和葉Ⅴ / 美弥Ⅴ

 駅周辺の開発地区や、その周りを囲むように整備された住宅街から少し離れた所に、明楽の入院する病院はあった。


 郊外にあるため土地は広く、駐車場は驚くほど収容台数が多い。

 比例して病棟の数も多いため、来院者も勤務する看護師や医師もかなりの人数である。窓から見える散歩コースを歩く人々を眺める毎日も、それなりに飽きはなく楽しめていた。


 手すりの付いたコースを歩く老人を見つめる明楽を、こちらも飽きもせず眺める和葉が、にこにこしながら話しかけた。


「明楽さん、そろそろトイレは大丈夫ですか?」


 また来た、と明楽は頭を抱えた。

 もちろん腕は折れているため、実際には抱えることは出来ないのだが。それでも心の中では頭を抱えるどころか、耳も目も塞いで丸まりたい気持ちでいっぱいであった。


 窓から目を離して、和葉を見る。

 これ以上ないくらい、にこにこしていた。右手には既に尿瓶が持たれていた。言外に「準備万端ですから、さっさとイエスって言ってください」と迫られているような気分である。当然、彼女もそのつもりだった。


 うー、と悩んだ挙句、明楽は困った様子で、


「……うん、お願いシマス」


 と、答えた。

 と言うのも、仕方のない事なのだ。

 目を覚ましてから二週間が経ち、体も順調に回復している。顔の包帯は取れたし、もう少しすれば折れた足も腕もリハビリ程度には動かせるようになる。

 そんな中で和葉から「水分と食事は回復には超重要ですから」とお茶やら水やらを飲まされ続ければ、トイレが近くなるのも無理はなかった。

 

(それだけじゃないような気がするけど……)


 なんて口には出さない。

 体を拭くことはもちろん、排せつや食事も和葉の手によって行われていた。

 準備してやってきた看護師を早口で捲し立て、視線で人が殺せるかも、と思えるくらい睨み付けて追い返すのだ。


「明楽さんに触れようって言うんですか?私の目の前で?喧嘩売ってるんですか?」


 と笑顔で言われれば(目は一切笑ってなかった)、まだ二年目の看護師の女の子が怯えるのも当然である。

 半泣きで扉から一切踏み入れない(これも和葉が立ち入り禁止にした)彼女を満足気に見送ってから、独占欲丸出しの和葉による一切合切のお世話生活が始まったのだった。


「さぁ、ズボン脱ぎましょうねー」

「うぅ……」


 明らかにご機嫌具合の増した彼女に身を任せて、明楽は小さく唸った。

 同級生の、しかも誰もが振り返るような美少女にズボンを脱がされるのは、仮にそういう趣味があったとしても恥ずかしいのだ。


「はい、っと……ちょっと腰上げますからね。痛かったら言ってください」

「……あんま見ないで」

「何言ってるんですか、もう。まだ恥ずかしいんです?」


 当然だよ、と明楽は消え入りそうな声で言った。

 自分でも何を今さら、とは思うけれど。菖蒲の一件はズボンどころの話ではなかったが、状況が違うのだ。ある意味素の状態なのだから、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。


 和葉の腕が明楽の腰に回り、ゆっくりと持ち上げられる。

 その隙に手早くズボンがパンツごと下ろされると、和葉の表情がより一層にやにやしたものになった。


 ごくり、と和葉の喉が鳴った音がした。

 視線もどこかネバついているような気がする。だんだん彼女の息が荒くなり始めたのは、勘違いではなかった。


「……へんたい」


 ささやかな反撃。

 効くか効かないかはさて置いて、これくらいの仕返しくらいはしてもいいだろうと思った。


「それだけ言えるなら、もう大丈夫そうですね。鍵は閉まってますから、久しぶりにどうですか?こっちはもう一月近くお預けされるんでいい加減限界なんですけど」

「ねえホントにバカじゃないの!?」

「バカじゃないです。初めてシてから、もうずっと……消毒もしなきゃならないんですから、そろそろいいじゃないですか」


 消毒?

 と、明楽は首を傾げた。

 目の前でにこにことしている和葉の言葉は、何だか妙に迫力があった。普段から笑顔を絶やさない彼女ではあるが、フラストレーションが溜まりに溜まっているようだった。


「まだダメだって」

「何でですか。トイレが出来るんですから、少しくらい……」

「……なんでそんなに」

「あの女とは出来て、私とは出来ませんか?私は明楽くんの恋人で、婚約者ですよね?あんな奴に、貴方が十日も凌辱されたんですよ。私で上書きして、消毒して、私の匂いを付けて馴染ませなきゃいけないと思うのは、当然じゃないですか」


 にこにこ。

 言葉さえなければ、美しい少女が可愛らしい少年の腰を抱きかかえているような、そんなシーンだ。ただ内容は酷く物騒で、仮面の内から抑え切れない衝動が滲み出ていた。


 ぐ、と腰に回った腕に力が入った。

 顔が迫って、彼女の視線が唇へと移される。舐めるように首筋から下半身へと流れて、また少年の瞳へと戻った。


「ね?」

「……ぁぅ」

「ワガママ言わないでください」


 ワガママなのかこれ、と心の中で抗議してみるが、彼女には伝わらなかった。

 明楽は諦めたように唇を噛んで、無言で小さく頷いた。


「ふふ、素直ですね」


 和葉は本心から嬉しそうに笑って、唇を寄せた―――と、触れる寸前で止める。

 小さく舌を出して、茶目っ気たっぷりに言った。


「ごめんなさい、先にトイレでしたよね……」


 思い出してくれてよかった、と実は我慢していた明楽は、心のそこからそう思った。








 足を伸ばしても十分な広さのあるバスタブで、美弥は半身浴を楽むことにした。


 休日の過ごし方はほとんど外出してばかりだが、天気が悪くなりそうな日は家に引き籠る事にしている。

 友人からの誘いがあろうが、楽しみにしていた映画があろうが、家から一歩も出るつもりはなかった。自宅から数分の所にあるコンビニに行くことすらお断りである。


 お気に入りのアロマキャンドルに火を灯して、バスオイルを数滴垂らす。

 張った湯の温度も丁度良くて、耳に僅かに聞こえる程度のハウスミュージックが浴室内に流れていた。読みかけの本とスマートフォンを持ち込めば、完璧な癒しの空間の出来上がりだ。


「さぁーってとー」


 鼻歌を歌いながら、スマートフォンを操作する。

 メッセージアプリのアイコンにはいくつものポップアップが表示されていた。チャットルームを開いて、内容に目を通す。複数人のメンバーの会話はかなり盛り上がっているようだった。


「おーい」


 と、打ってみる。

 ものの数秒で返事が返ってきた。


『みゃーじゃん』

『反応遅いんですけど』

『っていうか、みゃー見た?大好きな先輩さんの話』


 みゃー、とは美弥の事だ。

 小学校の頃からのアダ名である。高校の友人からは単に美弥と呼ばれてばかりだが、実は結構気に入っていたりするのだ。かといって「みゃーって呼んで」と言うのも気恥ずかしいため、黙って名前で呼ばれることにしていた。


「見た」

『ソッコーで監禁生活終わっちゃったじゃん』

『あんま使えない会長サマだったね』

「頭おかしい人だったからねー。浮かれて調子乗ってたんじゃない?」

『ウケる』

 

 ウケないし、と内心思いながら、湯を足でくるくる掻き回した。

 柑橘系のバスオイルの香りが鼻をつく。じんわりと汗が滲んで、なんだかお洒落な過ごし方をしているな、と気分が良くなる。ちょっとセレブみたいだとくすくす笑った。


『〇〇病院だってさ。結構ケガやばいって』

『顔に傷付けるとか何考えてんのあの人』

『マジで?』

『マジ。見る?』


 ぽん、と画像データが表示された。

 窓の外からの画像ではあったが、病院のベッドで横たわる明楽の姿だった。体中を包帯やギプスで巻かれている。二枚目の画像に映っていた、顔半分を覆った包帯やシップを見て、美弥の口元がぐにゃりと歪んだ。


「あー、これバレたからって思いっきりやっちゃった感じだ」


 あはは。

 幼い子供のように嗤って、美弥はばしゃばしゃと足をバタつかせた。


『せっかくの可愛い顔が台無しじゃん』

『えー、だからこそじゃない?』

「や、でも先輩の顔って結構そそるって言うかさー」


 そこまで打って、美弥は手を止めた。

 明楽の顔は結構好みだ。表立って口にした事はないが、ああいう女顔と言うか、幼い感じの男子はツボだったりする。まるで漫画の中のキャラクターみたいな男の子なのだ。気に入らない方が嘘である。


 少し思案して、メッセージを打ち込んでいく。

 チャットのメンバーは友人ではないのだ。今さら本心を隠したところで意味がなかった。


「不幸が似合うって感じしない?ゼツボーした顔させたくなるっていうか、苦しんで苦しんで泣いてるとこ見ると興奮すると思う」

『うっわ』

『キッモ』

「はー!?」

『分かるけどさ』

『趣味じゃないなぁ。っていうか、だからアタシたちに色々お願いしてきたワケ?』

「当たり前じゃん。それ以外に何があんの」

『マジ先輩さん可哀そう。こんな変態に狙われて』

『人の事言えないし』


 チャットでは言いたい放題だった。

 顔の広い美弥が集めた、人には言えないような技術や趣味を持った連中。先程の画像みたいな盗撮、盗聴は朝飯前として、人ひとりくらいなら簡単に不幸のどん底に落とすことだって出来る。彼女がした「お願い」も、チャットに登録された十人のメンバーが手を回してくれたのだった。


『〇〇駅の近くにある図書館に』


 温くなってきた湯舟にお湯を足していたとき、小さな通知音と共に新しいメッセージが表示された。

 あまり会話には参加しないメンバーだったが、不気味なくらい淡々と「お願い」を聞いてくれる自称未成年男子だ。どんな無茶難題を吹っ掛けてもあっさりとこなしてしまう彼は、美弥の依頼なら見返りも求めずに対応した。


『神矢 里桜って司書がいる。地下室の閲覧制限図書ってところに』

「なにそれ。閲覧制限?」

『元々その女が持っていた物件を改築して、開放している図書館なんだと。貸出とかはしてないが、中に入って読むのは勝手にしてくれってスタンスらしいけど』

『図書館じゃないじゃん』

『そんなの俺が知るか。とにかく、地下室はその女専用の場所らしくて、大抵はそこにいるだってよ』


 ほほう、と美弥は頷いた。

 噂程度には聞いたことがあった。学校の最寄り駅から二駅ほど離れた町に、変人がやってる図書館がある、と。

 見た目はただの巨大な豪邸らしく、常識ある人間なら勝手に入ろうとは思わないのだとか。


 美弥は汗をタオルで拭いながら、続きを待った。


『その司書に先輩サンのプロフィールと画像を送った。「あの画像も」ついでに。そしたら、思いの外食い付きが良かった』

「あの画像って?」

『趣味の悪い会長サンのコレクションのこと』


 あぁ、と納得した。

 ハッキング趣味のメンバーが、菖蒲のPCをクラックしてデータを丸ごとコピーしたのだ。ハードディスクの中身のほとんどが、目を覆うどころか、世に出たら一発でアウトだろうというような画像や動画で溢れていた。たった十日ぽっちでよくもまああれだけ撮れたものだと、美弥は素直に感心してしまったのだった。


『ただ、気を付けろよ』

「え?」

『調べたけど、マジで頭飛んでるぞ。出来るならもう関わりたくない』

「そんなにヤバい人なの?」

『ヤバい。チープな言葉だけど、狂ってる』


 ふーむ、とスマートフォンを頭上に掲げて、美弥は思案した。

 イカれてる、狂ってる程度ならまだ良い。菖蒲も大概ネジの外れた女だったけれど、あれ以上ってことはないだろう。対等くらいでも、掌で転がせるくらいの自信があった。


「ま、行ってみるよー」

『分かった。何度も言うけど、気を付けろよ』

「はいはい」


 その後も何度かチャットのやり取りを続けて、一時間が経った辺りでアプリを閉じた。

 

(会長さんは期待外れだったし、桐生先輩とか司書さんにも頑張って貰わないとねー)

 

 あはは、と笑って、美弥はバスタブから立ち上がった。

 いい感じにオイルも体に馴染んで、体磨きとしては十分だ。あとは髪の手入れと、ネイルを仕上げてしまおう。顔はいいや、元から可愛いから。


 鼻歌の続きを歌いながら、熱めのシャワーで体を流す。


 彼女の「お願い」は、着々と進行しつつあった。

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