第85話 Reborn
「ごめん?」
苛立ちが口調に現れてしまい、紫穂里がビクッと身体を震わせる。
「せ、先輩と外回りで、そ、その……」
俯きながらも、必死に言葉を紡ぎ出そうとしている紫穂里だが、緊張しているのか言葉が出てこないようだ。
『ウィィン』
停まっていた車の運転席の窓が開き、男が話しかけてきた。
「有松の彼氏くん。ちょっと高速が事故渋滞しててね。約束の時間に間に合わないってことだったんで送らせてもらったよ。仕事で仕方なかったんだ。あまり怒らないでくれよ」
その男の口調自体は柔らかい感じだったが、その視線は敵意に満ち、その態度は年上の余裕を見せつけるかのようだった。
「……」
その態度に腹ただしいものを感じ、嫌味でも返してやろうかと思っていると、紫穂里が間に入ってきた。
「先輩、お疲れ様でした」
早くその場から立ち去って欲しかったのだろう。紫穂里は頭を下げたまま動けない。
「ああ、お疲れ様。また明日な」
軽く右手を上げた男は俺を一瞥しながら車を走らせた。
「……」
車を睨みつけるように見送っていると、紫穂里が袖を引っ張ってきた。
「……遅くなって、ごめんなさい。……帰ろう?」
無理に作った笑顔は今にも泣き出しそうに脆かった。
「……乗れよ」
パーキングに着いた俺は、紫穂里を見ずに運転席に乗り込んだ。
「……」
「……」
さっきからあの男の表情が脳裏に焼き付いている。あいつは……紫穂里を狙ってる。それは間違いないだろう。
「……せっかくの、誕生日に不愉快な気分にさせて……ごめん、ね。朝から三重のお客様のところに行ってたんだけど、事故渋滞で遅くなって。途中で陣くんにメッセージを送ったら、用事でもあるのかって聞かれて。それで正直に答えたら、送るって。……断ったんだけど、通り道だからって聞き入れてくれなくて」
「……」
「あの、ね? 先輩とは、仕事以外での接点はないからね。陣くんが心配するような———」
「してねぇよ」
「……えっ?」
「紫穂里に浮気とか、そんな心配してねぇよ。紫穂里を疑ったことなんてねぇから。……気に入らないのは、あいつの態度だ」
もちろん紫穂里が浮気するなんて天と地がひっくり返ってもありえないだろう。あいつの態度が気に入らなかったのも事実だ。それでも俺を苛立たせてる1番の原因は……。
嫉妬、だろうな。
紫穂里の両親に認められ、仕事を口実に長い時間を共有し、高級車を乗り回す。
はっきりと理解できた。
紫穂里の両親は俺ではなくあいつを紫穂里と結婚させる気だろう。そして2人に会社を継がせる。俺はせいぜい紫穂里をやる気にさせる当て馬ってところか……。
「そのっ、陣くん。……仕事上、車で2人で移動になることはあるけど、陣くんが心配するようなことは、ないから。それだけは信じて欲しいの。出張になることも、あるよ? でも部屋が一緒なんてことはないし、その、晩ご飯食べてからは朝まで会うことは、ないから。だから……」
助手席の紫穂里には悲壮感が漂っている。仕事上、仕方ないのはわかってる。そんなことは初めから承知の上だ。
「わかってるからいい。そんな風に言われる方が逆に信用されてないみたいで嫌だな」
俺の態度がそうさせたのだから紫穂里に落ち度はない。
「……うん、信用してる。だから、私のことも信用して、ね?」
「してる」
今日は仏滅だったのかもしれない。まあ、そんなもの気にしたことはなかったんだけど、俺の誕生日はあまりいい日ではないみたいだ。
それでも、これがきっかけで俺と紫穂里の絆が強固なものになるのなら、それは新しい絆の誕生日にもなるんだろう。
♢♢♢♢♢
アパートつき、階段を上がり俺が部屋のカギを開けようとすると紫穂里に制された。
「10分だけ外で待ってて?」
そう言うと紫穂里は自分のカギで部屋に入って行った。
「10分?」
律儀に腕時計のストップウォッチ10分測り部屋に入ると、紫穂里が笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさい。陣くん、お誕生日おめでとう!」
部屋着の上からエプロンをつけた紫穂里が抱きついてくる。
「……ふっ、ただいま。出迎えてくれてありがとう」
アゴをクイッと上げてキスをする。
「んっ、ふぅぅん」
さっきまでの重苦しい雰囲気を払拭させるかのように、俺は紫穂里を求めた。
その結果……
「もっ、もう陣くん! 時間なくなっちゃうよ!」
昨日仕込んでおいた食材を急ピッチで仕上げでいく紫穂里。さすがの料理スキルで次々に完成していく料理だが、ゆっくりと会話を楽しみながら味わうこともできずに、こうして紫穂里を家まで送り届けることになった。
「また今年もちゃんとお祝いできなかったよ」
落ち込む紫穂里の頭を少し乱暴に撫でる。
「一緒にいてくれるだけで十分だって」
「でも、私以外にも誕生日をお祝いしてくれた女の人がいるんだもん。彼女として負けるわけにはいかないよ?」
紫穂里には誕生日プレゼントとして新しいスーツをもらった。その時に織姫と妙からもプレゼントをもらったことを打ち明けた。
同僚として、ビジネスパートナーとして仕事に必要なものをプレゼントされた、と。
「誕生日だからって特別なことはいらないって。敢えて言うなら紫穂里が欲しい、かな?」
今のところ難しいことは理解している。それでも肝心な紫穂里の気持ちが俺に向いている限りは諦めるつもりはない。
「あっ! んっと。さすがに今日はもう……」
「そっちじゃないからな?」
いまさら赤い顔で照れるなよ。さっきまでしてただろ?
「あはははは、わかってるよ。……うん、わかってる。だからね? 私をお嫁さんにもらってね?」
左肩に紫穂里の頭がコツンと乗ってきた。
手を繋ぎ、お互いを感じる。
「誰にも渡すつもりはないから。安心して待ってて」
誰にも、そう。たとえ、紫穂里の両親だろうと、俺たちの邪魔をする権利はない。
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