第23話 決意

 巴は、与えられた部屋に戻り、持参した文箱を開ける。

 四月も前に届いた、都からの文。

 これは、いい機会なのかもしれない、そう思いながら、流麗な文字を読み返す。

 右少史と、文の中で呼ばれる、巴の知らない母の姿。けれど、自身の記憶にある手弱かな姿より、文に書かれた溌剌とした女性が母だと言われる方が、遥かに得心できる。

 母はその務めに、己の全てを捧げた。

 義仲が、幼い駒王丸がこの地に逃れ、落ち着くことができたのも、母が父にそう願ったからだという。

 父母が、兄弟達が、滅私の心で仕える主、義仲。自分もそれに恥じぬ様、そしてこれ以上、この地に要らぬ波紋を広げないために……


 山吹は、巴のせいではないと言った。しかしそれが、本当に彼女の本心なのか、わからない。けれどもともかく、この事態は収拾させなければいけない。特に、山吹に代わって唐糸が義仲の嫡妻にでもなれば、この地の、滋野に属する家々の均衡が崩れかねないのだ。

 巴は意を決し、父兼遠の元を訪ねた。


 二月程の滞在の後、巴は父と共に木曽へ戻った。二人の兄は自らの領地へ戻り、他家の者達も皆、それぞれの本拠地へ帰っている。

 木曽に着いて早々、巴は春風を連れて遠駆けした。ようやく雪が解け始めたとはいえ、しんと張り詰めた寒さが、身に沁みる。見慣れた山の稜線、雪解けを待つ田畑。

 巴は、木曽の景色、その一つ一つを、しっかりと目に焼き付けるかのように、春風をゆっくり歩かせた。


 海野からの帰り、途中立ち寄った府中で、都に宛てた文を託している。

 そろそろ、都からの使者が来るはずだ。

 自分の知らない母を知る、母の知己。

 出立前の海野の館で、巴は、記憶に残る母に対するような思いで、丁寧に返書をしたためていた。


 父は、その立場故に、娘の力になれぬことを詫びた。

 兼光は、巴の好きにすればいいと言い、ただ後悔のないようによく考えろと言ってくれた。

 兼平は相変わらずの口の悪さで、お前なんかに務まるはずがないと言ってきた。けれども、その言葉の裏で、止めてくれているのがわかったから、言い返そうとして笑ってしまった。それで結局は、喧嘩になってしまった。

 義仲には、まだ言っていない。言えばきっと、止めてくれるだろう。義仲に、真剣な目をして言われたら、巴の心は揺らぐだろう。ようやく固めた決心を、翻すわけにはいかない。だから、本当に直前まで伝えることができないのだ。

 そして山吹にも、まだ言っていない。彼女は、どうするだろうか。喜ぶだろうか。それとも……もしかすると、怒ってくれるだろうか。怒って、また物を投げつけてくるかもしれない。もしそうなら、それは巴にとって、嬉しいことのように思われた。少なくとも、素直に喜ばれるよりは。


 これで、ようやく心に重くのし掛かっていたものを振り払うことができる。

 いくら諸々の事情に追い詰められたとはいえ、自らこの決断を下せるとは、思いもしなかった。為すべきを果たした巴は、驚きと、ほんの僅かな誇らしさの混ざった、けれども、どこまでも晴れやかな心地がしていた。

 ただ、一点を除いて……

――偶然にしては、出来すぎておるやもしれぬな

 海野の嫡子、幸広の言葉が甦る。

 巴が、胸の内を明かしたのはたったの二度。

 一度目は義仲へ、山中で。あの時も春風を連れていたから、人がいればまず、この愛馬が気付いただろう。

 二度目は山吹。人払いしたとはいえ、誰か聞く耳があったとすれば、こちらの可能性が高い。

 しかし、幸広が怪しんでいるとはいえ、証拠もなしに、海野に何か言うこともできない。どうすればいいのか……巴は答えを見つけられぬまま、行方を愛馬に任せた。

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