美弥Ⅳ

「なんか駆け落ちしたって噂になってるみたいですよぉ……っと」


 可愛らしいスタンプを添えて、メッセージを送る。

 菖蒲とのやり取りは決して多いわけではないが、一日に一回は定期的に報告することになっている。学校の動きだとか、世間の動向だったりとか。特に和葉の動向については何かあればすぐに、と命令されている。

 命令というのがちょっと癪だけれど、とにかく長いものには巻かれろの精神である。

 メリットの方が多いのだから、今は素直に従っておくことにしていた。


(桐生先輩の事なんて分かるわけないしなぁ……っていうか、そんな仲良くないし。最近すごい機嫌悪いって話だし)


 あの明るくて綺麗な先輩が、近頃鬼のような形相をすることがあると言う。

 花が咲いたような笑顔を振りまいて、誰が見ても分かるくらいに上品なオーラを漂わせているあの人が、である。

 昨日なんて校舎裏で告白した男子生徒を延々罵倒した挙句、土下座させたとか。彼は明楽と別れたのだと思ったらしい。

 まさかあの桐生和葉がそんな事をするなんて、と噂になっていた。


 ぽん。


 うーん、と悩んでいると、菖蒲からメッセージが返ってきた。

 相変わらずの簡素な返事だ。一言、「桐生に近づいて掻き回せ」と表示されていた。


「はぁ?もう、簡単に言いすぎだし」


 そもそもどうやって近付けと言うのだろうか。

 接点だってないし、あっても今は話しかけられるような雰囲気でもないのだ。

 

 ぽん、とまたメッセージ。

 また一言と、今度は数分の動画付き。

 じっと眺めて、溜息を吐いた。


「……もー。しょうがないなぁ」


 十八歳未満お断りにも程があるような動画に、美弥は心動かされてしまった。











「と言うわけで、桐生先輩に超重要なお話があるんです」


 まず何が「と言うわけで」だ、と思った。

 登校した早々に見知らぬ後輩から声を掛けられたのだ。

 脈絡もない上に、和葉が嫌いなタイプの女の子。あざとさが全面に押し出された喋り方はいちいち癇に障るし、デフォルトで上目遣いなのも腹が立つ。和葉の方が背が高いためなのだが、だからどうしたと吐き捨てるくらいに苛立っていた。


「……ごめんなさい、話が見えないのですが」


 だからと言って、当たり散らすような真似はしない。

 数日前に告白してきた男子生徒には散々八つ当たりしてしまったが、今は他の生徒の目もあるのだ。それくらいの理性はまだ残っていた。


「もうすぐ授業始まっちゃいますし、手短に言いますね。柊木先輩についてのお話です」

「……」

「先輩、学校来てないですよね。先生から聞いたんですけど、連絡も取れないとか」

「だから何でしょう。貴女……ええと、お名前は……」

「橘です。橘 美弥。私も生徒会に入ってるので、柊木先輩にはお世話になってます」


 ち、と聞こえた気がした。

 お世話になっている、と聞いた瞬間、僅かだが眉を顰めた。

 内心で「こっわ。こんな人だったっけ」とおどけつつ、表情は真面目なまま、話を続けた。

 

「それで心配になって、色々調べてみたんです。私こう見えても顔広いんですよ?」

「……それで、だから何なんです?明楽くんを見つけたとでも?」

「はい。その通りです」


 言い終わった瞬間、美弥の胸倉が掴まれた。

 ピンク色のリボンタイが解け、薄く色づいたワイシャツのボタンが弾ける。

 抗議の声を上げようとしても、お構いなしに引っ張っていく。抗議の声はまるっきり無視で、あっという間に連れ去られていった。


 剣呑な雰囲気を帯びたまま、和葉は昇降口から離れた体育館裏まで彼女を連れ出した。


「いったぁ……もう、先輩乱暴ですよ」


 体育館裏は校舎側からは見えず、周囲は塀と木で覆われている人気のない場所だ。

 告白でよく使われるスポットではあったが、今は甘酸っぱさの欠片もないくらい空気が悪い。今にも殴りかかってきそうなくらいである。


 明らかにピリついた和葉を前にして、流石に美弥も不満そうな声を上げた。


「むしろ感謝してくれて良いと思うんですけどー?」

「明楽くんの居場所を言えば、感謝でも何でもしてあげます」

「だから言うって言ってるじゃないですか。そんなカリカリしてると先輩に嫌われちゃいますよー」


 視線がさらに強くなる。

 美人は怒ると怖いと言うが、なるほどと納得できるくらいに迫力があった。ただでさえ身長差がある上に、今は迫られて壁に押し付けられる寸前である。少しからかってやろうと調子に乗ったのが悪かった。まぁ、わざとだけど。


 和葉には、ほんの少しの余裕もない。

 心労で連日眠れず、何とか登校しているものの、体も心も疲弊し切っているため授業なんか頭に入ってこない。居眠りしないだけ褒めてほしいくらいだ。

 最近は友人と英語の宿題について話していたはずなのに、気付けば宇宙や某国の陰謀論を延々と解説していたらしい。本気で友人に入院を勧められてたのは初めての経験であった。


(わー、結構やばそう。そのうち倒れるんじゃないの、この人)


 ほとんどゼロ距離で見上げる彼女は、思いの外酷い有様だった。

 目の下にはメイクで隠しきれない程の隈。肌は荒れ気味だし、髪もちょっとパサついている。別人なんじゃないか、と思えるレベルの人の変わりようも含めて、和葉がどれだけ精神的に追い詰められているかが分かる。



―――まぁ、それならそれで。


 

 美弥としては好都合である。

 和葉のことは決して嫌いではないが好きでもない。気になり出した男の恋人なのだから、どちらかと言えば気に食わないという感じ。

 だからか、先ほどからボロボロになりつつある彼女を見ていると、何となく気分が良かった。


「それで、明楽くんはどこに?」

「教えたら、私のお願い聞いてくれますか」

「彼はどこです?」

「だーかーらー。交換じょうけ―――ッ」


 へらへらと言おうとして、喉が詰まる。

 正確には詰まったのではなく、詰まらされたのだった。


「ああぁ、もう。イライラさせますね貴女は」


 気管を圧迫される感触。

 息を吸おうとしても、これっぽっちも入ってこない。軽いパニック状態だった。


「が、あっ……ちょ、っとぉ」

「私も結構ギリギリなんですよ。明楽くんがあの女に何かされてるかもしれないって言うのに、貴女みたいなバカ女の話なんか聞いてられると思ってるんですか……!」


 和葉の手が美弥の細首をぎりぎりと締め上げる。

 小柄な少女の顔がみるみるうちに赤く充血していく。コンクリートの壁に背を押し付けられ、爪先立ちだった足が浮き出した。


(や、っば……調子乗りすぎたぁ)


 さっきまでの顔がまだマシだったと思えるほど、今の和葉の顔は鬼気迫っていた。

 締め上げる手は少女のモノとは思えないくらいに力が強く、振り解こうにも、足で蹴り上げようともビクともしない。爛々と鈍く光る眼はまるでライオンか何かのようである。


「だいたい、何で貴女如きが彼を見つけられるんですか。私だって、ウチの者だって、警察だって見つかられなかったって言うのに……」

「ま、って、せんぱっ」

「待って?待ってって何です?まだ私に待てって言うんですか?いい加減にしてくださいよ。これ以上ごちゃごちゃ言うなら、貴女の体に訊いたっていいんですよ。あぁ、そうですね。それが良いかもしれません。だって貴女怪しいんですもん。散々探して見つからないのに、『居場所知ってます』だなんて。もしかしたら貴女もあの女の仲間なんじゃないんですか?」


 唇がぐにゃりと歪む。

 歪なそれから吐かれる言葉は、別人のそれのように低く暗い声。だんだんと失われていく瞳の光に、いよいよ美弥は本気で命の危険を覚えた。


「ぃ、う……言うか、らッ」

「……あら、そうですか」


 瞳に色が戻る。

 凍え切ったような空気が霧散した。


「そうならそうと、早く言ってくださいよ」


 和葉の手が離れた。

 狭まっていた視界が一気に開けていった。何度も咳き込み、呼吸を繰り返してようやく薄れかかった意識が戻る。


「げほっ、……言ってたじゃ、ないですか」


 喉をさすりながら、和葉を見上げた。

 菖蒲から和葉の黒い噂を聞いてはいたものの、思った以上に狂っているようだ。

 暴力だろうが何だろうが、見境がなくなっている。罪悪感の欠片もなく、それこそ少年を見つけるためなら半在だって厭わないだろう。


 普段は笑顔で隠されているのだが、根底では執着心や依存癖が異常なまでに強いのだ。それが今回の件で、噴火寸前の火山のような状態になっていた。

 恐らく下手にちょっかいを掛ければ、本気で拷問くらいはするかもしれない。


(会長、ごめんなさい。もうついていけないかもです……)


 菖蒲の言う通りにしたらこのザマである。いくら共犯関係とは言え―――そもそも報酬自体まだ貰ってないのに―――これでは割に合わないどころの話ではなかった。


「素直に吐くのなら構いませんよ。私としても、無駄な手間は省きたいので」


 で、と冷たい目が見降ろす。

 言外に「さっさと言え」と迫っていた。首を絞められた苛立ちよりも、単純に恐怖の方が今は勝っている。嘘やごまかしで乗り切れそうな雰囲気ではなかった。

 

(やらかしたかなぁ……嘘言ってバレたらヤバそうだし、かと言ってホントの居場所なんか知らないし)


 菖蒲が連れ去ったのは知っているのが、居場所までは教えてもらってはいない。

 適当な場所を言って引っ掻き回してやろうと思っていたのだ。

 そんな安易な思いでいたら、この弾けっぷりである。貧乏くじの上に藪蛇であった。


 とりあえず、何か手掛かりになりそうなものは、と考えてみる。

 答えはすぐに見つかって、言い訳もあっさりと思いついた。


「正確な場所は知らないですけど……ヒントっぽいのは知ってるんです」

「……どういう事です?」


 温度が下がった気がした。

 冷や汗は出っ放し。喉はまだ痛いし、視界が歪んでいるのは涙のせい。まだ立てそうにないのは、足が震えてるからだろう。


 また襲われる前に、とカバンを探る。

 スマートフォンの写真フォルダから、菖蒲から送られてきた写真の一部を表示した。


「これです。会長から送られてきたんですけど……」


 写真には明楽と菖蒲の二人が写っていた。

 ベランダで撮ったらしく、ガラスのフェンス越しに海と特徴的な形の山を背景にしている。隅には小さく港町のようなものまであった。


 和葉はじっと眺めて、自分のスマートフォンへと送った。

 ぶつぶつと呟いてから、今度は何かを確信したように頷いた。


「やっぱりあの女が攫ったんですね」

「知ってたんですか?」

「いきなり二人で消えれば誰だってそう思うでしょう。そもそもあの女は、明楽くんに執心してましたから」

「……なら、どこにいるかくらい分かるんじゃ」

「黒川はそれなりに権力を持ってるんです。本気で雲隠れしたら、そんなに簡単には見つけられないんですよ」


 でも、と付け加えた。


「これで、やっと目途が立ちそうです。非常に良いヒントを貰えましたから」


 嬉しそうに笑った。

 先程までの悪鬼羅刹の形相は消え、美弥の知る普段の彼女に戻りつつあった。


「何で黒川がこんな写真を貴女に送ってきたかは、今は訊かないでおいてあげます。これ以上酷い目に遭いたくないなら、あの女より私の方に付く方が良いんじゃないですか?」

「会長とは仲良くして貰ってただけです。なんで送ってきたかなんて……」

「ふぅん。まぁ、そういう事にしてあげますけど。……喉、大丈夫ですか?

「……はい。大丈夫です」


 あんたがやったくせに、とは言わない。

 また刺激して大爆破されるのは御免だ。


「頭の悪い子かと思いましたが、意外と使える子ですね。黒川から連絡があれば、また私に教えてください。……くれぐれも、裏切らないように。今度は首だけじゃ済みませんよ?」


 少しは元に戻ったかと思ったが、どうやらそんな事はなさそうである。

 押し黙る美弥を見て、和葉は小さく笑う。どうやら彼女が和葉の側に付くことを承諾しと認識したようだ。 


「では、私はこれで。また連絡しますね」

「私の連絡先、知ってるんですか」

「調べればすぐですから」


 そう言い残して、和葉は去っていった。

 途中でどこかに連絡していたようだが、今の美弥には興味がなかった。今はさっさと消えてくれと願うばかりなのだ。


 完全に和葉が見えなくなってから、思い切り溜息を吐いてやった。

 手鏡で首回りを確認。うっすらと赤くなっているが、これくらいなら髪とワイシャツでどうにか隠せるだろう。


 (あーあ、もうちょっと遊べるかと思ったのに。ソッコーで終わっちゃった)


 夏前くらいまでは、もう少し楽しめると思っていたのに。

 どっちに転んでも面白いからいいか、と美弥はけらけら笑う。



 美弥は心の中で舌を出して、スマートフォンを操作した。




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