第25話 手筈

「こ、これは巴様。お初にお目にかかります。彩女の夫、楢丸でごぜえます。お話はかねがね彩女から……い、いえお姿はそれより前から……」

 余りに慌てたその様子に、思わず巴が吹き出す。

「そんなに畏まってもらっては、私が困る。仕事の邪魔をしたのはこちらなのだ。立って、まずは背のものを下ろしてはどうだ」

「こうして、巴様にお会いできてよかった。中原様には、どんだけ感謝しても足りねえくれえです」

 薪を下ろした楢丸は、改めて巴に向き直ると、丁寧に頭を下げた。何事かと問えば、兼遠の推挙で、府中に国書生として勤めることが決まったのだという。

 兼遠にしてみれば、資質のある者を推挙するのは当然のことだ。有能な、それもこの地の人間が府中に勤めてくれることは、領主として土地を持つ自分達にも有益なのだ。

「推挙したのは父なのだから、その言葉は、次に屋敷に来る時にでも、とっておけばいい。それほど感謝してくれるなら、その分勤めに励んでもらえると嬉しいと、父ならきっと、そう言うだろうけれど」

「そ、それはもちろん。心して勤めるつもりにごぜえます」

 薪を握りしめて顔を伏せたままの楢丸の隣で、彩女が少し翳りのある表情を浮かべる。

「それで、彩女は木曽に残るのか」

「へえ、行けるものならついて行きとうごぜえますが、お許しを頂いておりませんので」

 巴は年に何度か往復しているが、木曽と府中は遠い。

 彩女の身分では、巴達のように、頻繁に行き来することができない。だから、楢丸が府中に発てば、次に会えるのはいつになるかわからないのだ。

 楢丸が、府中で実績を積んだ後呼び寄せるか、もしくは国書生を辞して木曽に戻るかのどちらかになるだろう。

「そうか……ならば、彩女さえよければ、頼みたいことがあるんだ」

 ある、閃きが浮かんだ。

 上手くいけば、巴の懸念を払うことができるかもしれないし、彩女にとっても、悪い話ではないはずだ。

「頼み、でごぜえますか」

「ああ、彩女になら安心して頼める。何も難しいことではないが、読み書きができないと、話にならないからな」


 兼遠は、娘の考えに深く頷き、すぐに楢丸の実家や彩女の両親、海野の幸親にまで話をつけた。そして巴に、自らの経験から学んだ全てを、できる限り伝えた。それは、武芸や学問と違い、とても難しく感じられた。けれども学べば学ぶほど、今の自分だからこそ、義仲のためにできることだと知り、それが巴には、嬉しかった。


 そうして、山に残った雪が、種蒔きの時季を知らせる形を表す頃、全ての手筈が整った。

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