2章 / 美弥II / 里桜I

 駅から少し離れた住宅街の端に、その図書館はあった。


 見た目は洋館風の邸宅だ。

 入り口にデザインされた両開きの大きな門があり、片方が開かれた状態になっている。表札には「神矢」と書かれていて、美弥は戸惑いながら門をくぐった。


 海外に来たような錯覚に陥った。

 門から邸宅まで歩く途中に、不気味な石像だったり水の枯れた噴水があったりと、だんだんとホラーチックになっていく。曇り空も相まって、まるでゾンビでも出てきそうな雰囲気があった。


 全く手入れされていない小さな庭園の向こうに、目的の図書館はあった。

 木製の、細かい彫刻の刻まれた大きな玄関扉の前に立つ。

 暖色のランプが備え付けられていたが、蜘蛛の巣のせいで余計不気味さを増している。美弥はごくりと喉を鳴らして、覚悟を決めてチャイムを鳴らした。



―――ぴんぽーん。



 普通の、どこの家でも聞けるようなチャイム。

 数分待っても反応はなかった。もう一度鳴らして、また大人しく待つ。結果は同じだった。


「……入っていいのかなぁ」


 聞いた話では、勝手に入って自由に使って良いらしい。

 門が開いていたことも考えて、錆び付いたドアの取っ手に手を掛ける。鍵は掛かっておらず、なんの抵抗もなく扉は開いた。


「おじゃましまーす……」


 中は外観同様、どこかのお屋敷のようだった。

 エントランスには大きなシャンデリア。よく見れば、これにも蜘蛛の巣が張っている。暖色の灯りに照らされた室内は、ふわふわと目に見えるくらいの埃が舞っていた。


 手で口元を覆いながら、美弥は室内へと足を踏み入れた。

 エントランス正面には大きな階段があって、左右に枝分かれして二階へと通じている。一階には、こちらも正面から見て左右に一つずつ扉があった。右側の扉は開きっぱなしになっていて、覗き込むと地下へと繋がるだろう階段が見える。


「えっと、地下にあるんだっけ。……っていうか、ここに入るのやだなぁ」


 閲覧制限図書は地下にある、らしい。

 となれば、この階段を降りていけばいいはずだ。

 が、地下への階段は輪を掛けて不気味であった。暗く、電灯もところどころ切れていて、普通に降りていくだけでも苦労しそうである。以前観た海外のホラー映画を思い出して、美弥は足を竦ませた。


 うーん、と十分くらい尻込みして、美弥はスマートフォンを取り出す。

 ライト機能をタップした。思ったよりも強い光が階下を照らし出す。そこまで段数は無いようで、奥に薄っすらと古びた扉が見えた。


「……よしっ」


 顔をぱしぱしと叩いて、階段を降りていく。

 一段と埃っぽくなった中を、一段一段慎重に歩いた。途中で泣きそうになるくらいに大きな蜘蛛がいたりしたが、なんとか扉まで辿り着くことが出来た。


 玄関と同じように鍵は掛かっていなかった。

 錆び付いて重くなった扉を開ける。軋んだ音が響いた。


「うっわ、すっご」


 中は想像とは違い、かなりの広さがあった。

 照明はアンティーク調の電灯が壁に並び、天井にはいくつもの大きなシーリングライトが取り付けられている。壁一面には本棚がびっしりと並べられていて、その中央に大きなベッドと机が一式。蜘蛛の巣だらけのシャンデリアから想像もできないくらい、ここだけは綺麗に整頓されていた。


 中央に鎮座する、キングサイズのベッドの上。

 ごろごろと寝転がったまま本を読む女性が、怪訝そうな顔で美弥を見た。


「あの、すみませーん」

「んー……あぁ」


 女性が一瞥する。

 数秒ほど沈黙して、思い出したように頷いた。


「キミが橘 美弥かい?話は聞いてるからこっちおいでよ」

「あ、はい……」


 ベッドに寝転がったまま、手招きをして美弥を呼ぶ。

 美弥はきょろきょろしながら女性の元へ歩み寄った。古びた本から、人が持てるのかと首を傾げてしまうような巨大な本もある。こんな窓もない地下室で、息が詰まりそうだった。


 ベッドの脇まで行くと、女性はがばっと勢いよく起き上がった。

 読みかけの本をベッドに放り投げて、眼鏡をくいくいと直しながら美弥を品定めする。体中を舐め回すように観察した後、女性は淡々と喋り出した。


「それで、キミはあの子をどうしたいんだい?」

「あの子?」

「あの少年さ。可愛い男の子。小さくて子犬みたいで、踏み付けたら簡単に死んでしまいそうなあの子のことだよ」


 女性は無表情のまま、抑揚のない声で言った。

 薄暗くて分かりづらいが、美弥でも見惚れるくらいの美女である。

 癖のない金髪は腰の辺りまで流れていて、暖色の電灯に反射して幻想的な色を放っている。整った目鼻はどこはハーフのような印象を与えた。寝転がっても強烈に主張する胸は窮屈そうにタンクトップに収まっているし、ハーフパンツから伸びる脚はシミ一つない。野暮ったい銀縁の眼鏡のせいで、休日にだらける外国語の女教師のようである。


 とまあ、誰がどう見ても美人であるのだが、口を開けばその印象はガラっと変わってしまうのだった。


「実を言うと私もあの子には興味があってね。なんでも昔は母親に虐待されてたとか、つい最近は学校の先輩に攫われてヤられまくってたとか。イイね、興味が尽きないよ。人を狂わせる少年。彼のナニが狂わせるんだろうね?」

「あー、まぁ、そうなんですか」

「それで、キミの望みはなんだい。あの子をどうしたい?」


 問われて、美弥は考えた。

 具体的にはどうしたいんだろうと思案して、思いつくことを並べた。


「うーん、なんて言うんですかね。気になるっていうか……なんか、ムカつくんですよね。下手したら私より可愛いし、なんか色々あったくせに無垢ーって感じしたり、気持ち悪いくらい優しかったり」


 吐き捨てるように。

 言い出したら、止まらなかった。


「彼女はあんな完璧美人で、色んな人に可愛がられて人気もあって。へらへらいつも笑ってて、僕は今幸せなんですよーって感じがすっごいムカつくんですよね」

「フフフ、随分あの子の事を見てるんだね、キミは。好きなのかい?」

「どうですかね。ただ先輩を滅茶苦茶にして、あの人の周りから誰もいなくなったときに、どうしてもって言うなら私が傍にいてあげてもいいかなって思うんです」

「へえ……」

「ゼツボーして、ぜーんぶ失って、ぼろっぼろのゴミみたいになってくれたら、それはそれで面白くないですか?幸せとか、友達とか彼女とか。そんなもんに囲まれてる先輩なんてつまんないんですよねー」


 あぁ、そうかと美弥は思った。

 多分自分は、明楽の事が好きなのだ。好きだから、壊してしまいたくなる。だから菖蒲の事が理解できて、同族嫌悪してしまったのだ。壊れていく明楽を見るのが楽しかったし、興奮もした。写真や動画を欲しがったのも、私が同じ性癖を持っていたからなのだ。


 唐突に理解して、受け入れた。


(なんだ、私も変態なんじゃん。人のこと言えなかったなー)


 受け入れてしまえば、後は簡単である。

 欲望のまま、あの少年を壊してしまえばいい。


「ってことなんで、手伝って貰えません?ぐっちゃぐちゃにしてやりたいんです」

「いいよ。手伝ってあげる。その代わり対価は頂くけどね」

「対価?お金とかですか?」

「いや、金は要らないよ。こう見えても腐るほどあるからね」


 金持ちなのさ、と淡々と言った。

 どうも感情が欠落しているような、人形と話しているような感覚だった。人外じみた美貌がある分、余計に気味が悪かった。


 彼女は声音を一切変えないまま、言い切った。


「その少年との時間が欲しくてね。彼の母親や黒川 菖蒲同様に、私も狂ってみたいのさ。人を狂わせるあの子なら、それが出来るかもしれないだろう?」


 眼鏡の奥で光る瞳が、鈍く淀んで見えた。












 神矢 里桜は、いわゆる天才である。


 物事を理解するのは一瞬で、大抵の事は頭の中で全て完結してしまう。数式も、言葉も、法則も。見聞きしたものは忘れないし、自由に記憶を出し入れできる。そのことに気付いた両親は私を研究所やらに連れ回し、知識を溜め込むことに専念させられた。


 とはいえ、私にも苦手なことはある。

 人と話すのは嫌いだし、まぁ最近はまともに話せるようになったけれど、他人の感情や機微を察知する能力は皆無と言えた。


 そう。

 私には人としての感情がなかったのだ。


 喜怒哀楽を理解できず、世に出回っている物語は訳が分からない。非効率のオンパレードが続く映画や小説は、なんの興味も湧かなかった

 それでも「理解できないモノがある」ことに我慢できなかった私は、人の感情を

理解しようとした。文献を漁り、教授の話を聞き、テレビに噛り付き……結局会得できたのは、上っ面の感情のようなモノだけだった。


 半ば諦めつつ、長いこと本に囲まれた日々を送っていたとき。

 私のラップトップにメールが届いた。差出人不明のそれには、いくつもの淫猥で凄惨な写真と動画が添付されていた。それを見た時、私の体の奥から衝動めいたものが沸き上がったのを感じたのだ。


 メールにはある少年の生い立ちが書かれていた。

 恐らく写真に写っていた少年のものだろう。幼少期から母に虐待され、犯されていたようだ。姉に引き取られてからは恋人ができ、つい最近は年上の女性に拉致監禁され、また犯されていたらしい。

 この少年を欲しくないかと書かれたメッセ―ジに、私は興味を持ったのだった。


 後は調べるだけだった。

 色々なコネクションを使って、彼の事を調べ上げた。結果、理由は不明にしろ、彼は人をオカしくさせるのだと気付いた。母親、先輩……恐らく、その恋人や姉もだろう。そして今日来た、あの美弥という子。あの子もだいぶ歪んでいた。


 私は久しぶりに湧き上がる興味に、感じるはずのない悦びを覚えた。

 これが「嬉しい」なのかは分からない。分からないが、この機会を逃したくなかった。



―――彼ならば、私に感情を教えてくれるかもしれない。



 喜怒哀楽。どの感情かは分からないが―――いや、この際どれでもいい。悦びでも怒りでも、悲しみでも悦楽でも。どれか一つだけでも構わない。理解するチャンスを得たのだ。

 人を傷付けたいとか、他人と体を重ねたいとか人生で一度だって思ったこともない。そもそも食事だって気まぐれに仕方なく取っているし、睡眠は体が勝手にオフにするまで起きているのが常である。性欲だってないのだ。三大欲求のはずなのに、私には欠落している。人間として壊れているのだ、私は。


 だから、彼と会いたいと思った。

 私を狂わせてほしい。彼の母や黒川 菖蒲のように、狂気の味を知りたい。

 人生で味わったことのない世界を、私にも教えてくれ。


 研究者なんかとうに辞めたと思っていたが、まだまだ根っこに染み付いているらしい。

 マッドサイエンティストとか言い方は色々あるが、まあ何でもいい。目的のためなら過程や犠牲は気にしない性質なのだ。気の毒だが、彼には私の犠牲になってもらおう。


 まずは美弥に協力して、彼を―――もしくは彼の周囲を壊してみよう。

 近いうちにコンタクトをとって、色々調べてみなければ。


 ばくばくと波打つ心臓を抑えて、私は本を閉じた。


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