和葉Ⅷ

 こんなに楽しそうに笑う少年は久しぶりだった。


 年相応の、屈託のない笑顔。

 彼を取り戻してから今まで、こんな表情を見せたことは無かった。笑うこと自体はあったものの、苦笑いや愛想笑いばかりだったのだ。


 元気が戻って嬉しいと思う反面、言いようのないモヤモヤしたものが胸の内を渦巻いている。それを吐き出すわけにもいかず、和葉は遠巻きに彼らを見守っていた。


 四人掛けのソファに明楽と友人二人が座り、テーブルを挟んだ対面の椅子に和葉が座っている。彼女の後ろには真琴が静かに立っていた。


 時刻は午後一時。

 かれこれ三時間は話し込んでいる。そろそろ頃合いだと、和葉は話を遮った。


「明楽くん、そろそろ」 


 腕時計を指さして促す。

 少なくともお昼頃には解散しようと言っていたのだから、いい加減帰ってもらわなければ。


「あ、そうだね。もうこんな時間だったんだ」

「えー、いいじゃねえか。学校サボっちまったしこんな時間に帰れねーよ」

「俺は……まぁ、どこかで時間を潰せばいいか」

「明楽くんは病み上がりなんですし、明日には登校しますから。今日は準備やらで忙しいんです」


 真也と和馬はあまり解散に乗り気ではなさそうだった。

 中学時代から三人で遊ぶことも多く、当時まだ明楽とまともに話すことも出来なかった和葉は、彼らの関係性が羨ましくて仕方がなかった。

 恋人になった今でも、まだ距離を感じることだってあるのだ。そんな不安が残る中で、彼らが仲良く話している姿を見てしまったのだから、感じていた不安はますます大きくなっていくばかりであった。


 切り上げようともせず、まだ居座ろうとする二人に、和葉は語気を強めて言う。


「二人とも、約束しましたよね?」

「まぁ、したけどよ……」

「なら守ってください」

「あー、もう。分かったって」


 真也が頭を掻きながら、しぶしぶ承諾した。

 和馬は元から帰るつもりだったようで、既にカバンを手に持っている。

 見送ろうとする明楽を手で制して和馬が言った。


「明日から学校来るんだろ?」

「うん。もう歩けるし、行くつもり」

「ならいい。昼飯は俺が奢ってやる」

「ホント?久しぶりに焼きそばパンが食べたいなぁ」


 わかった、と苦笑して、和馬は立ち上がった。

 不満そうな顔で真也もその後に続く。玄関まで二人を送ってから、和葉は扉に鍵とチェーンを掛けた。


 先程までとは打って変わって、リビングにしんとした空気が流れる。

 ソファに座る明楽の隣に、和葉が腰かける。浮かない表情を浮かべていた。


「……仲が良いんですね」

「うん。二人が友達になってくれたから、僕も普通に生活できるようになったしね」

「そうですか」


 会話が続かない。

 彼女にしては珍しく、俯いたままだった。普段なら無言の時間なんてほとんどないくらいであったが、近頃は何か思いつめたような顔ばかりしている。心配しても「何でもありません」と返されるのだ。あまり踏み込んではいけないのかと、明楽は追及はしていなかった。


「明日から学校ですね」

「だね。久しぶりだなぁ」

「また迎えに行きますから、ちゃんと待っててください」

「うん、ありがとう」

「それから、遅れた分の勉強は補習があるそうです。私も一緒に受けますから」

「和葉さんも?……あー、そっか。入院してた分か」

「ええ。しばらく行ってませんでしたし。それと、生徒会についてですが」


 一呼吸置いて、明楽の目を見る。


「生徒会は辞めてください。放課後は補習以外、私と一緒にいるようにしてくださいね」

「え、でも……急に辞めるのはマズいよ。ただでさえ黒川先輩がいないのに―――」

「あの女が何だって言うんですか」


 空気が震えた。

 聞いたことのない、和葉の静かな怒声。怒りが籠った目が少年を射抜いて、スカートを掴む手に力が込められていた。


「黒川?まだあんな女を先輩だなんて呼ぶんです?」

「……いや、その。ごめん」

「いえ、いいんですよ。明楽くんはそういう人ですから。優しすぎて、自己犠牲ばかり。自分が殺されようが、きっと貴方は誰も恨まないんでしょう」


 呼吸を忘れて、和葉が捲し立てる。

 明楽は何も言えなかった。感情的になる彼女は見たことがない訳ではないが、こんな表情は初めてだった。


「そんな明楽くんも嫌いじゃないです。でも、恋人の私はどうしたらいいんですか。ずっとずっと好きで、やっと想いが通じたのに。貴方はよそ見ばかりで、私は追い掛けてばかり。今日だって、私と話すより楽しそうだったじゃないですか」


 菖蒲の事を言っているのだと、明楽は理解した。

 それはそうだ。和葉と付き合っているのに、菖蒲に会いに行ったのだ。

 その前日に和葉と体を重ねて困惑していたのも事実ではあるが、丁度良く降って沸いた見舞いと言う口実に逃げたのも紛れもない真実である。 

 それから目を背けて、彼女に甘えていたのだ。そんなに簡単に飲み込める話でもないのに、逃げ出したのだと明楽は後悔した。


「私の事好きなんですよね?告白したとき、よろしくお願いしますって言ってくれましたよね?私の何がいけなかったんですか。強引にエッチしたからですか。あの女の事が好きだったんですか。私の事、嫌いになったんですか……」


 言葉が震える。

 瞳からぽろぽろと涙が零れ、閉じた唇の奥から嗚咽が漏れる。

 そんなことない、と明楽は言いたかった。が、自分の行動を顧みれば、確かに彼女が不安になるのも当たり前だ。告白されてから今まで、辛かったのは自分だけではないのだ。同じように彼女の思い詰めていて、それに気付けなかった事に自己嫌悪した。


 そっと彼女の手を取った。

 固く握られていた手が開いて、指が絡まる。初めて見る和葉の弱い部分に、明楽は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。


「ごめん。本当に、ごめんなさい」

「ぅっ、ぐす、……っ」

「色々あって、考えることが多くて、和葉さんの事を蔑ろにしていたと思う。楽なほうに逃げて、和葉さんを傷付けた。でも嫌いになったりとか、そんな事は絶対にないから」


 手がぎゅっと握られる。

 今自分が感じる本心を、彼女に伝えたかった。


「和葉さんのこと、僕も好きだよ。嘘じゃない。大事に思ってるし、これからも一緒にいたいと思う」

「ほんとう、です、かっ……」

「うん。まだ自分の中で整理できてないこともあるけど、これが僕の本心だから。ちゃんと向き合うようにするよ。色々心配かけて、ごめんね」


 背中をぽんぽんと叩くと、和葉の頭が胸へと押し付けられた。

 そのまま彼女は声を上げて泣いた。大人びた彼女からは想像もできないようなことだったが、明楽は不謹慎ながらも少し嬉しく感じていた。


(これからは気を付けなくちゃ……)


 敬語を崩さず、完璧そうな彼女でも、感じる痛みや不安は同じなのだ。

 それに甘えていた自分が恥ずかしかった。恋人になったのだから、もっとそういった部分に目を向けるべきだったのに。

 


―――和葉さんともっと、向き合わなきゃ。



(って、思ってるんでしょうね)

 

 少年の薄い胸板に顔を押し付けながら、和葉は心の中で嗤った。












 気に入らない。

 何もかもが、気に入らない。


 喜んでくれればと、確かに思った。だから彼の友人を連れていったのだ。


 私の全ては、明楽くんのためにある。

 身も凍るような過去にも負けず、懸命に生きようとする優しい彼。

 傷だらけで、今はもう走ることもできなくなった体の彼。

 可愛らしく素直な、誰よりも他人を優先してしまう彼。


 そんな彼のためなら、私は何でもする。

 献身とかそんなちっぽけな話ではない。身も心も、命すらも。私は彼のためになるのなら、何だってしてやる。


 だから、明楽くんも。


 彼も、私のためにあるべきだ。

 私のためだけに笑って、泣いて、生きてほしい。

 誰よりも貴方を愛している私だけに、愛を注いでほしい。大きな瞳も、鈴の音のような声も私だけに向けるべきであって、友人なんかと比べて貰いたくはないのだ。


 私の全てをあげるのだから、貴方の全てを私に捧げて。

 私の中で膨れ上がった感情は、もう抑えることは出来なかった。


 日に日に増していく独占欲のキッカケとなったのは、黒川 菖蒲のせいだ。

 あの女が彼を奪っていってから、私の中で何かのタガが外れてしまった。彼がいなくなったあの日々は、私の人生の中で最も恐ろしく屈辱的で、何度も死んでしまおうかと考えるくらいだった。


 彼を取り戻した今、二度と同じ轍は踏まない。


 彼をもっと私に依存されていれば、あの日黒川と会うこともなかった。

 彼をもっと縛り付けていれば、攫われることもなかった。

 二人の障害となるのなら、もっと早くに処分しておけば良かった。


 全て私の甘さが招いたこと。

 そしてその甘さは、私にはもうない。


 彼を騙す事になっても、彼が私だけを見てくれるのなら、いくらでも演技する。

 健気で一途で、実は脆い女の子。男の子なら誰でも好きでしょう?

 明楽くんも例外ではなかったようだ。手を握って、胸で泣く私を抱き締めてくれた。これで彼は私をもっと見てくれるだろう。

 明楽くんは隠していたつもりだろうが、彼の心に罪悪感があるのはバレバレだった。菖蒲との浮気未遂とか、私を放っておいたこととか。彼は顔に出やすいタイプなのだから、嘘なんて付けないのだ。

 

 あとはそこに付け込むだけ。

 卑怯だと罵られようが関係ない。誰も気付かないし、利用できるものは利用すればいい。彼を完全に私のモノにするためには、形振り構っていられなかった。


 これで問題の一つは解決に向かうだろう。

 残りは、学校の友人たちや、隠れた彼のファンたち。

 マスコットやペットみたいに可愛がられる中でも、本気で明楽くんに想いを寄せている連中は何人かいるのだ。加えてあの自称親友二人は、私たちの未来の妨げになるかもしれない。私以外に仲の良い人間は、彼には必要ないのだ。


 であれば。

 彼の友人だろうが、邪魔になる以上消えてもらわなければならない。


 そう心に決める。

 決めて、自分に言い聞かせる。やる事は一緒だ。今まで通り真琴に手伝って貰って、邪魔者は消してしまえ。全ては私と明楽くんの未来のために。汚い事だろうが知ったことか。


 私の手はとっくに汚れているのだ。今さら気にしたって、仕方がないでしょう?

 


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