第56話 救出

 ふいに、周囲が騒がしくなった。行き交う松明の明かりに、馬の駆ける足音、互いに呼び合う声。それらに混じり、巴は、自分を呼ぶ声があるのを聞いた。妻戸を開き、廂から蔀戸を跨いで簀子縁に出た。


「巴、無事であったか」

 そこに、義仲がいた。松明が照らす顔を、見るまでもなかった。紛う事なき、義仲の声であった。

「冠者殿……何故、ここが……」

「私が、お知らせしたの。今井殿にもお知らせしたのだけれど……冠者殿の方が、早かったようね」

 背後から、唐糸の声がした。落合にいた義仲と、土岐にいる兼平。どちらが先に着いてもおかしくはない場所ということならば、遠山荘の他はない。

「ここは、遠山荘ですか。一体、どなたのお屋敷に……」

「滋野に心を寄せてくださる、坂本の長者殿のお屋敷よ」

「小室殿が、そのような伝手までお持ちとは」

 遠山荘との関係は、偏に中原家の抱える問題である。兼遠が苦心しているというのに、荘内の長者と誼を通じる小室家の手腕に、巴は驚く他はなかった。

「ここも、私が出入りしているの。此度のために、父から話を通していたのだけれど……でもまさか、娘の私が翻意するとは、思いもしなかったでしょうね」

 唐糸は誇らしげな様子で、楽しそうに笑った。


 程なく、山吹達を伴った兼平が到着し、夜明けを待って、落合へ向かうことになった。

 いつの間にか唐糸は、『葵』の姿に変装していた。今後も情報を集める上で、彩女達に正体を知られるのはまずいのだ。

 それに、彩女にとってはもちろん、『葵』にとっても、互いに大切な友なのだと言う。正体がわかれば、友を失うことにもなる。

 何より彩女のことを思い、巴は『葵』の正体について口を閉ざすことにした。

「巴、今さらだけど……本当にごめんなさい。それと、ありがとう」

 落合の屋敷に着くと、巴の居室を山吹が訪れた。深く頭を下げる従姉妹を、巴は慌てて起こした。

「山吹殿。顔を上げてください。謝られたり、お礼を言われることなど、ありませんから」

「いいえ。だってこのまま私に月のものが来なければ……他の、滋野の娘が産んだ御子を、私が嫡子としてお育てしなければいけない。そんなの無理よ。でもね巴、あなたなら……あなたが産んだ御子なら大丈夫、お育てできるって思えたの。でも、本当はこんなこと、頼める立場じゃない。私のために、犠牲になってもらおうなんて、虫が良すぎるわよね」

 山吹にしては珍しく、自嘲めいた笑みを浮かべる。

「私は、自分のために受け入れたのです。犠牲などではありません。ですが……一つだけお尋ねします。何故、私なのですか」

 これだけは、聞いておかなければいけない。たとえどんな答えであっても、巴の決意が揺らぐことはないが、今後の巴にとって、選択の判断材料になるのだ。

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