第4話

 部活とバイトで疲れ切ったケンは、バイト先の更衣室でテレビを見ていた。

(これで見つかった変死体は3人目となり、いずれも若い女性…)

「…疲れた…」

 疲労感に身を任せてニュースを聞き流していた。バイトの制服から着替えた後、帰宅する気力が湧かずにパイプイスへ身体を投げだすように座っている。そこへ、同じくバイトを終えた三浦望が入室してきた。

「おつかれさまです」

「おつかれさま」

「今日も忙しかったですね」

 望はロッカーの前にあるカーテンを引いて、自分とケンの間を遮る。ここは更衣室兼休憩所兼事務室になっている。男女別の着替え場所を確保するほどファミレスの敷地面積は豊かではなかった。

「ボク、外に出てるよ」

「いえ、気をつかってもらわなくても大丈夫です。……中嶋先輩のこと、信頼してますから」

「そう」

 信頼に応えてケンは背中を向けてテレビへ視線を送る。望は着替えを始めた。ファミレスの制服から学校の制服へ着替え終わると、やや赤面した顔でカーテンを開ける。

「その事件、隣の県なんですよね」

「みたいだね」

「先週、市内でも女子高生が通り魔にガラスで斬られたって……怖いですね」

「ぶっそうだな」

「はい。……」

「いっしょに帰ろうか。駅まで送るよ」

「はい、いいんですか? 中嶋先輩、遠回りになっちゃいますよ。とても、うれしいんですけど……疲れてるのに」

「いいって、いいって」

 優しい笑顔で後輩に返事をしたケンが立ち上がり、その隣を望が歩く。駅までの歩道を進みながら、望は当たり障りのない会話のあとに、訊きたかったことを混ぜた。

「美田さんとは、どういう関係なんですか?」

「どういうって……マコちゃんは転校してきて、テニス部に入ってくれて……それだけだよ」

「そうですか。……」

「……」

 ケンは質問された孫子のことを想い浮かべる。今日はテニス部にも弓道部にも参加せずに帰ったらしく放課後に姿を見ていない。

「……」

「……私も、ケンさんと同じ学校だったら、よかったのに……」

「そうだね」

「……鈍感」

「ぇ…?」

「中嶋先輩っ!」

 歩道の雑音と物思いのために、よく聞いていなかったケンの隙を突いた望からのキスが決まった。

「っ?!」

「……」

 ほんの一瞬のキスを終えて、望が潤んだ瞳で見上げてくる。

「…の……望ちゃん……」

「私は中嶋先輩のことが…」

「うっ」

 望の告白は途中でケンの様子が変わり中断された。そのケンが見ている先へ、望も視線を送る。ケンと同じ高校の女子が二人、道の向こう側にいた。

「……し、真藤さん……モッチー……どうして、ここに…」

 今まで生きてきた中で一番に動揺しているケンへ、道路を渡って茂木と由未が近づいてくる。

「なんやねん、それっ!!」

「…み…見て……?」

 愚問だった。二人の表情を見れば、訊くまでもないことだった。茂木は怒り、由未は無表情に近いが、強い不快感が伝わってくる。

「どういうことなんっ?!」

「…あ、……いや……これは…」

「あんたは女を何やと思うてんの?!」

 怒鳴る茂木は零れそうになった涙を乱暴に払って、ケンを睨む。

「歯ぁ喰いしばりぃや。代打やけど、覚悟しぃッ!」

 何も言わない由未に代わって殴打しようと、茂木が手を挙げた。

「やめて、モッチー」

「せやけどっ! 一発くらい! あんたが止めても、これは許せんことや!!」

「止めているわけじゃないわ。これは私の役目よ」

 茂木の前に出た由未が右手を一閃する。

 パシンっ!

 頬を打つ音が響き渡って通行人の何人かが、こちらを見ている。

「……」

 由未は叩いた手を左手で撫でると、黙り込んだ。

「……」

「ごめん、……真藤さん……でも、…ボクは…」

「待って! 待ってください! 私が悪いんですっ!! 私が勝手にっ! お二人が、どういう関係か、知らなくて! ごめんなさい! 本当に、ごめんなさいっ!」

 望が涙を零しながら叫んでいる。

「知らなかったんですっ! 本当に! ごめんなさいっ! 私が強引にキスしただけなんです! 中嶋先輩は何も悪くないんです! 本当に! ごめんなさいっ!」

「あんたが知らんかったことも、一つの問題ではあるんやけどね。あんたが悪いというより、ケンが悪いちゅー意味で」

「ああ、モッチーの言う通り、ボクが悪いんだ。真藤さん、…、……ボクは…」

「私も悪かったわ」

「え?」

 ケンは意外すぎることを言われて、間の抜けた声で応じてしまった。今の場合100%自分が悪いと思っているのに、あまりにも予想外だった。

「あなたに中途半端な気持ちで交際を申し込んで、ずっと、そのまま」

「……真藤さん…」

「気持ちが中途半端だったことに、今さっき気づいたもの。見せつけられてね」

「……」

「でも、私、傷ついてないわ。つまり、それだけ、あなたのことが、どうでもよかったのよ。交際してもらっておいて失礼な話ね。ちょっとハンサムでテニスができる、そんなところに漠然と惹かれただけ。もう、どうでもいいわ。ごめんなさい。煩わしかったでしょ。その点は謝っておくわ」

「…そんな……ボクの方こそ…」

 相手が関係の整理に入ってくると、ケンも不思議なほど未練もなく、別れ話に応じていく。

「…ボクこそ、悪かったよ」

「そうね。さっき叩いた分くらいには、あなたの方が悪いでしょうね。せめて、私との関係を終わらせてから、他の人と始めるべきよ。それは最低限のマナーでしょ」

「……ごめん……悪かった」

「わ、私が勝手にしたことなんです! 叩かれるのは、私の方っ!」

「三浦さん、だったかしら?」

「はい…」

「私は、この人と交際していたけれど、デートらしいことも、さっき三浦さんがしたようなことも、したことがなかったわ。交際といっても、ほんの一ヶ月くらいよ」

「……」

 どう答えていいか、わからないことを言われて純粋に困っている。

 由未は微笑んだ。

「可愛いわね。きっと、この人も三浦さんみたいな子が好みのタイプよ」

「……」

 ますます、どう答えていいか、わからない。

 由未は真顔になる。

「さようなら、三浦さんとも、あなたとも、もう二度と話したくないわ」

「「……」」

「帰りましょう。モッチー。約束のパフェは後日、別の店で、ということにしてもらえるかしら?」

「ぁ……うん……ええよ……ええけど……」

「もう、何も言わないで」

「……ユミリン……」

「何も言わないで」

 由未は踵を返して歩いていく。

「……。…ほな…」

 誰に言ったのか、どういう意味なのか判然としない一言を残して、茂木は由未のあとを追った。少し後ろを静かに歩く。

「……」

「……」

「モッチーは、帰り道、あっちでしょう?」

「頼むさかい、友人を心配させたってや。今夜くらい」

「……。別に、私は平気よ。傷ついてないわ」

「ほな、ウチを邪険にするのも、やめたってよ」

「……」

「家まで送らせたって」

「……そうね。この頃、母が変な勘ぐりをするの。ちょうど、いい機会だから挨拶していって。ついでに私に付き合っている男なんて、いないってことを証明しておいてちょうだい」

「……」

 あかん、これは重傷や、茂木は口の中だけで呟いて素直に由未の家を訪問する。由未の両親は茂木を歓迎してくれ、長居するつもりはなかったのに、明日が土曜日ということもあり、気がつけば宿泊させてもらうことになっていた。先に風呂をいただいた茂木が由未の部屋に入り、今度は由未が風呂に入る。

「……一応、伝えとくべきやろ……」

 由未とケンのことを孫子にも連絡しておくべきだと考え、電話をかけてみるが、繋がらなかった。メールで済ませる用件とは思えなかったので、数分おきに何度か発信してみたけれど、やはり電源さえ入れていないのか、それとも電波の届かないところにいるようだった。

「どこにおんねん。ケータイ切って寝とるんか」

 文句を言っているうちに由未がパジャマ姿であがってくる。

「ふぅ…」

 タメ息をつくとベッドに寝転がり、茂木へ背中を向けた。茂木も床に敷いた布団に寝転がる。

「なぁ」

「なにかしら」

「やっぱり言うとく方が、ええと思うし、言うんやけど…」

「彼のことなら、やめてちょうだい」

「あ、いや……その、……ケンがらみではあるんやけど、……マコのことなんや」

「……。…そう……」

 由未は孫子がケンに好意をよせていると思っている。そのケンが望としていたことを思い出して、表情を曇らせた。

「……」

 孫子のことを想うと、はじめて悲しい気持ちになった。

「どういうて、ええんか……」

「……そうね……、……気が重いわ…」

「ちゃう……そうや、ないねん」

「違う?」

「……あいつな……ケンのこと好きやちゅーん、ウソやねん」

「ウソ? どうして、また、そんな?」

「ケンとユミリンが、ぜんぜん進行せぇへんさかい。恋のライバルになって焚きつけたら、ちょっとはユミリンも焦って手弁当くらい作ってくるかと思うてな。ウチと相談して。この前はマコの部屋に四人で集まったやろ。その次はユミリンのとこにケンを誘おうと……そういう作戦やってん。……怒った?」

 茂木は背中を向けたままの由未が肩を震わせているので、怒鳴られるかと思ったけれど聞こえてきたのは、啜り泣く声だった。

「……どうして…っ……っ……そんなこと……っ……私なんかのために…っ……っ…そこまで、するの?」

「それは……応援しようと……いうか……」

 茂木は起きあがって由未の背中を撫でる。由未は泣いていた。あとからあとから涙が湧いてくるようで、枕に顔を埋めている。

「ユミリン……今は泣いといたらええ。泣いといたらええねん」

 どんなに強がってみせても失恋したことに変わりはないのだから、そう茂木は由未の涙の意味を理解したけれど、それは違っていた。

 

 翌日、山中の人里離れた古寺にタクシーが着いた。

「ふ~…」

 夏の日差しは山の木々が遮ってくれるけれど、目前の石段は頂上が見えないほど長い。徒歩となった孫子はタメ息をつきながら昇っていく。脚が痛くなる頃になって、目的の庵に到着した。

「いらっしゃい。孫子さん」

 孫子と同じくらい小柄な女性が迎えてくれる。一瞬、尼僧かと思うような白と黒の衣装をまとっているが、無数のフリルで飾った洋服で和風建築に違和感たっぷりだった。髪も金髪で、カラーコンタクトを入れているのか、それとも生まれつきなのか、青い眼をしている。

「ふ~…」

 孫子はポケットからハンカチを出して額と首筋の汗を拭くと、息を整えた。

「リリィ、これ、返すね」

 拳銃を二丁、庵の縁側に置いた。

「孫子さん、結局は使ってないのね。汚れてないわ」

 リリィと呼ばれた女性は拳銃を手に取ると、少し見つめる。

「ほとんど撃ってないのかな?」

「だって、中国製って言ってたから信用なくて」

「とりあえずの物だったからさ。コピー生産のマカロフになったけれど、今度は孫子さんのために取り寄せてあるの。きっと、気に入るよ」

「…うれしくないけど……仕方ないか……」

「はい、どうぞ」

 いつのまにか、二丁のマカロフを持っていたはずが、別種の拳銃を持っている。銃口を孫子に向けないように手渡してくれた。

「ふ~ん……ちょっと、軽いね。そこが、うれしい」

 孫子は左右の手に一丁ずつ持って、感触を確かめている。

「デザインもいいかな。にしても、軽い……これ、金属なの?」

「強化プラスティック製よ。マカロフと同じ9ミリ口径、弾数17。孫子さんの年齢と同じね」

「女性に年齢のことを言わない。これの名前は?」

「グロック、オーストリアの純正品よ。撃ってみて」

 リリィは和紙に墨汁で丸を書いて、自分の前に掲げた。

「え~……どうせ、下手だし……」

「だから、練習するの」

「バカケンみたいなこと、言う」

「誰のこと?」

「今、からかってる男の子のこと」

「へ~ぇ。好きなのかな?」

「ぜんぜん」

「なら、どうして、からかうの?」

「さあ?」

「……」

「リリィ、撃つよ」

 一応、孫子は声をかけてから銃口をリリィへ向けた。このまま撃つと、彼女に命中する射線だったが、遠慮無く撃った。

 爆ッ! 爆ッ!

 銃声が山にこだまし、右手の17発を撃ち尽くすと、左でも撃ってみる。

 爆ッ! 爆ッ!

 耳と岩に銃声が染み入る。撃ち終わると、リリィが評価してくれる。 

「34発中、紙に当たったのが、12発。そのうち円におさまったのは5発。ひどい命中率。あのさ、もう少し、なんとかならないかなァ?」

 二人の距離は3メートルあまり、なにより和紙を貫通した銃弾はリリィに当たったはずだったが、彼女は無傷で立っている。

「あんまりにも、あさっての方向に撃つから全部は止められなかったし」

 リリィが背後を見上げると、庭木の枝が折れている。

 青い葉が、風で舞っていた。

「…痛~ぅ…」

 撃った方の孫子が痛そうに手首を撫でている。細い手首が銃の反動に耐えかね、悲鳴をあげていた。

「いいじゃん。5発も当たれば十分」

「命中率14%が?」

「子曰く、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」

「いつの子よ?」

「あ、た、し」

「……はぁぁ……撃つよ」

 リリィの右手にマカロフが握られていた。その銃口を向けられると、孫子は小魚のように岩陰に隠れる。

「ヤダ! 絶対ヤダ! 無理! 死ぬ!」

「……無理と思うから無理なの。ちゃんと照空できてるのに……まあ、でも、その様子だと一生無理ね」

 リリィが銃口を下げると、孫子は岩陰から出てくる。素早く銃弾やメンテナンスの用具も抱えあげると、退散する。

「もう帰る!」

「お茶くらい飲んでいきなさいよ」

「ヤダ! その目は、もう一回あたしの不意をついて撃つ気の目!」

「……あいかわらず、察しのいいこと。ふふ」

 リリィがマカロフを握り直したので、孫子は脱兎のごとく逃げ出した。

 

 翌日の日曜日、メールで茂木から呼び出されていた孫子は、指定されていたケーキ屋へ入った。喫茶店にもなっているケーキ屋の見晴らしのいい席に、茂木と由未が座っている。

「マコ、一昨日から電話ぜんぜん繋がらんかったで。何してたん?」

「秘密です」

「あんたなぁ……まあ、ええは大事な話があんねん。座りぃ」

「はい」

 孫子もテーブルについて、フルーツケーキと紅茶を注文した。茂木が金曜の夜のことを孫子に語って聞かせた。

「……そう……ですか……」

「とまあ、そんなわけでユミリンも気持ち、さっぱり入れ換えたし、マコもケンの周りをウロチョロせんでええわけや」

「由未……泣きました?」

「泣いてないわ。泣くほどのことじゃないもの」

「ウソが下手ですね。涙の痕が残ってますよ」

「っ…」

 とっさに頬と目尻へ手をあてた動作で孫子が微笑む。

「由未、もう一つ食べる? あたしのオゴリ」

「……。一番高いのに、するわ」

「素直でよろしい」

 一番高価といってもケーキ一つのことなので、640円のアーモンドと桃の蜂蜜漬けを重ねた小さなケーキだった。

「ほな、パーッと景気づけにカラオケでも行く?」

「騒がしいのは、嫌いなの。歌も知らないわ」

「手品なんて、どうです♪」

 孫子が握った手のひらを開くと、アメ玉が一つ。

「……それ、見飽きたわ」

「いつも思てるけど、どうやって出してるねん?」

「手品のタネは秘密が基本です」

「長袖なら、わかるんやけど、半袖でよぉも器用に隠すなぁ。他に何かでける?」

「右手から左手に瞬間移動。はい♪」

 アメ玉を右手で握り込み、左手は遠く離して握る。二回ほど握り直してから、左手を開いた。

「おおっ!」

「すごいわっ!」

「ふふん♪ ケーキでも、できますよ」

 アメ玉が消えて、今度は新しいカップケーキを注文すると、それをスカートのポケットに入れた。

「な、なんちゅーことを! ぐちゃぐちゃになるで……」

「右のポケットから入れたはずのカップケーキが、なぜか左から♪」

 言葉通りに左ポケットからクリームもそのままのカップケーキが出てくる。

「……スカートめくってええ?」

「ダメです」

「ポケットに穴が開いてるちゅーオチ?」

「違います」

「もう一度、やってみせてちょうだい」

「はい♪」

 今度は左のポケットへカップケーキを入れる。

「そこでストップ」

 由未がカップケーキが見えなくなった時点で孫子を制止した。

「はい」

 素直に止まった孫子のスカートは形を崩していない。カップケーキの大きさから考えてスカートが膨らむはずだったが、まったくラインは乱れていなかった。

「回ってみて」

「こう?」

 クルリと勢いよく孫子は回転してみせる。スカートの裾が少し拡がって持ち上がるけれど、どこにもカップケーキらしきものはない。

「あかん、やっぱりスカートめくらせい!」

「ヤですよ♪」

 止まった孫子は右のポケットからカップケーキを取り出すと、さらに両手をポケットに入れた。

「はい、由未にプレゼント♪」

 紫色に咲いたリアトリスと、白と黄、桃色のアルストロメリアの花束を右手に、そして左手には小さな箱。

「……なに、かしら?」

「それは開けてのお楽しみ」

 孫子から花束と小箱を受け取り、開けてみる。

「これ……」

「由未に、似合うかなって。ユミなだけに弓」

「……あっ、ありがとう!」

 弓と矢を模ったネックレスだった。白金の鎖に、ピンクゴールドの弓と、白銀の矢が意匠されている。

「こんなキレイなもの、もらってもいいの?」

「昨日、由未のために買ったの。気に入ってくれた?」

「うんっ」

「よしよし」

「この花も、なつかしい匂いがする……どこで見たのかしら…」

「さあ?」

「…いいにおい……」

 うっとりと由未が目を閉じていたのに、ケータイの着信音が邪魔をした。鳴ったのは茂木のケータイで液晶画面を見た持ち主はタイミングの悪さに閉口した。

「……。あのアホからや」

「「……」」

 それでケンのことだと二人にもわかった。

「無視しとこ」

 茂木が無視をしたのに、五分後、さらに二十分後、一時間後と鳴り続け、駅前で由未と孫子から別れてからも、三回も鳴った。

「しつこいなぁ」

 それでも、しつこく無視を続けた茂木が自宅に着いたとき、家の前にいたケンを見つけて怒りを覚えた。

「なんしとんねん?!」

「話したいことがあって…」

「ないわっ!」

 無視して家の中に入ろうとすると、その進路を塞がれた。

「頼むよ!」

「……」

 これ以上、家の前で騒いで弟や妹に気づかれたくない。茂木は顎で近くの公園を示した。

「ほんで、今さら何やねん?」

「あれから考えたんだ」

「……」

 茂木は聴いているものの、ケンの顔を見ていない。中学からの友人ではあったが、昨日から友人を辞めようとも考えているくらいだった。

「真藤さんには、とても悪いことをしたと思ってる」

「前置きはええから、さっさと言うて」

「……。…ボ……ボクは、……ボクはマコちゃんが好きだっ!!」

「……」

 茂木は眉をしかめて、痛そうに額へ手をあてた。

「ほんで? そもそも、あのノゾミちゃ~ん、は、どうなってん?」

「彼女には、はっきり断ったよ。……好きな人がいるからって」

「あの子も、あんたがマコのこと好きやって気づいてたんちゃう?」

「……みたいだけど……どうして、それをモッチーまで、わかるんだよ?」

「超能力や」

「……マジメに訊いてるんだっ!!」

「なに怒鳴ってんねん」

 茂木が睨むと、ケンは二歩後退した。

「あんた自分の立場とか、誠意とか、なんちゅーか、いろいろッいろいろッいろんなことナメとんちゃうかッ!」

「……でも、…それでも、ボクはマコちゃんが好きなんだ。あの子のことしか、考えられないんだ!」

「ちゃうちゃう、そんなもんは恋やない。たんに、あいつのパンチラと可愛らしい仕草に欺されとるだけや」

「違う! 本気で好きなんだ!!」

「っ……、大声で…」

 茂木は恥ずかしさから頬を赤くした。何人か、近所の住民に見られている気がする。あとで何を言われるかと思うと、腹が立ってくる。

「黙れッ! ボケッ!」

「うぐっ…」

 ケンは腹を蹴られて丸くなった。

「この色ボケ!! やかましいわッ!」

 さらに蹴る、殴る。

「うっ…痛っ…。…ぅぅ…」

「死ね! 死んでしまえッ!」

「ぐっう…」

 7発まで甘受したケンだったが、8発目の蹴りが頭に当たり、カッと怒りが燃えあがった。

「痛いだろうがッ!!」

 両手で茂木を突き飛ばすと、いとも簡単に少女の身体はバランスを失い、地面に転がった。

「…あ……ごめん、……モッチー? ケガは?」

「痛っう…」

 倒れたときに肘と胸を打ったらしく、苦しんでいる。

「あんた……とことん最低や……痛っ…」

「……ごめん。……あんまり蹴るから、ついカッとなって…」

「か弱い女をなんやと思てるねん」

 呻きながら、よろよろとベンチへ向かっている。ケンが差し出した手を握ることはなかった。

「ウチやなかったら、泣いてるとこやで」

 ベンチに座ると、まだ痛む胸と肘を押さえている。

「……ごめん…」

「男と女の力の差ちゅーもん考えんかい。あんた県大会常連やろ。バカ力で突き飛ばしおって。ホンマ痛いわ……泣きそうや」

「ごめん、悪かった。頼むから泣かないでくれよ」

 ほとんど土下座に近い形でケンが謝っているので、茂木も責めるのをやめた。痛みが治まってから、本題に戻る。

「ほんで、どこまで話したっけ?」

「えっと……望ちゃんの気持ちを断って、…ってとこ」

「ああ、せやったな。別に、あの子でもええやん。そもそもユミリンかって、あんたには贅沢やってん」

「……真藤さんとのことは…」

「終わったことは、もうええ」

「……」

「あんたにも、ユミリンにも、たいして気持ちがなかったちゅーことや。その点、ウチも悪かった」

「……。今だから、訊くけど。……真藤さんは、本当にボクのこと好きだったのかな? って……また、蹴られるかもしれないけど…」

「……」

 茂木は少し考えてから、答える。

「これはマコにもからんでくる話やけど……、……その前に、あんたホンマにマコのこと好きなん? ちょっとヤりたいだけちゃうん?」

「違うっ!! 本当に好きなんだ。こんな気持ち、初めてだ。……こんな風に、女の子を好きになったこと、今まで無かったんだ。彼女はボクの天使だ」

「……あいつは、悪魔やで」

「本気なんだ!」

「本気なんやろうね。天使なんちゅークソ恥ずかしいこと、言えるあたり」

「……」

「はじめて聞いたわ。ボクの天使とかリアルに言うヤツ」

「……笑うなよ」

「人の恋心を笑うほど、ウチは低い人間やないよ」

「……なら、わかってくれるかな。……ボクの気持ちを」

「ユミリンは、あんたのこと、どれだけ好きやったと思う?」

「……そんなこと言われても……」

「たぶん、あんたがマコを想う気持ちの、5%もなかったで」

「……」

「あんたには悪いことになってしもたな」

「……どういうことなんだよ? ぜんぜん意味がわからない」

「たしかに、ユミリンは、それなりに、あんたのこと好きというか、選んだというか、……もともとウチが強引に決めつけてん」

「…決めつけた?」

「ユミリンも、もう17なんや。彼氏の一人くらいおってもええやろって。ほんで、うちの学校内やったら、誰がええ? どんな男がタイプや? そうやって問いつめて……まあ、どちらかといえば消去法で選ばれたんが、あんたや」

「……それは……喜んでいいのか?」

「あんたかて、ウチが紹介したったときは喜んでたやん」

「……そりゃ……真藤さん……美人だし……頭もいいし……」

「せやね。あんたも運動神経ええし、頭も悪うない。顔もええ。つまり、そういうことや。あんたら二人とも条件だけで、まあええかなって始まった関係やってん」

「……」

「そういう好きは、本気の好きには勝てへん。あんたの心に起こったことや。わかるやろ?」

「……ああ」

「ほな、なんでウチが二人を仲介したと思う? わざわざ、お節介に彼氏の一人くらいおってもええやろ、なんて」

「……わからない」

「ユミリン、あいつな。ウチ以外に友達おると思う?」

「……知らないけど……あんまり他の女子とも喋ってないみたい…かな…」

「せや。あいつ、わざと友達つくりよらへんねん」

「わざと?」

「高校に入学して同じ弓道部になったとき、ウチは、これから三年間、仲良ぉよろしゅーな、ってユミリンに言うたら、あいつ、なんて言いよったと思う?」

「……さあ…」

「悪いけど、一人でいたいの。同じ部員として必要最低限の関係にしてちょうだい。やって!」

「……なんだか、……言いそうな気もするよ……クールっていうか…」

「そんとき、ウチは決めてん。こいつとは絶対に友達になったる! 卒業式でウチと別れるのが悲しいゆーて泣かしたる! って決意したんや!」

「……モッチーらしいよ」

「そんなユミリンに、ウチ以外の友達ができかけてんねんで今」

「それって……マコちゃんのこと?」

「他に誰がおんねん」

「……」

「あんたがマコに告白する前にウチへ相談に来たんも、そのへんのこと何となく気ぃ回したんやろ?」

「……ああ……うん……なんとなく、……その……どうやったら真藤さんを傷つけずに……ボクの気持ちをマコちゃんに伝えられるかなって……」

「そんな方法はない」

「……」

「せやから、諦めい」

「そんなっ!」

「ユミリンに悪いと思う気持ちもあるんやろ?」

「……あるけど……。でも、ボクだってマコちゃんのこと本気なんだ。本当に、マコちゃんのことしか、頭に浮かばないんだ!」

「せやとしても、それにユミリンのことを抜きにしても、あんたに可能性は無いで。マコは、あんたのこと残念ながら、まったく好きやない」

「どうしてわかるんだよ?!」

「わかるんや。女同士やで?」

「……マコちゃん、他に好きな人でも…?」

「いや、そんな気配はない」

「じゃあ!」

「ほんでも、あんたに希望がないのも、確かや。万に一つもない」

「それでもっ! それでも気持ちを伝えたいんだ!!」

「で、ユミリンを二重に傷つけて、もしかしたら、ユミリンとマコの関係まで悪うして、おまけに自分も傷つくと? あんたの前では冷静やったけど、あの後、ユミリン泣いとったんやで」

「……」

 黙ってケンが拳を握ったので、茂木は同情した。

「あんたには悪いことしたね。ウチが変なタイミングで仲介せんかったら、もっと別の運命もあったかもしれんけど、とにかくタイミングが悪すぎるんや。諦めたって」

「イヤだっ!!!」

「……。駄々こねんと」

「本当なんだ! 本当に心からマコちゃんのことが好きなんだ!! 今だって会いたくて! 顔を見たくて!! 自分が、どうにかなりそうなんだ!!」

「……どうにか、なってるで……かなり…」

「そうだよ!! どうにかなってるんだ!!」

「あのなぁ、マコは、あんたの手に負えるような子やないよ。万に一つ、もしも万に一つ、あの子がオッケーしてくれても、振り回されて終わるで?」

「それでもいい!!」

「……。もしも、オッケーしてくれても、それはユミリンを傷つけた男を、その千倍傷つけたろちゅー魂胆での罠やで? あの子は策士やで。天性の魔女や」

「マコちゃんは、そんな子じゃない!! モッチーは、ぜんぜんわかってないんだ!!」

「魔女やなかったら、吸血鬼や」

「マコちゃんは聖女だっ!」

「ホンマに脳みそ沸騰してんなぁ……あいつは、聖女ちゅーより、性女やで。男にパンチラして自分も興奮しとるナルシストや。視線で感じるらしいで」

「黙れよッ!!」

 ケンが怒鳴って手を振り上げた。その手を茂木は冷たく見すえる。

「なんや。その手ぇ? 叩こうちゅーん? 女の顔を?」

「……モ…モッチーがマコちゃんを侮辱するからだ。……いくら、なんでも、言っていいことと悪いことがある。ボクを諦めさせようと思って彼女を悪くいってるんだろうけど……それにしても、ひどすぎる」

「マコは自分でナルシストやって認めとったで?」

「……。別に、それでも、いいじゃないか。あんなに可愛いんだから」

「……恋は盲目ていうやん。あんた盲目状態やで。目が見えてるウチの忠告を聞いといた方がええやん?」

「そんな理屈っ! どうだっていい!!」

「……。これ以上、あんたの味方はしてやれんよ? あんたが、どうしてもマコに告白するちゅーんやったら、それを邪魔する方にウチは回る」

「だったらモッチーは敵だッ!!」

「…あんた、脳みそ小学生みたいなってんで?」

「なんとでも言えよッ!!」

「…いんや、……なんと言っても無駄なんが、ウチにもよぉわかった」

 茂木が立ち上がった。

「ほな、話は終わりや」

「…ああ」

「……。は~ぁ……」

 古代湖より深いタメ息をついて茂木は家に帰った。

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