第30話 装束

 信救が辞そうとした時、邸の外が騒がしくなった。

 邸の主か息子達の誰かが帰ったのかとも思われたが、それにしては人の声が多く、かなりの人数がいる。信救が立ち上がったのと、慌てて女童が駆けて来たのは、ほぼ同時であった。

 危うくぶつかるかと思われたが、信救は慣れた様子でさっと手を出して女童を庇い、巴に目で合図を送ると、そのまま退出した。


 木曽からの、遣いであった。

 荷の多くは馬場殿への貢物で、家人の指示で蔵に納められたが、二通の文と一つの葛籠が、巴の局に持ち込まれた。


 一通目の文には、たどたどしい仮名文字が、それでも、一文字一文字丁寧に綴られている。山吹の身辺に、特に気付く様子はないこと、山吹の身の回りの用をするのは、乳母の他、数人の下女達であることが書かれている。巴の計らいで、今は山吹に仕える彩女からの文である。

 あの宴で義仲と交わした会話は、確かに、少し親密過ぎた。巴にも、緊張が足りなかったのかもしれない。

 けれどもあの場で、酒の席での戯れとして終わってしまうような些細な会話を捉え、大事にしたのは、あまりに出来すぎていると思われた。もし唐糸が、義仲なり巴なりの心を知っていたとすれば、そして、それを問い糾す機会を伺っていたとすれば……

 これまで宴に出ることのなかった彼女が、あの日に限って参加していたことの説明もつくのではないか。そう考えるのは、穿ち過ぎているだろうか。

 しかし、巴が心の内を明かしたのは、木曽の山中の他は、山吹の前だけである。

 だから巴は、山吹の身辺を探る必要を感じ、彩女に頼むことにした。木曽に比べて海野の館は府中に近く、楢丸の本家も海野の領内だから、互いに会いやすいだろうという意図もあってのことである。

 文の終わりには、海野の館へ出入りする物売りの少女と親しくなったと、楽しそうに書かれている。新たな環境で、すんなりと周囲に融け込んだ彩女を、巴は少しだけ羨ましく思った。


 二通目は、葛籠に添えられている。

 癖のない美しい文字だが、書かれた内容までもが、そうとは限らない。

――どうせ、水干とか直垂しか持っていないんでしょう。でも巴のためじゃないわ。あなたが、装束の用意もできていないと、滋野の恥になるからよ。

 文からは、山吹のそんな声が聞こえてくる。

 結局、上洛前に山吹と再び顔を合わせることができなかった。否、上洛に備える忙しさを理由に、海野の館まで足を運ぶことを怠ったのだ。

 葛籠の中は、黄菊や紅紅葉、櫨紅葉といったこれからの季節に合わせた襲や、紅の薄様、蘇芳の匂などの四季を通じて使える襲の五衣、それらに合わせた色合いの小袿や表着、それに、裳や唐衣など、信濃では裳着の折くらいにしか必要のない装束も含まれていた。

 縫い目が綺麗に整い、女にしてはやや背の高い巴に、充分な着丈がある。山吹が、得意の腕を振るってくれたのだろう。信濃を離れることになった巴への、彼女なりの詫びの形なのかもしれない。

 巴は、届けられた装束の一つを纏うと、自身を抱くようにしてそれを握りしめた。

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