第43話 閑院

 閑院は、三百年以上前、都がこの山城平安の地に移って間もない頃に、藤原北家繁栄の基礎を築いた、藤原冬嗣の私邸であった邸である。つまり、平安の都における、藤原北家の基点ともいえるもので、特に格式の高い、由緒ある大邸宅である。

 近年では、里内裏として使われることも多く、三年前、基房が新造を始めている。

「殿、どうなされました。そのお姿は……すぐお召し替えを」

 閑院に着くと、小袿姿の美しい女性と共に按察使が姿を見せた。按察使は、共に現れた女性を慌てて御簾の向こうに隠すと、通定達に抱えられるようにして車を降りた基房を、邸へ迎え入れた。

「按察使殿、殿をお頼み申す。四条の君にもよしなに」

 通定は、後を按察使に頼むと、他の従者達と共に、散乱した現場の片付けと、松殿への報告に向かった。


「あなたが右少史の娘御……このようなところでお会いできるとは、嬉しい限りだわ」

 基房の身支度を終えた、小袿姿の美しい女性四条の君は、按察使に命じて、巴を自身の住まう対の屋に招いた。仲家達は、別室で舎人達から持てなしを受けている。

 四条の君は、巴の母が兼遠と結ばれる前に、女房として仕えていた邸の姫君で、冬姫の生母であるという。

 後に、父の主筋に当たる基房に仕え、その情けを受ける身となって、冬姫を産んだ。

 娘の将来のため松殿に預け、自身は四条にある父の邸に籠もっていた。しかし、基房が閑院の新造を始めた後は、留守居役のような形で、閑院にいるのだという。

 美しく艶やかな四条の君を前に巴は、控えめで大人しい八条院の若狭を思った。彼女は、母と名乗らず、それでも近くで我が子の成長を見守っていた。巴は、無礼を承知で、若狭にしたのと同じような質問を、四条の君に投げ掛けた。

「姫君とお会いできず、お辛くはございませぬか」

 四条の君は、一瞬目を伏せたものの、からりとした笑顔を見せた。

「こうして、按察使が様子を知らせてくれたり、手習いの反故など届けてくれるのだもの、それだけ充分よ。姫に、会いたくないわけではないけれど、会えばきっと手放すのが辛くなってしまうでしょうね。かといって、松殿で他の女房達に混ざってお仕えするなんて、北の方への嫉妬で気が狂いそうなの。姫をお産み申し上げる前は……殿のことでは、気にならなかったのに。姫のこととなれば、きっと、平静ではいられないわ」

 四条の君は、冬姫への愛情故に離れて暮らすことを選んでいる。もし彼女が松殿に仕え、何かの折りに取り乱すようなことがあれば、それは、冬姫の立場を脅かしかねないのだ。

 その選択に、四条の君の自身を見つめる冷静さと誇り高さが窺える。

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