第22話 辞退

 春風の世話を終えた巴は、山吹の居室を訪れた。幸広は、巴が気にすることではないと言ったが、やはり山吹とは、直に話さなければならないと考え直したのだ。

「珍しいわね、巴から訪ねてくれるなんて」

 互いに形式通り、新年の挨拶を済ますと、四月振りに会う従姉妹は、突然の訪問に気を悪くした様子もなく、愛らしい声で言った。

 確かにここ何年かは、海野の館を訪れても、彼女からの呼び出しがなければ、巴が山吹に会うことはなかった。今回の訪問も年賀とはいえ、当主の幸親やその嫡子幸広以外には改めて挨拶を交わした相手はなく、宴で顔を合わせた程度である。

 宴席に出ていない山吹とは、今年初めての対面になる。もっとも、合わせる顔がなかったというのが、本当のところでもある。

 しかし……否、だからこそ、巴には山吹と話す必要があるのだ。


「山吹殿が、冠者殿とのことをご辞退されたと聞き及びました」

 巴は極めて冷静に、感情を抑えた声で本題に入った。

「あら、もう伝わったの。父上は、しばらく内密にしておくと仰ったのに……」

「昨日の宴で、話題に上りました故、皆存じております。無論、冠者殿のお耳にも入っています。ただ……」

「ただ、何なの」

「話を切り出したのは、海野殿ではございません」

 巴の言葉に、山吹の目が見開かれる。

「一体、誰が……」

「か、……唐糸殿と仰る、小室殿の娘御です。私も宴で、初めてお会いしました」

 唐糸の名を出そうとして、巴は一瞬躊躇う。場にいなかった山吹に話すことで、告げ口でもしているような気になったのだ。

 しかし名を出さなければ、巴がここを訪れた意味がない。それに、昨日の一件は家人や下女達の口を通して、かなりの噂となっている。

 たとえ巴が話さなくとも、いずれは、山吹の耳に入るであろう。

「皆に知られたのなら、仕方ないわ。そうよ、私にはとても、冠者殿の妻は務まらない。そう思ったから、父上に申し上げたのよ」

「それは……以前申し上げたことが原因でしょうか。私は、そのようなつもりがあったのではございません。山吹殿とて海野殿の、棟梁家の娘御。疑われたまま隠すより、明らかにしてこそ、そのお覚悟を決められるものと思い、申し上げたのです」

 巴ははっきりとした口調で、今朝方、幸広に話したことを山吹に繰り返す。そうして、あることに気付いた巴は、慌てて頭を床板に伏せ、言葉を付け加えた。

「山吹殿のお心を傷つけたことは、大変申し訳なく、お詫び申し上げます」

「そうじゃないのよ、巴。違うの……だから、顔を上げて」

 山吹の声は、先ほどより幾分柔らかい。

「では、何故……このままでは、唐糸殿が名乗りを上げてしまいます。それは、海野にとって、いえ滋野にとって良策とは言えません」

 そして巴は、宴の席と、先程厩で起こった件を山吹に話し、海野だけでなく滋野のためにこそ、山吹をおいて義仲の嫡妻に相応しい者がいないのだと、強く説いた。

「それは、そうかもしれない。でも、それでも私では駄目なの、私では……」

 山吹が、困ったような曖昧な表情を浮かべた。巴は少しもどかしさを覚え、畳み掛ける。

「ですから、何故そのように仰るのです。やはり私が……」

「違うわ。とにかく、巴のせいじゃないの」

 その後、巴がいくら理由を尋ねても、山吹はただ、顔を横に振るだけで、明確な答えを得ることはできなかった。

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