第45話 離洛

 巴はようやく、父兼遠に宛てて文をしたためた。

 同時に、主家である馬場殿の頼政や仲家、そして宮菊への暇乞い、松殿の按察使や八条院など、方々への挨拶を済ませた。

 興福寺にも使いを出したところ、奈良から、わざわざ信救が駆け付けた。

「事情は、樋口殿から伺っております。山吹のために、申し訳ない……」

「いえ……これも、私が至らぬ所為です。それに、結局は山吹殿ではなく、自分自身のためですから」

 妹のために頭を下げる信救に対して巴は、本心からそう答えることができた。


 巴は結局、都を離れることにした。

 上洛した当初こそ、都での暮らしは窮屈この上ないと思ったが、短い髪と鍛えた腕を仲家に見られて以来、自分らしく過ごすことができた。

 木曽にいた頃よりも、楽に息ができているような気がする。それは、少し風変わりな一人の女房、という身分だけで、中原の家のことも、滋野のことも、何も関わらずに生きられるからだ。意外と居心地の良くなった都を、離れたくなかった。

 しかしそれは、忠節に反する。巴には、都にいることではなく、木曽に戻ることを求められている。だから、従うのは当然なのだ。ただ、巴は山吹のためでも義仲のためでも、滋野のためでもなく、自分自身のために木曽に戻ろうと考えた。そう、考えることができた。だから、都に来たときよりも、前向きな気持ちでいられる。


「信濃、今度は木曽のお兄様にもお会いしたいわ」

 別れを惜しみながら、宮菊は巴の手を握った。

「義仲殿がご承知くださるなら、仲家同様、我が息子として遇する所存じゃ」

 頼政は、まだ見ぬ義仲に、猶子とした仲家の弟というだけで、親子の情を示した。

「我が弟殿が上洛する折には、微力ながら、力になると約束しよう。八条の女院様はもちろんだが、それまでには、摂政様ともより一層、誼を通じておくつもりだ。だから、心置きなく頼りにしてくれると嬉しい」

 仲家もまた、一度も会ったことのない異母弟に、心からの親愛を示した。


 仲家と宮菊に会うこと、当初はそれが、巴の上洛の目的でもあった。特に仲家やその養父頼政は、義仲にとっても頼れる存在になるはずである。だから巴は、同じ屋敷に住まう義仲の同母妹宮菊の女房となったのだ。

 頼政と仲家の言葉に、巴はもう充分、自身の都での役目を果たしたのだと感じた。

 その上……八条院に召し出され、非公式ながら一の宮の弓馬の師となる栄誉まで得た。思わぬ偶然から、按察使だけでなく摂政である基房本人とも面識を得た。一介の地方豪族の娘に過ぎない巴にとって、充分過ぎる成果を挙げたといえる。

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