菖蒲V / 少女の回想
男の名前は憶えていない。
名刺を貰った気がするが、びりびりに破いて捨ててしまった。
どうせ思い出す気もないのだから、今となってはどうでもいいことだ。面倒だから、ササキとでも呼ぶとしよう。
ササキは、今まで家に来た男たちとは少し……いや、大分違っていた。
話は面白いし、態度は紳士的。視線は気になることもあったけれど、気安く体を触ろうとしてくることもなかったし、手料理を振舞ってくれたこともあった。
些細なことかも知れないけれど、少なくとも、当時の私にとっては衝撃的なことだったのだ。
男なんて、と思っていた私が、ササキにだけはいつの間にか心を許していた。
―――許してしまっていた。
その日も母は不在だった。
男達を連れて買い物へ行っていた。どうせそのままホテルへ行くのだろうから、家に一人でいる事になるのは分かっていた。
が、ササキは母とは行かず、家に残ると言い出したのだ。
母も興味なさげに「そう」とだけ言い、早々に家を出た。
私は戸惑ってはいたが、ササキならいいか、と妙な安心感を持ってたりもした。
―――これが、私の最大のミス。やり直したい過去そのもの。
ササキは普段通り、面白い話をして料理を振舞った。
両手に持った袋いっぱいのお菓子にジュース。海外のジュースだとか言っていたけれど、要はお酒だ。騙されるなよ、と当時の私に言ってやりたいが、今さらどうしようもない。
浮かれた私は、いっぱい食べた。
たくさん「海外のジュース」とやらを飲んで、気づけば酩酊してしまった。
思考は回らず、言葉もまともに話せない。
視界はぐにゃりとして気持ち悪かった。
何かがおかしい、と気付いた頃には、私はとっくにササキの罠に嵌った後だったのだ。
「大丈夫。心配ないよ」
そういって、ササキは私の服に手を掛けた。
抵抗すら出来なかった私に調子に乗ったのか、ササキの手つきはすぐに大胆になっていった。好き放題胸を触って、何時間も身体中を舐め回されたり。前戯だけであそこまで楽しめる男もそうはいないだろう。
当然、私は拒絶の意思を示した。
必死で体を捩ったり、大声で助けを求めようともした。
が、力の入らない体は簡単に組み伏せられてしまう。初めて感じる大人の男の力に、私はただただ恐怖を覚えることしかできなかった。
やがて。
ササキは我慢出来なくなったようで、カチャカチャとベルトに手を掛けだした。
その中から出てきたのは、今思い出すだけでもおぞましい男性自身。
吐き気と嫌悪感でいっぱいで、私は必至になって抵抗した。
「……あッ」
抵抗する内に、振り回した手がササキの顔を掠めた。
ネイルが趣味だったこともあって、私の爪はなかなかの凶器だったりする。
運良く―――いや、運悪く。ササキの頬に、一筋の紅い線が引かれたのだった。
―――そこから先は、よく覚えていなかった。
思い切り殴られたのは記憶にある。
ツンとした鼻に、鉄の味。びりびりに破られた服と、痣だらけの身体。体の中から溢れ出る液体。
よくもまあ、あそこまで酷いことができると思う。
そうこうしている内に、私の初めてはあっさりと散らされていった。
最低最悪の初体験だ。男というものにこれほど嫌悪感を覚えたのは初めてだった。
おまけに、ササキとの行為はこれっきりではなかったのだ。
何度も家に来ては私を犯し、暴力を振るって帰っていく。
痣や切り傷を作った私を見ても、母は何も言わなかった。ササキがやったと言ったのに、母は「そう」とだけ言ってまた出掛けていく。絶望した私は、結局何年もササキの慰み者になった。
ある時、ササキは私にこう答えた。
「なぜ暴力を振るうのか」と訊いたときだった。
この頃はもう行為一つでは動じなくなっていて、犯されようが何をされようが構うものか、と鼻で笑えるようになっていた。むしろそれがなければ、物足りないくらいに。
思えば私は、とっくにおかしくなっていたのかも。
「力で相手の上に立てば、何でも言うこと聞くようになるだろ」
なるほど、と思った。
力で捻じ伏せてしまえば、誰でもモノになるのか。
まさに身を以て体験しているだけあって、説得力は絶大だ。
ササキは他にも、いろいろ教えてくれた。
「暴力って言っても、相手が嫌いってわけじゃないしな。欲しいもんは力づくで奪えって言うだろ?相手が好きで欲しいからこそ、暴力って力が必要なんだよ。好きなら好きなほど、俺は殴ってもいいと思うわけだ。そうすれば、そいつは俺から逃げられなくなるからな」
「他の奴らは真面目すぎんだよ。狂ってるくらいのが丁度良いんだ。相手をレイプしようが攫おうが、愛情の裏返しなんだからよ。ヤった奴を黙らせるくらいじゃないとな」
笑ってしまうような理屈だ。
それでも、それを体験した私にとっては真理だった。両親に見捨てられ、唯一私に構ってくれたのがササキだったからだ。心が自分を守ろうと、アイツを好きになろうとしたのかもしれないけど、知った事じゃなかった。
私はその言葉を信じ、行動に移した。
ササキは私を愛していると言った。行為こそ酷いものだったが、それも彼なりの愛なのだ。ならば、私も彼を愛さなければと思った。与え合うのが愛なのだと、どこかの少女漫画の一コマが思い浮かんだ。
ササキの愛は、いつも素手だった。
殴って、蹴って、首を絞めて、獣みたいに私を犯す。
とは言っても、私は女の子で非力だ。殴ったところで痛くもないだろう。
―――それはダメ。痛みがなければ、意味がない。
ササキの理論で言うなら、捻じ伏せられなければ愛ではない。愛の深さイコール痛みである。
愛していればいる程、苦痛がなければならないのだ。
そう思った私は、素手ではなく道具を使うことにした。
家中を探して、痛そうなものをかき集めた。バット、包丁、ドライバーにハサミ。とりあえずこれくらいでいいかと、私は嬉々としてササキを待った。
ササキがやってきた。
この頃から母は当たり前のように家に帰らなくなっていたから、好都合だった。
いつものように玄関先で出迎えて、一回。リビングに戻って一回。そこからササキは、私に酒を持ってこいと命令した。
キッチンへ行って、ウイスキーをロックで。これもいつも通り。
普段と違うのは、友達から貰った薬を混ぜたこと。
間延びした話し方の変わった友人だ。いろいろ詳しくて、相談したら「これ使ってみるといいよぉ」と二錠くれた。
言われた通り砕いて酒の中へ。
ササキは疑いもせず、ウイスキーを一気に飲み干した。
そこからは、私がやられた時と違って鮮明に覚えている。
骨の砕ける音。
肌が裂けていく感触。
泣き喚く悲鳴。
暖かい赤の温もり。
バットで殴って、包丁で刺して、ドライバーを突き立てて、ハサミで切った。
真っ赤に染まった彼に跨って、嗤いながら腰を振った。
泣き喚くくらいに喜んでくれたのだから、私は気分が良くなって更に愛情を注いでいった。
私が持てる精いっぱいの愛情を、ササキに注いだのだ。
それから程なくして、ササキは動かなくなった。
びくびくと痙攣したりはしているが、叫ぶことも逃げようとすることもなくなった。
面白い話もしないし、以前のように愛を振るってもくれない。サラミのようにスライスしてしまったから、もうセックスはできないだろうけど。
そこでようやく、私は気付いた。
―――ササキは私の愛を受け止め切れなかったのだ。
なんだ、と私は落胆した。
私は受け止めてきたのに、彼はその器がなかった。それほどまでに私の愛が大きかったと考えると、少し誇らしくもなったりした。
やがて母が帰り、絶叫して家から出ていき。
何か月ぶりかに会った父が、何か色々言ったり。ササキの処理は早々に済んで、私は家を出て一人で暮らすことになった。
あっと言う間に、私の家は崩壊したのだった。
「いきなり愛し過ぎなんじゃなぁい?ゆっくりじっくり、徐々にしていかなきゃねぇ」
友人はそう言って、私の反省点を淡々と述べた。
とは言え、総括的には「私は概ね間違ってない。段階を踏んで愛すべきだった」とのことらしい。なるほど、勉強になる。
それから何年か経って。
若気の至りを恥じつつも、私はササキを超える愛を見つけた。
少女のような、可愛らしい男の子。
聞けば、私と似たような過去を持っているのだとか。その上、母親からの「愛」を受け止め切ったと言うではないか。その話を聞いて、私は酷く興奮した。
―――この子なら、私を受け止めてくれるかも。
幸いにも、私たちの仲は順調だった。
一年かけて普通の関係を築き上げ、愛し合う準備が整い始めたところで。
邪魔者が現れたのだ。
年下で、美しいと騒がれていた女。
愛しい少年と同じ学年、同じクラスらしい。あっという間にその女は彼を攫っていった。
当然、許せるわけがない。
彼は私のもので、私の愛を受け止めてくれる唯一の男性になるのだ。
横から掻っ攫っていくなんて認められない。ならば、と私は、力づくで彼を奪い返すことにした。
なんて息巻いていたら、チャンスは予想外に早く訪れた。
どうやらあの女がヘマをしたらしい。悩んでいた彼は、最も信頼できる私の元へと戻ってきたのだ。一年掛けて築いた信頼のたまものだ。運命の赤い糸なんて信じる歳でもないが、この時ばかりは信じてもいいと思った。
そして、今。
ようやく、彼に愛を注ぐ時がきた。
今度は失敗しない。
ゆっくり、徐々に。最初は優しく、様子を見ながら愛せばいい。私のすべての愛を、彼に注ぐのだ。
「あぁ、楽しみね。今度はヘマなんかやらかさない。一生かけて、キミを愛してあげないと、ね」
高らかに嗤ったところで、私は夢から覚めた。
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