第68話 朱音

「ふぁ〜ぁ」


 バイト終わりで1限からの講義というのは、正直睡魔との戦いになる。紫穂里が卒業したら夕方のバイトに切り替えるかな?

 大講堂の後ろの方の席で頬杖つきながら欠伸を我慢していると、トントンと肩を突かれた。


「隣、いい?」


 眠気眼ねむけまなこで見上げると、左手で髪をサッと耳にかけた美人が微笑んでいた。


 Vネックのワインレッドのニットシャツにライトブラウンのハイウェストのロングスカート。商学部でも1、2を争うほどの美人だ。


「なんだ、かよ。勝手に座ればいいだろ?」


 久留米朱音。言わずと知れた高校時代からの同級生。濃尾大学は東海地区でもビジネス系が強いと評判なので、うちの高校からも何人かが進学してきている。


「いや〜、しほちゃんに悪いかな? って思ってね」


「いや、それなら俺にも悪いと思ってくれ。お前と一緒にいると野郎どもの視線が突き刺さるんだよ」


 チラッと周りを見渡すと、あからさまに視線を逸らされる。大学に入学してからの朱音は垢抜けたと言うか、洗礼された美人となっていた。


『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』


 いまの朱音を表すのに、このことわざはもってこいだろう。肩甲骨辺りまで伸びた綺麗な黒髪は、揺れるたびに光をの輪を作り出し、端正な顔立ちは男女問わずの視線を集める。一見、高嶺の花に思われがちだが、その気さくな性格は周りを惹きつけて止まない。


が周りから見られるのは昔からでしょ? 織姫とイチャイチャ、しほちゃんとイチャイチャ。大島さんとイチャイチャ。女の子とイチャイチャばぁ〜かりだから、みんなに見られるのよ」


「それとこれとは話が別だろ? お前が目立つから視線が集まるんだよ。無駄に綺麗になりやがって」


 周りを見ながらため息をつくと、ピシッと固まった朱音が驚いた表情で俺を見つめてきた。


「や、やだ、陣くん。そうやってからかわないでよ」


 赤い顔で俺の肩をペシペシと叩く朱音。さすが元テニス部。地味に痛いぞ。

 大学に入ってからの朱音は俺たちと同じフットサルサークル『roulette』に所属している。紫穂里とは違いの朱音は我がサークルのみならず、学内でもマドンナ的存在だ。


「別にからかってねぇよ。周りからも綺麗だって言われるだろ? 俺も同じ認識だぞ? まあ、みんなと違うのは紫穂里オンリーだってことだな」


 ふふん。と朱音をあしらうような仕草を見せると、呆れた表情で見られた。


「本当に陣くんは好きになると止まらないね。まあ、相手にとってはうれしいだろうけど、周りからするとたまにヒクよ?」


「別に紫穂里以外にドン引きされても痛くも痒くもねぇよ」


 紫穂里への想いを語り始めようと朱音の方に身体を向けると、隣に誰かが座る気配がした。


「あ、ありがとうね」


 クルっと向きを変えてみると、赤い顔で俯いている紫穂里がちょこんと座っていた。


「おはよう、しほちゃん。朝からあてられっぱなしで口の中まで甘いんだけど?」


「あ、おはよう朱音。あははははぁ、うん、ごめんね?」


 俺の背後からヒョコっと姿を表した紫穂里が、朱音にかわいく両手を合わせて謝っている。


 高校時代はあまり絡みのなかった2人。俺たちが大学に入学した当初は、朱音が織姫と仲良いということもあり紫穂里も警戒してたみたいだ。しかし、同じサークルで付き合っていくうちにシンパシーを感じたらしく、よく2人だけで出かけるくらい仲良くなった。いまでは後輩の朱音が「しほちゃん」と呼ぶほどだ。


「ところで紫穂里。なんでいるの?」


 この時間、本来なら紫穂里は『経営管理論』の時間のはず。


「あ、急遽、休講になっちゃったから自習しようと思って。環境のいいここにしたの」


 ピトっと身体をくっつけた紫穂里は、目を閉じて体温を感じてるみたいだ。


「あ〜、イチャつきに来たってわけね? 全く、いつでもどこでもって……、ねぇ、しほちゃん。その首……」


 朱音は立ち上がり、俺越しに紫穂里のストールをクイッと引っ張りため息をつく。


「おい。柔らかいから早くどいてくれ」


 俺の頭に押し付けられる朱音の膨らみ。俺だって健全な男子学生だ。嫌な気はしない。


「あっ、ごめん」


 特に気にした様子もなく、そして退く気配もない朱音はペシッと俺の頭を叩いてきた。


「って! なんだよ」


 やっと朱音がどいてくれたので自由になった頭を摩りながらクレームをつけると、ジト目を向けられた。


「なんだよじゃないわよ。いくらしほちゃんが好きだからってこれはやりすぎじゃない?」


 俺から視線を逸らさずに紫穂里の首を撫でる朱音。くすぐったそうに紫穂里は目を閉じている。


「あ〜、うん。それな」


「いや、それなじゃなくてね?」


『は〜い、それでは授業を始めますよ』


 タイミングよく講義が始まり、朱音の追求を逃れることに成功した。


 前を向き教授の話に耳を傾けようとすると『ドスッ』と脇腹に鈍い痛みが走った。


「ぐぇっ!」


「えっ? 陣くん?」


 突然のことに脇腹を確認すると、朱音の綺麗な手に握られたスマホが突き刺さっていた。

 画面には『変態』の文字。思わず朱音を睨み付けると、頬杖つきながら前を見て知らんぷりをしている。


「このヤロウ」


 何か仕返しをしてやろうと思ったが、同じことをやればセクハラと言われるだろう。


「私は野郎じゃないわよ」


 『ふんっ』と顔を背けた朱音に、隣の紫穂里は苦笑い。


「朱音。私が悪いんだからあまり責めないで」


 俺の背後から紫穂里が朱音に話しかけると、その話に興味を持ったらしく「後で詳しく聞かせて」と返した。


 講義が終わり、出欠確認のために教授の元に行く。うちの大学の出欠確認はタブレットに学生証をかざす方式を取っている。

 学生証の役割は多岐に渡り、学食や生協、美容院やコンビニなど、学内の施設の支払いは学生証がクレジットカードの役割を担う。


「しほちゃん、次のコマは空きでしょ? カフェでもいかない?」


 講堂を出ると、朱音が紫穂里をカフェに誘った。さっきの話を聞くのが目的だろう。


「あっ、えっと……、行ってきても、いいかな?」


 なぜか申し訳なさそうに俺に確認する紫穂里。ちなみに俺に空き時間などはない。


「ん。行ってらっしゃい」


 紫穂里の頭をポンポンと叩くとふにゃっと表情を崩してよろこんだ。


「陣くんは空きないよね? ちょっと授業詰め込みすぎじゃない? 来年出てこなくて良くなるんじゃない?」


「まあ、そのつもりだからな」


 頭上に?を浮かべていそうな朱音に、紫穂里が俺の腕に抱きつきながら説明した。


「来年は実家から通ってくれるんだって」


 一昨年、毎週末のように俺に会いに帰ってきていた紫穂里。俺だって紫穂里に会える機会が減るのは嫌だし、なにかあればすぐに駆けつけたい。


「えっ? 陣くん、実家帰っちゃうんだ」


 なぜか寂しそうな表情の朱音。まあ、俺がこっちにいれば紫穂里が遊びにくる可能性もあるからなぁ。


「週1、2日くらいなら通いの方がメリットが多いからな。まあ、何かあれば誰かに泊めてもらえばいいしさ」


 そんな俺の言葉を聞いた朱音の表情が、小悪魔のようになっていた。


「そっか。じゃあ、そのときはウチに泊めてあげるね。ベッドは一つしかないから一緒に寝ようね」


 これは絶対に紫穂里をからかいにきてるな。その証拠にさっきから俺の腕に抱きつく紫穂里をチラチラと見ている。


「だ、だめ! だめだよ! それは彼女として許可できません!」


 腕どころか、腰に両手を回して抱きついてきた紫穂里が、猫のように朱音を威嚇した。


「紫穂里はまじめなんだからあまりからかうなよ?」


 ペロっとかわいく舌を出した朱音が、紫穂里の腕を引っ張って無理矢理、俺から引き剥がして行った。


「聞くこといっぱいありそうね! それじゃあ陣くん。しほちゃん借りてくね」


 困惑ぎみの紫穂里を見送り、俺は次の講義に向かった。

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