第34話 兄弟

「そういえば、思い出したぞ。馬場殿での内輪の宴で、新参の女房が、鄙育ちには似合わぬ、なかなかの歌を詠んだとか。馬場殿には信濃より後に女房が入ったとは聞かぬし、そなたか。どれ、その歌とやらを聞かせてくれぬか」

 もう一人の人物は、品のある直衣姿で、仲家と同じくらいの歳に見える。「右府様」と呼ばれたということは、右大臣の職にあるはずだ。今の右大臣は、基房の異母弟で道快には同母兄に当たる、兼実である。それにしても兼実は、やたら馬場殿の事情に詳しい。

「右府様、かようにお詳しいとは、悪い癖は相変わらずのご様子」

 按察使が、暗に女遊びを咎めるが、兼実はそれをさらりと受け流す。

「なに、女達から情報を得るのも、務めの一つゆえ、致し方なかろう。それより信濃とやら、七夕の歌はいかに」

 再度問われた巴は、恐る恐る歌を披露する。二人から、ほうと感嘆のため息が漏れ、宮菊に言われたのと同じような言葉が掛けられた。それを聞いた按察使の顔にも安堵の表情が浮かぶ。

 歌は、本当に偶然で、自分の気持ちをそのまま詠んだようなものだ。枕詞や掛詞は、山吹のお陰もあって、確かに少し知っていたけれど、自信があったわけではない。見よう見まねだ。下手をすれば、悪い噂となって、按察使にも恥をかかせることになったかもしれない。それに気付いた巴は、改めて都という場所の難しさを思った。


 兼実と道快の問いに答え、巴は故郷での暮らしを語った。二人の反応は分かりやすく、都と同じ漢籍や物語が読まれていると聞けば、興味深そうにどんな書物なのかこと細かに尋ねた。一方、武芸の稽古や狩といった武門らしい話題を出せば、僅かに眉を顰めるのみで、その表情には、聞くも汚らわしいという感情が浮かぶ。

「信濃とやら、そのように詳しい話はよい。聞いておるだけで、怖ろしくなるわ」

「左様でございますな、兄上。だが、武士が武芸に励むは当然のこと。まこと結構なことではある」

 巴が、思わず熱を込めて狩の様子を語ると、兼実が、耳を塞いで目を逸らした。道快もやや顔を背けたが、すぐに向き直った。

「確かに、道快の言う通り。武芸を疎かにした挙句、政に口を出すことを思えば……全く、思い上がりも甚だしい」

 弟の言葉に兼実も向き直り、はき出すように言った。その言葉は、巴ではなく別の誰か、政を握る武門、つまり平家に向けられているのであろう。

「お陰で、松殿の兄上がこの有様……もっとも兄上も、摂政であらしゃればこそ、もっと堂々となさればよろしい。向こうへの義理は充分過ぎるほど果たしておられるというに」

「全く、兄上にも困ったものよ。我らが参じても、御帳台から出られようとさえなさらぬ」


 御帳台とは建物の中心にある部屋、寝殿の中に置かれる主の寝台である。邸の主が来客を迎える場合、通常であれば、御帳台はもちろん寝殿からも出て、寝殿を囲むように一段低く作られた廂に座り、その周囲を囲む更に一段低い簀子縁の客人と対面する。

 よほどの事情がなければ、自分より官位や立場が高い人物の元へ出向くことはあっても、低い人物の元へ足を運ぶことはない。相手の身分が低ければ、自らが出向かなくとも、呼びつければ済むのである。

 つまり、客人となる人物は、主よりも官位が低い場合が多いのだ。

 もっともこれが、帝の行幸や院の御幸など、主よりも高い身分の賓客であれば、廂に座るのは客人であり、主が簀子縁に控えることになる。

 兼実と道快は基房の異母弟であり、基房にとって蔑ろにできる相手ではない。しかし、側室とはいえ世間からも妻として認められる母を持つ基房と、父忠通が自身に仕える女房に産ませた兼実・道快の二人とは、立場が違うのだ。

 二人は、基房の前では御簾が垂れた簀子縁に控えていたが、基房は一向に御簾の向こう側、廂にさえ現れなかった。

 ようやく人の動く気配がし、簀子縁の角から一人の女房が現れた。そして丁寧な訪問の礼を述べ、基房が未だ話のできる状態ではない旨を告げたのであった。

 その後二人は、姪である冬姫の顔を見に、按察使を訪ねたのだ。二人の母が、冬姫の生母と縁続きであることもあり、何かと冬姫を気遣ってくれるのだという。


「お二方には、せっかくお越し頂きましたにも関わらず、申し訳ございませぬ」

 辞去しようとする兼実と道快に、按察使が頭を下げた。

「いやいや、こうして冬姫殿のご成長振りをお伺いできただけでも充分。何卒兄上には、そのように伝えて下され」

「信濃殿にもお会いできたしのう。馬場の辺りでは延々愚痴を聞かされ、散々であった。女が余りに見下しておった故、どれ程鄙びた娘かと思えば、なかなかに美しいではないか。女子の嫉妬は怖いものじゃ」

 去り際、道快は暗に、ここで漏らした基房への批判を伝えてくれるなと按察使に頼み、兼実は巴に、軽く意味ありげな視線を送った。

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