第37話 誤解

 巴は、出仕する仲家に従って八条院への伺候を続けたが、この日は仲家が物忌だからと、出仕できなかった。

 物忌とは暦の凶日に外出を控え、自邸に籠もって身を慎むことである。凶日の他、障りのある時にも、物忌として出仕や外出を控える場合がある。巴は馬場殿で宮菊の御前に伺候し、郎等達が稽古を始めるとそれに混じった。


「都でも精進しているとは、感心なことではないか」

 急に門が騒がしくなった。様子を見に外に出ると、巴には懐かしい顔が現れた。

「兄様……お久しゅうございます。おいでになるなら、知らせてくださればよろしいのに」

 半年以上を隔てて対面した兄兼光の姿に、巴は口元をほころばせた。しかし兼光は、巴とは対照的に難しい表情を浮かべている。

「う、うむ……火急の用があるのだ。どこか、内々に話せる場所はないか」

 よく見れば、烏帽子は傾き、直垂は所々泥で汚れている。かなり急いで、馬を駆ったのだろう。巴は、女童に水を用意させて兼光の手足を清め、自分の局に招き入れた。女童に命じて、人払いさせる。

「巴、すまぬ。冠者殿と山吹殿の婚儀の日取りが決まった。それでそなたに、戻ってきて欲しい」

 兼光は一気に話すと、大きな身振りで頭を床に擦り付けた。

 兄の謝罪は、義仲と山吹の婚儀が決まったことに対してなのか、それとも巴に戻れということに対してなのか……あるいは、その両方であろうか。突然の言葉に驚きながらも、巴は心を落ち着けようと、深く息を吸う。

「兄様、妹に頭など下げるものではございませぬ。ともかく、訳をお聞かせくださいませ」

 どうせまた、山吹の我儘だろうと思った。衣を送ってくれたことで、少しは心穏やかになった巴だったが、義仲との婚儀と聞いて、心の内が波立つのを感じる。

 婚儀が済んでしまえば諦めもつくだろうが、日取りが決まっただけ。この時期に木曽へ戻れとは、どういうことなのか。

 義仲と山吹、二人のためにこそ、巴は故郷を離れ、都まで来たのだ。

 周囲を窺うように声を落とした兼光は、唇を巴の耳元に近付け、囁くように話す。

「山吹殿は……」

「何と、まさかそのようなことが……他にご存知なのは、」

兼光の話を聞き終えた巴は、自身の不明を恥じた。山吹は人知れず、ずっと悩んでいたのだろう。あの、勝ち気な笑顔の裏で。多分、巴が木曽を離れる前から……

「海野殿と弥平殿から聞いた。父上と兼平も同席していた。山吹殿の乳母は初めから承知していたようだが……あとは、海野に仕える者が気付いておるやもしれぬ。ただ、冠者殿はまだご存知ではない。山吹殿が……冠者殿に話すのは、巴と会ってからにしたいと」

 それは山吹なりの、せめてもの気遣いなのであろう。彼女の自業自得と言ってしまえばそうなのだが、それでも、辛いのは、山吹であるはずだ。

「少し、考えさせて頂けませぬか」

「無論、よく考えるがよい。ただ、雪になる前に帰ることを考えれば、猶予は少ないぞ」

「それは、承知しております。されどようやく、やんごとなき方々へのお目通りもかなったところ。私が都でお役に立てるのは、これからでございますれば、今少しはこちらにと」

「そうか。重ね重ね、巴には申し訳のないことになるな。もし、年内に都を離れられぬというなら、恵那の落合でも構わぬ。諏訪の目がない故、その方がよいかもしれぬ」

 兼光は、その数日後に届いた木曽からの荷を頼政に献上すると、荷運びの者達と共に、帰途に就いた。


 ようやく仲家の物忌が開けると、今度は巴に障りが生じて物忌となり、出仕を控えなければならなくなった。身を慎むため、宮菊への伺候や弓馬の稽古もできない。

 だから巴は、思いがけず、兼光に言われたことを、自分と山吹とのことを考える時間を得た。

 思えば山吹が、あれ程執拗に巴の本心を問い糾そうとしたのは、いずれこうなることを、どことなく予想していたからなのかもしれない。

 「巴のせいじゃないわ」と言った山吹は、いつになく毅然としていた。それを巴は、ただの言い逃れと決め付けてしまった。

 山吹が「私では駄目なの」と言った理由、辞退を申し出た理由……それは、嫉妬心だとか我儘だとか、そういった種類のものではなかったのだ。

――男女の情が入ろうとも、それ上に忠節を守るなら、

 山吹に自身の本心を明かしたのだと打ち明けた巴に、山吹の兄、海野の嫡男幸広はそう言った。

 しかし巴は、「義仲への誠意」を建前に、忠節と恋情という相反する二つの感情を混同し、義仲の想いに甘えていた。それは、忠節を守ることにならない。

 本当に忠節を守るなら、義仲の心とは関わりなく自身の感情を殺すべきであった。そこを誤り、山吹の言葉を曲解してしまった。嫉妬心に振り回され、我儘な振る舞いをしたのは、巴の方だ。

 山吹とも自分自身とも冷静に向き合っていたなら、もっと別の方法があったかもしれない。今度こそ選択を誤らないよう、曇りのない目と心で決断しなければならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます