第55話 画策

 巴の脳裏に、海野の嫡男幸広と交わした会話が甦る。

――偶然にしては、出来過ぎておるやもしれぬな

 幸広は確かにそう言った。だから巴は、彩女を山吹の側につけたのだ。

 唐糸は、巴の心を、あの日山吹と交わした会話を知っているのではないか、山吹の身辺に、小室に通じる者がいるのではないか、そう疑った。彩女は、特に気付くことはないと文に書いた。

 しかし……その文の最後には、何と書かれていたか。確か、『海野の館へ出入りする物売りの少女』と親しくなったと、そう書かれていたはずである。


 その文を受け取った時、巴はまだ都に馴染めずにいた。そのことで、頭が一杯であった。だから、気付くことができなかったのだ。

 いくら、海野の館に出入りしているとはいえ、山吹の身辺に仕える彩女と出入りの物売りとでは、それほど早く「親しい」間柄になる程の接点がないことに。「親しく」なるには、どちらかが意図的に、相手に近づかなければいけないことに。

 確かに彩女が、巴の頼みを実行するため、物売りに探りを入れる可能性はある。しかし、出入りの物売りは葵だけではない。早い段階で特定の一人と親しくなれば、却って、他の者達への探りが入れづらくなる。

 だから、その物売りの少女が、意図を持って彩女に近づいた可能性があると、気付くべきだったのだ。

「唐糸殿自ら、物売りに身をやつしていたとは」

「その方が、話が早いもの。だから私、ずっと部屋に閉じこもってることになってるのよ」


 義仲の嫡妻は、結局山吹に決まった。しかし、重大な問題があった。それで急遽、巴が呼び戻されたのだ。

「でもね、父上はどうしても私を冠者殿の嫡妻にしたいとお望みなのよ。それが無理なら、巴殿のお役を私にって。だから……厩で六郎殿が巴殿を庇ったって知って、六郎殿を焚き付けたの。このままでは、皆の勝手の所為で、巴殿だけが不幸になるって」

 しかし、それだけでは親忠は動かなかった。

 巴が承知なら、自分が口を出すことではないと突っぱねたのだ。

 そこで『葵』が隙を見て山吹に近づき、巴とのわだかまりを解くには、自分から会いに行ってはどうかと、その供には親忠がいいと提案したのだという。


「確かに、六郎殿と私が結ばれるようなことになれば、務めは果たせなくなる。そうなれば山吹殿の話が白紙に戻るか、もしくは唐糸殿の出番になる、というわけか」

「ええ。でもね、よく考えたらそれって、私が不幸になるわよね。嫡妻になったとしても、棟梁の娘じゃないもの。自分の次に、側女として諏訪の棟梁の娘である胡蝶殿がいるなんて、私は嫡妻なのに側女に遠慮しなきゃいけなくなる。そんなの嫌。だったら最初から、三番目がいいわ。その方が気楽だし、こうして変装してお役に立てるなら、冠者殿も大事にしてくださるだろうし。嫡妻なんてなったら、変装して抜け出すなんて、無理でしょう。もちろん、巴殿の代わりはもっと嫌。母子の名乗りもできず、側女にもなれないもの」

「確かに、」

 唐糸の遠慮ない言葉に、巴は自嘲気味に笑った。

「あ、ごめんなさい。でも、巴殿は側女になれなくても、ずっとお側にいられるでしょう。それも、嫡妻や側女が供をできない時だって……」

 取り繕うような唐糸の言葉に、巴は、他に方法が無かったからだ、と心中で呟いた。

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