここまでね」

 ニーナが言葉とは裏腹に割とすっきりした表情でそう言った。

「ゴブリンクイーンをギルドに引き渡さないといけない」

 ガスランがそう言ったのを聞いて、なんだか遠い昔のように感じてしまうゴブリンクイーンのことを俺は思い出した。

「あー、そう言えばそうだった」

「そうだったね。忘れてたよ」


 その日の夜中に俺達はガスランの家に帰り着いた。ゴブリンクイーンが住み着いていたあの洞窟はエリーゼの固体魔法できっちりと固めて封鎖。二度とゴブリン達が住み着かないように。


 一夜明けて、遅い朝食の時にガスランが訊いてくる。

「腕輪はどうする?」

「なんか、これホントに気難しいって感じだよな」

 俺はそう言いながら腕輪を取り出した。

 ニーナはその腕輪を見ながら首を振った。

「気難しいと言うか、適合するしないだよね。その条件が判ればいいんだけど」


 鑑定で判っているこの腕輪の効果は、絶対防御と気配察知だ。

 神性絶対防御との違いはまだ不明だが、絶対防御は最後の砦みたいなものだと思っているので、有って損はしない。ただ女神の指輪を持っている俺達に本当に必要かどうかは少し疑問。

 しかし、気配察知は有用だと思う。どの程度の精度で効果があるかは調べないといけないんだけどね。俺とエリーゼには必要ないので、これはガスランかニーナに持たせようと思って試したら、二人とも腕輪には好かれなかったようだ。ちなみに俺もダメだった。


 そうやって腕輪について三人で話していると、フェルを起こしにログハウスの方に行っていたエリーゼがまだ半分眠ってるようなフェルと共に戻って来る。

 椅子に座らせたフェルに料理を出し始めたエリーゼの方を向いてニーナが言う。

「エリーゼも腕輪試してみてよ」


 結論から言うとエリーゼもダメだった。

 魔法装具の類なので、腕輪の場合だと魔力を通すと伸縮性が出てきて腕に通せるはずなのだが、結局この腕輪は俺達4人の魔力はどれもお気に召さないらしくピクリとも反応する様子がない。



 ◇◇◇



 スウェーガルニに戻ってから、フェルはより一層真剣に訓練に取り組むようになった。いいことなのだが、どうやら冒険者魂に火が点いてしまった感じもする。

「頑張っていつかアルヴィースに入るの」

 と、そんなことを公言するようになった。

 リズさんは複雑な心境のようだ。

「強くなるのは良いことだけど、学校でしっかり冒険者以外のことも勉強してからの話よ」

 ニーナはリズさんの心情を慮ったのかフェルにそんなことを言っていた。


 そして、フェルは今回の大量のゴブリン討伐実績が認められて当然のようにEランクに上がった。これはフレイヤさんのひいき目があった訳じゃなく規定通り。本人は学校が始まるまでにCランクに上げておきたいと更に貪欲な姿勢を見せている。


 ベラスタルの弓を見たフレイヤさんは、エリーゼと同じように涙を零した。

「本物のユグドラシルなのね」

 涙を拭いながらフレイヤさんがそう言った。

 過去に何度もユグドラシルの枝だ葉だ根だと言われる物を見たことがあるらしく、そのことごとくが偽物だったという。

「シュン君、皆もありがとう。私にこの弓を見せてくれて」

 まだ涙を零しながら、そう言ってフレイヤさんは微笑んだ。



 そして、そろそろまたダンジョンかと考え始めていたら、指名依頼を受けて遠出をしていたバステフマークの5人が戻ってきた。

 俺達がフェルを連れて帰ってきた時には既にその仕事で街には居なかった。フレイヤさんが教えてくれたのは、代官のレオベルフさんから是非にと頼まれた要人警護だと。スタンピードのことやデュランセン伯爵領での事件など、一連の騒動で西部地区に興味を持った貴族の視察に警護と案内の為に同行したということ。


 久しぶりに一緒に食事をすることになって、皆が双頭龍の宿に集まっている。バステフマーク5人、俺達4人にフェル。リズさんは残業だそうだ。何気に騎士団ってブラック企業なんだよね。残業手当なんか無いし。

 その食事会の席で何度も叫んでいるのはシャーリーさん。

「貴族相手はもう嫌だ~」


 癖のある貴族だったのか相性が悪かったのか、シャーリーさんはその貴族に結構振り回されたっぼい。

 セイシェリスさんが一番苦労したんじゃないかと尋ねたら、笑いながら言う。

「私はそうでもなかったんだけど、シャーリーはよく話をしてたわ」

「と言うか。シャーリーは好かれてたんだ。あれは惚れた女を見る男の目だった」

「それ私も思った」

 ウィルさんの話に笑いながら同意を示したのはクリス。ティリアもうんうんと笑いながら頷いている。


 当のシャーリーさんはこちらの話は耳に入っていないみたいで、いつの間にかフェルの隣で熱心に話し込んでいる。どうやらロフキュールの武術大会のことを話しているようだ。ガスランの試合のことなどにフェルはまたもや興味津々である。



 楽しい食事会が終わって一同解散。ウィルさん達は自分達の宿に帰って行った。

 リズさんがまだ帰ってきていないのでフェルは俺達の部屋に。

 フェルは俺達の部屋の隣の部屋にリズさんと一緒に泊まっている。

 最近のフェルは、リズさんが居ないと俺達の部屋で本を読んだり話をして過ごしていることが多い。本は自分の部屋に持って行ってもいいのだが、基本寂しがり屋なのはここまでの付き合いで解っているので、いつも俺達の部屋で好きにさせている。


 それぞれが思い思いに過ごし始めてから、今日フレイヤさんから連絡が入り、時間が空いたからフェルの魔力循環の指導をするということでニーナがフェルを連れてギルドに行ったことを思い出した。

「そうだフェル。フレイヤさんの魔法の指導はどうだった?」

「あっ、あれ凄いよ。なんか身体の中をビュンビュン飛んでいくのが判るんだよ」


 ビュンビュン飛んで行く? フレイヤさんとの循環ってそんなにスピード感有ったか、あれ。まあ確かに少しずつ追っかけっこの速さは上がって行ったけど。


「もう自分でできるだろうって言われたから、ちょっとやってみるね。見てて」

 そう言ってフェルは、寝そべっていたソファから起き上がって持っていた本をテーブルに置いて座り直すと目を閉じた。


 俺は魔力探査でフェルの全身を見る。

 ほう…、確かに速い。いきなりここまで出来るのか。

 体内に持っている魔素、人の体内にある物はマナと呼ぶのが正しいのだが、それをかなり自由に動かしている。


 ひとしきり循環が終わると、上気した顔で目を開けたフェルは俺の顔色を窺うように見る。

「ふぅ…、どうだった? 今、自分では割とよく出来たと思ってるけど」

「いい感じだった。だけど、これ続けないと駄目だからな。最低でも今ぐらいの循環を三日に一度はやった方がいい」

「フレイヤ先生は毎日やれって言ってた」

「あー、最初はそうだな。俺もそうしてたし。MPがもっと上がったらそこまではしなくてもいいようになるよ」


「そっか…。あっ、それとフレイヤ先生以外の人と循環やるのはもっと後になって大きくなってからにしなさいって言われたよ」

「あっ、それはな…」

「その辺の詳しいことはシュンとエリーゼに聞きなさいって」


 エリーゼ頼む。説明してやってくれ。

 俺のそんな思いを込めた視線に吹き出しそうになりながらエリーゼは言う。

「私がその辺のことは教えてあげる。女の子だけの時にね」

 なんとなく、これ以上は今は追及しない方がいいというのはフェルも察したようで、その話はそれで終わった。

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