第40話 ターニングポイント

「おはよう」


 目を開けると息がかかるくらいの距離に陣くんの顔があった。一瞬、パニックになりかけたが昨晩の状況を思い出し、彼の胸に顔を埋めた。


「……お、おはようございます」


 思い出したのはいいんだけど、それと同時に恥ずかしさが込み上げてきた。


「おはよう、なんで敬語なんだよ」


「ん?だって、ねぇ。冷静になるとやっぱり恥ずかしくて」


 そんな私の頭を陣くんは優しく撫でてくれる。


「まあ、確かにな……、なあ妙、これからのことなんだけど」


 言い淀んでいる陣くんに、私は素直に気持ちを打ち明ける。


「好きよ陣くん。大好き。でもね、いま付き合うってのは、ないかな?だって、同情で付き合って欲しくないもん」


 昨日は私から出したSOSを陣くんが返してくれただけ。おかげで私は悲しい記憶を閉じ込めることができた。


「いや、でもな?」


 そんな苦しそうな表情しなくてもいいのに。


「あのね陣くん。陣くんは人助けしたの。私はね、陣くんに助けてもらった。だから罪悪感なんてもたないで?あのまま放置されてたら私は家で独り苦しんだままだったよ?抱きしめられるだけ、キスするくらいで癒されるようなものじゃ、ないんだよ?」


 結果、陣くんを苦しめちゃったかな?


「しかも同意の上!お互いフリー!だからね、これからも仲のいい友達続けて?それでね、私のことを1番に、……ううん、私じゃなきゃだめって思ってくれたら、陣くんから告白して」


 陣くんの頬に手を添え、最後のキスをする。この先触れることがあるかはわからない陣くんの唇。


「一度抱いたくらいで彼氏づらしないでよね」


 私は精一杯の笑顔で陣くんに告げた。


♢♢♢♢♢


「私、嫌われちゃったの?」


 近所の公園で待ち合わせたつむつむが顔面蒼白で俯いている。


「悪いけど、つむつむと先に行ってくれるか」


 週末、朝帰りをしたお兄ちゃんは私たちの登校を断り、一人で登校すると言った。

 事前につむつむにも連絡をしていたらしく、さっきからこの状況だ。


「嫌われるようなことしてないでしょ?たぶんお兄ちゃんの方の問題だと思うよ」


 きっと朝帰りが関係してるんだと思う。有松先輩からも下校を断られたけど何かあったの?というメッセージをもらったけど、皆目見当がつかない。


「先輩に?ひょっとして有松先輩と付き合うようになったとか?」


 今にも泣き出しそうな表情のつむつむ。


「あ〜、有松先輩からも似たようなメッセージきてたからそれはないかな?」


 あの日は練習の後にバイトに行ったはず。

練習の後は有松先輩と帰って行ったからバイトで何かあったのかな?

 考えても答えがでるわけではないので、私ができることはつむつむを慰めることくらいだ。


「まあ、家に帰ってからお兄ちゃん問い詰めておくからさ。つむつむが嫌われることなんてないから安心して」


♢♢♢♢♢


朝いつものように玄関を開けると、家の前を静と紬が2人で歩いて行った。いつも一緒にいるはずの陣がいない?ひょっとして1人だけ先に行ったのかな?それにしては早すぎるし……。


『ガチャ』


 玄関の音にふと視線を移すと、そこにはあまり顔色のよくない陣の姿があった。


「ふぁああ」


 直後、大きな欠伸。

どうやら寝不足みたい。


「お、おはよう陣」


 2人で話せる絶好のチャンス。

私ははやる気持ちを抑えながら陣の側に寄って行った。


「おお」


 素っ気ない返事だったけど、挨拶を返してくれたことが嬉しかった。

 さりげなく陣の隣にいき、歩幅を合わせて歩いた。陣はうわの空のようだったけどいつものようにつれない態度をとることはなかった。


 まるで私なんて眼中にないような、そんな感じ。でも、私はそれを利用して学校までの道のりを一緒に歩いた。


 まるで別れる前に戻ったかのような錯覚に陥ってしまう。

 

 あの頃のように笑い合うことも、

 あの頃のように手を繋ぐこともない。


 ただ隣にいるだけ。


 それでも陣の存在を感じられるこの時間は私にとっては大切なものだった。


「おはよう、織姫」


 やがて学校に着いた私は華さんとサッカー部の中西先輩と遭遇した。


「おはようございます華さん、中西先輩」


 驚きの表情の2人。

その視線は私の隣の陣に注がれていた。


「っす」


 陣は華さん達に軽く挨拶をすると、そのまま歩いて行ってしまった。


「なになに姫!まさかの元鞘?」


 陣が見えなくなると華さんが興奮気味な詰め寄ってきた。


「有松といい感じに見えてたから意外だったや」


 やっぱり現時点では有松先輩がリードしてるんだね。


「たまたま一緒になっただけなんですよ。元通りになれると、いいんですけどね」


残念そうな表情をしてくれている華さんに、私はできるだけ明るい表情で説明した。


♢♢♢♢♢


「お疲れ〜」


 午後練が終わり、片付けをしていると紫穂里がしきりに俺を見ていることに気づいた。

 話しかけるタイミングを探してるんだろうけど、なかなかみつけられないみたいだ。


「おい、陣。紫穂里ちゃんがさっきから怪しい態度なんだけど、何かあったのか?」


 心当たりはある。


『今日から一緒に帰れません』


 俺が送ったシンプルなメッセージ。

朝送信した時はなかなか既読がつかなかった。きっと朝練の準備をしていたのだろう。


「まあ、お前にはそのうち話すよ」


「ふぅん。まあいいさ。そのうちじっくりと聞かせてもらうからあの不審者どうにかしろよ」


 不審者と言うにはかわいらしいんだが……

 紫穂里はボールカゴの影に隠れてこそこそとこっちの様子を伺っている。


「全く何やってるんだよ」


 その様子を見ながら俺はため息混じりに呟いた。


 片付けが終わりそそくさと着替えた俺は人目に付かないように校門をでようとした。


「お疲れ様でした」


 校門にもたれかかっていた先輩に頭を下げて素通り……できずに左腕を捕獲される。


「ちょっとお茶でもどうかな?」


 風に揺れるその髪は視界を遮っているようだが、そんなことを気にもしない紫穂里。 

 

 大胆な行動とは裏腹に、その瞳は不安がっていた。


「ちょっとですよ?」


 紫穂里に連れられて俺たちは茜色に染まる児童公園に辿り着いた。

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