第49話 秘密

「巴様、申し訳もございませぬ。お止めしたのですが……力及ばず……」

 彩女が、頭を床に擦り付けんばかりにして詫びる。しかし、この場で彩女を咎めるのは酷というものだ。それを心得た巴は、彩女の顔を上げさせ、道中を労った。

「顔を上げてくれ、彩女。よく、ここまで山吹殿をお守りしてくれた。礼を言う」

「いえ、私は何も……巴様が上洛されて以来、山吹様は、弓馬の稽古を始められました故、道中で私がお役に立てることなど、ございませんでした」

 巴の言葉に、彩女は恐縮して謙遜する。慌てたのは、山吹であった。

「ちょ、ちょっと彩女、その話は……もう少し上達してからと言ったのに。仕方ないわね。巴には到底敵わないけれど……これでも私、少しだけど馬に乗れるようになったの。弓矢だって、たまには中るのよ」

 俄には、信じがたい話であった。館の奥で、物語や貝覆いなどに興じていた山吹が、外に出て、武芸に励むなど考えられない。ただ、言われてよく見れば、山吹の頬は以前より引き締まり、袖口から覗く腕は、ほんの少し、鍛えられている。何より、透き通るように真っ白であった肌は、やや健康的な色合いを帯びていた。

「何故、そのような……」

「だって、このままでは駄目だと思ったから。このまま冠者殿と婚儀を挙げても、海野の娘という以外、何のお役にも立てないわ」

「それで、充分ではありませんか」

 海野の娘という立場。それは、巴が欲しても決して手に入らぬものである。しかし山吹は、それだけでは不足だと言った。

「いいえ、御子を生せなければ意味がないわ。私の次には、諏訪の胡蝶殿という御方がいらっしゃるのでしょう。たとえ私が嫡妻であっても、あちらに先に男子ができれば、滋野は、諏訪に遠慮する立場になる……けれど……既に知っているのでしょう、巴。知っているから、こうして木曽に戻ろうとしているのよね、私の、体のこと」

「では、やはり本当なのですか……その……」

 巴は、はっきりと口にすることを躊躇い、周囲を窺うように視線を巡らせた。

「ここにいる皆は、知ってるわ。協力してもらうのだから、話しておくのが筋でしょう。私は、月のものが一度も来たことがない。だから私は、御子を生すことができないの」

「しかし……裳着を祝って髪を上げたではありませんか」


 巴と同じ二年前に行われた山吹の裳着は、海野の棟梁の娘として、当然ながら、巴のものより盛大であった。裳の腰紐を結ぶ腰結い役を、山吹の祖父である先代の棟梁が務め、主賓には、遥任であった当時の信濃守の目代と、信濃介を呼んだ程である。

 都では既に形骸化し、少女が月のものを迎える前、例えば摂関家の姫君が、入内を前に裳着を行う場合はある。しかし信濃では、まだ実を伴う。大人の装束を身に付ける裳着と、童女の振り分け髪を結って女性の髪型へと変える髪上げを行うということは、子を生せる身体になったことを示す儀式であり、名実ともに、大人の女性になるということなのだ。

「だって……皆にお祝いされるあなたが、羨ましかったから。それで、私もやりたいって言ったの。でも乳母は、まだ早いの一点ばりで……父上に言ったら、勘違いなされたの。でも、当然よね。娘が自分から裳着をやりたい、髪を上げたいなんて言ったら、月のものを迎えたと思うわよね。それであっという間に話が決まってしまって……乳母が気付いたときには、前信濃守殿への文が出されていたから、どうしようもなかったのよ」

「では、海野殿は全てご承知で、山吹殿の裳着を……」

「いいえ、父上は此度の件で初めて知ったわ。裳着の折は……乳母が誤魔化してくれたの。母上には打ち明けたけれど……お相手が冠者殿ならば、婚儀が今すぐ決まるわけでもないし、月のものも、そのうちには来るだろうからと。まさか、十六になっても来ないとはね。いいえ、もうすぐ年が明けるから十七ね。裳着や髪上げにそんな意味があるなんて、それまで誰も、教えてくれなかったわ」

「確かに……私も、実際に月のものを迎えるまで、知りませんでした」

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