第98話 答え
ここ数年で、昼休憩は会社近くの公園で過ごすことが多くなった。最初は一人になりたくて会社を抜け出していたんだけど、いまではこのオフィス街のオアシスの様な公園で過ごす時間が好きだ。
高層ビルからの視線を遮ってくれるかのような背の高い木々が、時には日差しを遮る傘となり、風に揺れる葉っぱの音は仕事に疲れた俺たち利用者の心を癒してくれる。
「よいしょっと」
公園内にいくつかある小さな東屋を確保し、木目調に塗られたテーブルに購入したばかりの天丼とペットボトルのお茶を置く。最近ではオフィスまでデリバリーしてくれるサービスが増えたことから、自分のデスクで食事を摂る人も増えたが、少しの時間でも外に出て開放感を味わいたい。
「すみません。相席よろしいですか?」
不意に背後から聞き覚えのある声がする。公園の東屋で相席って普通ないだろ? そんなことを考えていると背後からスルリと人影が現れて、正面に腰掛けた。
「……まだ返事してないぞ」
「あらっ? まさか断るつもり?」
誰かと約束しているわけではないので断る理由は特に持ち合わせていないのが悲しいところだ。
「まあ、いいけどな」
トートバックから弁当箱を出した妙が口元を手で隠しながらおかしそうに笑っている。
「今日は外の方が気持ちいいから、陣くん公園でぼっち飯かなって思ったらビンゴだったの」
「まてまて、ぼっち飯って言うなよ。いまやひとり飯なんて珍しくもなんともないだろ? それに学生ならまだしも社会人ならひとり飯の方が多くないか?」
特に外回りしている人たちなんかは、一人で行動してる。わざわざ誰かと待ち合わせてランチをともにするなんて稀なことだろう。
「うふふ、わかってるわよ。私もたまに一人になりたいからね。貴重な休憩時間なんだからマイペースにすごしたいもんね」
「ん? じゃあ俺と一緒に食べる必要なくないか?」
「ん〜? だって、陣くんとはリズムというか、感覚というかなんとなく私と似てるなぁって昔から思ってて、特に気をつかう必要もないから楽だなってね」
なぜか正面から隣の席に移動してきた妙が「いただきます」と弁当を食べ始めた。
「あ〜、確かに妙が相手だと気楽って感じはあるな。ああっ、仕事のときは緊張しかないけどな?」
いまのオフ状態とは違い、仕事オン状態の妙は油断できない相手だ。妥協を許さない仕事ぶりは妙の真面目さからくるものだろう。俺がエリアマネージャーなんてポストにいるのも、常に妙に負けないように挑み続けた結果だろう。
「ふふっ、せっかくだから仕事の話はやめようか? ねっ?」
そう言いながら俺の口元にゴーヤチャンプルを差し出してきたので、パクリと口にしながら右手の親指を立てた。
「うん、苦味もなくうまい。……って、自然な流れで食べちゃったじゃないか」
「まだまだあるよ? あ、口の端にたまご付いてる」
妙はハンカチを取り出すと俺の口元にそっと当てた。
「……弟扱いだな」
確か妙には歳の離れた弟がいたはず。きっと昔、弟に接していた時の感覚で自然と手が出たのだろう。
「拗ねないの。もううちの弟だって大学生だよ? とっくに身長だって抜かされたし、この前なんて彼女紹介なんてされちゃったんだから」
怒ってるんだか悲しんでるんだか、微妙な雰囲気を纏った妙が拳を握りしめている。
「それでね? 彼女が帰ったあとに言われちゃった「俺もいつまでもガキじゃないんだから姉ちゃんも幸せみつけてくれよ」だっ、て。まだあと4年間頑張らなきゃ! って思ってたのにね」
父親が亡くなって母子家庭の妙は、高校の頃から家族のためにバイトを頑張っていた。
「なんだ、気づかないうちに弟に身長も恋愛経験も抜かされてたのか。まあ、妙の場合は仕事中の姿を見せなきゃ選り取り見取りだからな。まだ20代だし最近は晩婚が多いから焦る必要もないだろ」
俺が話終えると、なぜか真剣な表情で白身魚のフライを俺の口に突っ込みながら妙が尋ねてきた。
「陣くんは、……陣くんは、もう結婚は考えてないのかな?」
不真面目なんだか、真面目なんだか。
口の中の白身魚のフライを咀嚼しながら妙の言葉の意図を考えてみる。
『まさかな』
自惚れだろうと思いながらも俺のことを一途に思い続けていてくれたのか? などと考えてしまった。
「……俺は、結婚とは縁がなかったみたいだ。婚約破棄されたとき、親には前向きになれとか言われたけど、そういう問題じゃないんだよな。無理矢理に、誰かと一緒にいなきゃいけないと思い込むのも息が詰まるし。付き合う付き合わないは別として、ずっと一緒にいたいと思える相手が見つかれば……、いや、どうだろ? 結局のところ、俺はまだ誰も信じられないんだろうな。そう思うと結婚は……考えられないな」
自己完結を交えて妙に話すと、神妙な面持ちをしていた妙がフッと笑顔を見せた。
「そっか、それは陣くんにしかわからない感覚なんだろうね。だから特定の人にはこだわってないんだね。いまは」
笑顔の割には目が笑ってない妙からの異様なまでの圧力でベンチの隅に追いやられる。
「ま、まあな? それよりも妙は考えてないのか?」
なんとなく言いたいことはわかったので、話の流れを変えようと妙に話を振った。
「へっ? わ、私? そうね、まだちゃんとは考えてないね。突然、弟に彼女紹介されて突き放されても、まだお母さんを任せるわけにはいかないし、私自身、いまは仕事が楽しいからね。……まあ、一人じゃ結婚なんてできないわけだし。相手がいなきゃ、ね?」
気まずそうに顔を背けるのだが、妙ならば選り取り見取りだろう。
「相手な。妙と結婚したい男なんていくらでもいるだろうに。高望みし過ぎ……、まあ、妙を相手にするならハイスペックなやつじゃないとな」
「別に、ハイスペックとか関係ないんだけどね? 一緒にいて自然な私でいさせてくれる人、自然な姿を見せてくれる人じゃなきゃね。そういう人じゃなきゃ、陣くんの言う通り無理して結婚しなくてもいいんじゃないかなって。「結婚は妥協だ」って言う人もいるじゃない? 確かにね、結婚を前提に考えるとそうなんだろうけどね。そうじゃないなら独身もありかなって。まあ、将来的に後悔しないとは言い切れないけどね」
苦笑いする妙の横顔を見ながら、ちょっと意外だと思った。
「そっか。ちょっと意外だったな」
「そ? どうして? って聞いていい?」
両手を広げてベンチに置いた妙が小首を傾げながら聞いてきた。
「ああ。妙が家族思いなのは昔から知ってる。だから、早くお母さんに孫を見せてあげたいって思ってるんじゃないかなって勝手に思ってた」
「もちろん、それも考えるよ? でも、それは弟に任せてもいいかなってちょっと卑怯なことを考えたりしてるの」
ペロっと小さく舌を出した妙は、俺の顔をじっと見つめながら小さく呟いた。
「結婚だけが、答えじゃないから」
その言葉は、俺に向けたものなのか独り言なのかわからなかったが、俺の心の中に安心感を植え付けた。
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