第98話

 少し経ってガスランが俺の肩に手を載せてきた。

「シュン、落ち着いて」

「……え? ああ、すまん」

 無意識に威圧を発してしまっていた俺は、皆にも謝る。

 ふうっと息を吐いた代官は、青い顔をしたままのメイドにお茶を淹れ直すよう指示をした。

 俺はエリーゼを抱き寄せたまま椅子に座らせる。エリーゼは俺にしがみついてただ黙って目を閉じている。椅子を寄せて俺も腰を下ろした。


 沈黙の中でお茶が配られて、それをひと口飲んだ頃に代官がレイティアのその他の情報を話し始めた。背恰好や愛人との関係はいつからだとか、そういう類である。そうしているうちにエリーゼも落ち着きを取り戻した。

 代官の話にキリが付いてから、俺はもう一度、皆に謝った。


「シュン達のこんな姿を見たのは二回目ね」

 ニーナに俺は頷く。


「代官、人払いをお願いできますか」

 代官は俺のその言葉に頷いて、すぐにそうしてくれる。


「ニーナ。スウェーダンジョンでニーナと俺達が会った、俺達が体調が悪いと言った時のことだ」

「うん、シュンとエリーゼがゴーレムキングをやっつけて降りていた階層でのことよね。シュン達、今と同じ。真っ青で震えていたわ」

 ニーナはエリーゼをまだ少し心配げに見て、そして俺に視線を移すとそう言った。


「ニーナが階段を降りて俺達の所へ来る直前、あの場所で俺とエリーゼは魔族の男と会っていた」

「は?……」


「事実だ」

「……魔族」

 ミレディさんが小さな声で呟いた。


「魔族の男は、俺達にドニテルベシュクと名乗った。奴は赤い唇と赤い目が異様に光っていて、自らを、古き世の使徒の末裔だと言った。俺とエリーゼが探査で得た反応は、とてつもなく強い魔物と同じものだったよ。

 互いに自己紹介してから目的を聞いたところ、どうやら偶然来たダンジョンで俺とエリーゼに、いや多分俺にだが興味を持ったので会いに来たと言っていた。そして俺が、お前は魔族なのかと尋ねたら、自分達がそう呼ばれていることは知っているという感じで肯定していた。

 その後すぐ、ニーナ達が近付いてきたのを察知して、残念だまた会おうと言って飛び去っていったんだ。

 ニーナに会ったあの時の直前の状況はそんな感じ」


 女神のことを話したのは言わない。


「シュンは、レイティアも同じ魔族じゃないかと思ったのね」

「偶然の一致ならいいんだけどな」


「赤い瞳は獣人種に多いので珍しくは有りませんが、ヒューマンとエルフでは私は見たことも聞いたこともありません」

 そう言ったのはミレディさん。


 獣人種とヒューマン、もしくは獣人種とエルフの混血で、外見的な獣人種の特徴が現れることはほとんど無い。血が薄れていっていると言われ、獣人種には純血主義を真面目に唱えている者が多いほどに危機感を持っている状況だが、いずれは獣人種たちの外見的な特徴は絶えてしまうだろうというのが半ば常識のようになっている。


「それにしても、魔族とは…。神話でしか聞いたことが無い私には俄かには信じられません」

 代官は難しい顔をしながらそう言った。


「俺とエリーゼが会って話をしたというだけですから、証明するものは何もありません。なので、一旦忘れていただいて構いません。ただ、出処は言えませんが魔族は多くは無いがまだ居るという、確かな話は聞いています」

 女神が明言していたからね。


「エルフの大軍勢と戦って滅んだという話なら私も知ってる」

 ニーナに俺は小さく頷いて答える。

「その戦いは事実らしい。但し、完全に滅んではいなかった」


 その後、フレイヤさんにはドニテルベシュクについて相談していることを説明。

 フレイヤさんから、ダンジョンをしばらく避けた方がいいとアドバイスされたこともあって、それ以来どこのダンジョンにも潜っていないことを話した。

 それを聞いたニーナが言う。

「だからなのね…。あの勢いでどんどん下に降りて行ってしまいそうだったのに変だなと思ってた」

「まあ、そういうことだ」


 俺の話がひと段落した空気を感じたのだろう、代官はメイドを呼ぶ為か立ち上がってドアを開けて、部屋から出ていく。

 しかしすぐに戻ってきた代官は手に包みを持っていて、それをミレディさんへ差し出した。

「ミレディさんにスウェーガルニから書簡が届いたようです」


 書簡を手に取ったミレディさんは、

「フレイヤさんからです」

 と言って封を開けて読み始めた。


 レッテガルニ滞在の延長を決めた時に、こちらの状況などを説明する書簡をミレディさんが送っていた。その返信という事なのだろう。


「スウェーガルニは今のところ特に変わったことは無いそうです。但し…」

 安堵のすぐ後に、ん? 今のところ? 但し? と思ってミレディさんを見ると、確認の為に読み直すように手紙に目を走らせながら続ける。

「ヴィシャルテンのゴブリン調査チームが壊滅。生存者はごく僅かだそうです」


 え? と俺達4人は絶句。代官も険しい表情。ヴィシャルテンでの姫の活躍はちゃんと話しているから、彼も詳細を知っている。

 丁度、俺達が公爵家の馬車でスウェーガルニへ向けて出発する時、その調査チームは門前に集合していたのだ。彼らがほとんど生きていないという事なのか…。


 続けます、と言ってミレディさんは俺達を一度見ていた視線を手紙に戻す。

「生存者が別の者から聞いた目撃情報として、ゴブリンの拠点があると思われた場所には魔法陣があり、そこから次々と約70体のゴブリンの上位種が現れたということです。そしてその群れが調査チームへ押し寄せて蹂躙した。と」


 何だと? 俺の頭の中には、いろんな思いと考えが渦巻き始めていた。


 ニーナが唇を噛みしめている。握っている手が微かに震えているのは、悔しいからだ。俺達だってそうだ。


「その群れは街に押し寄せることは無く、その後の動向は不明だそうです。尚、ヴィシャルテン、スウェーガルニ共に最上級の警戒態勢を続けている、と。

 そしてここからはフレイヤさんから、と言うよりスウェーガルニ支部とスウェーガルニの代官、レオベルフ・アークソルテ男爵。お二方からの指名依頼の話です」

「はい。聞かせてください」

 予想は付いているけど。


「フレイヤさんは、事態解明と収束の為にアルヴィースとバステフマークへ指名依頼をしたいそうです。特に魔法陣についてはシュンさんに絶対に確認して欲しいと」


 バステフマークの三人はドリスダンジョンに潜っているらしく、連絡が付き次第スウェーガルニへ戻ってくるはずだと。俺達もそうだが、バステフマークの三人がフレイヤさんの頼みを断るわけがない。


 俺は、頭を冷やしてきます。少し休憩しましょうと言って、お茶のお替りをメイドに頼んだ。綺麗なメイドはニッコリ微笑んで俺達全員に新しく紅茶を淹れ始める。手洗いに行って顔を洗った俺は、聞いた話を頭の中で何度も繰り返し、そして考え続けている。


 部屋に戻ると、お茶の良い香りが漂っていて心を穏やかに落ち着けてくれる。

 皆の複雑に揺れ動いていた気持ちも少し落ち着いてきたようだ。


「えっと…、ニーナ? お父さんに叱られたりしないよな」

「何言ってんの。私はアルヴィースのニーナよ。パーティーが行く所が私が行く所よ。父上のお叱りぐらい後でいくらでも受け止めて見せるわ」

「いや、叱られそうなのは俺なんだけど…」


 プッとエリーゼが吹き出した。ガスランもニヤニヤしている。ニーナは俺が言った意味を反芻しているところ。

 代官も笑いながら言う。

「公爵閣下は武人ですから、我が子が領民の為に戦いに赴くことを誉に思いこそすれ、可愛さのあまりそれから遠ざけるようなことはおっしゃいませんよ」

「本当ですか? もしそうじゃなくて怒られそうになったら、俺、国外逃亡しますからね」


 そんな風に冗談を言ったり笑い合ったりしながらも俺達は皆、点と点が繋がってきているような予感をヒシヒシと感じていた。

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