第51話 油断

 野上を発った一行は、数日をかけて東山道を進んだ。美濃国の西側は、大きな川が多い。大野の辺りで川を渡り、鵜による漁で知られる方県でまた川を渡る。一泊の後、尾張国との境に近い各務の辺りで三つめの川を渡って一泊。可児でもう一泊とり、陶器の産地である土岐に着いた。

「今日はここで泊まり、明日、落合まで一気に進むぞ」

 兼平は一行を止め、下男の一人をまた、兼遠の知人の屋敷に走らせた。日はまだ高いが、この先は恵奈郡に入り、摂関家の荘園、遠山荘が広がる。

 兼遠の領地である落合と隣接する遠山荘は、日頃から境界争いが絶えない。その領地争いにしても、摂関家の威光を笠に着た荘官達の、横暴な振る舞いに端を発している。

 巴は、遠山荘を無事通れるようにと、松殿基房からの文書を預かっている。しかし、むやみにそれを振りかざすことは、横暴な荘官達の振る舞いとどう違うというのだろう。

 いざという時には切り札として使わざるを得ないだろうが、宿泊を避け、彼らとの接触を最低限にとどめる方が賢明な選択といえる。

 その遠山荘を抜ければ、兼遠が、元服前の末息子五郎のために用意した落合の屋敷がある。

 そこに、義仲がいるはずである。山吹と巴の二人を待って……


「巴様、ご不自由はございませぬか」

「ありがとう、彩女。私より山吹殿を……」

 道中、巴と山吹の身辺を世話したのは彩女であった。海野の館に仕えたからか、幾分、言葉遣いが洗練されている。もう一人、下女として同行する物売りの葵は、始終、親忠に寄り添っていた。

 それは、主と下女というには、少しばかり親密過ぎるようでもあった。

「彩女、一人で大変だろう。葵にも少し、こちらの用をするよう言ってもよいが……」

「お気遣い、ありがとうございます。でも葵殿は物売りですし……元は私一人がお供するつもりだったんです。けれど、六郎様がご一緒と聞いた葵殿が、同行したいと……葵殿が六郎様とご一緒できるのも、あと僅かですし」

 巴の提案を、彩女は感謝しながらも断った。もし、親忠と葵が、巴が見て感じた通りの関係であったら……そうでなくとも、葵が親忠のことを慕っているのであれば、そして、彩女さえ自分の仕事が増えることを承知ならば、旅の間くらい二人の好きにさせてもいいのかもしれないと、巴は考えた。


「巴殿」

 巴が与えられた居室に落ち着くと、声を掛ける者があった。親忠である。

「どうなされました、六郎殿」

 声で相手を察した巴が返事をすると、親忠は御簾の向こうで、小声を微かに震わせた。

「実は……冠者殿がお近くにいらっしゃいます。巴殿と、内密にお話されたいと仰せで。そのことでご相談がございます。失礼してもよろしいでしょうか」

「それは、構いませぬが」

 義仲の名に、巴は浮かれる気持ちを抑えながら、御簾を上げて親忠を迎え入れた。

「巴殿、御免」

「な、ぜ……」

 腹部と首に、激痛が走った。次第に遠のく意識の中で、巴は、思いがけず聞いた義仲の名と、相手が親忠であったことで自身の心に隙が生じ、油断に繋がったのだと悔やんだ。

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