第12話 対峙

 それは、巴達が木曽へ戻る日が近付いた、ある日のこと。

「ねえ巴、このあいだの話なんだけど……」

 巴を呼び出した山吹は、挨拶もそこそこに、ゆっくりとした口調で話を切り出した。

「いつに、なりそうかしら」

 扇に隠し切れていないその目元が、僅かに細められる。その視線は、心なしか以前よりも一層鋭さを増した様であった。けれども巴は、顔を上げて正面から山吹を見つめ、はっきりとした声で告げた。

「冠者殿のお心は、冠者殿のもの。私ごときに、どうこうできるものではありません」

――冠者殿のお心。それを、私に頂戴。

 あの時山吹は、そう言った。

 そうでないものなら……彼女は何でも持っている。海野の血、美貌、教養。それは、巴が望んでも手に入らぬもの、そして義仲の側にいるために、諦めたものだ。そしてそれ故、山吹は義仲を婿に迎えることを許され、巴には許されない。

「でも、あの方の心を占めているのは、巴でしょう」

 その言葉に、山吹とて、決して軽い気持ちで言葉を発したのではないと知る。思えば彼女は、巴が隠していた想いを早くから察していた。だから義仲の想いをもまた、知っていても不思議はない。

「もしそうだとしたら、私に、どうしろと仰るのです。私には、冠者殿のお心を踏みにじるような真似はできません」

「あの方の、御ためだとしても」

「まこと、冠者殿の御ためになるとは、思えません」

「それは、家臣として言っているの。それとも……」

 山吹が、一瞬言い淀む。

「それとも巴、あなた個人として」

「両方です。しかしおそらく、私個人としての気持ちが、強いのだと思います」

 もし、外の気配に気付いていたなら、違った返事をしたかもしれない。けれど、この時の巴は、義仲への誠意を貫くこと、そしてそれを山吹に正直に伝えることのみを考えていた。

 だから、二人の会話を密かに聞く耳があったことなど、知る由もなかった。


 同じ頃、義仲のもとに、内々の話があると海野幸親が訪れていた。

「つまり、その……双方とも年頃であるし、そろそろ冠者殿にも、そういった話があってもよろしいかと存じまして」

 用件は聞くまでもなく、山吹のことだとわかっていた。

「海野殿。これまでの、海野殿を始めとする滋野の方々のご厚情には、感謝しております。また、娘御を私にとのお心遣い、大変有り難く存じます。今後も、皆様のご助力を仰がねばならぬことも多いでしょう」

 義仲もまた、自身が置かれた境遇がどのようなものであるのか、嫌と言う程承知している。父を身内に殺され、幼い日にようやく逃れてきた木曽の地。都では、源氏に勝利した平家が権勢を振るう中、ここでの暮らしを無事に過ごすことができたのは、彼ら滋野党の庇護があってこそなのだ。そして、今後自身が世に出ようと思えば、彼らの力が必要になることもまた、明白である。

 しかし義仲には、自身の心を偽ることができなかった。共に生き、連れ添いたいと思うのは一人しかいない。出自や立場を考えれば、今後、妻を複数持つことはあるかもしれないが、その中の一人では駄目なのだ。

「ですが、申し訳ありませんが、このお話は、無かったことにして頂きたい」

 あえて理由には触れず、それだけを告げる。しかし、その答えを聞いた幸親の表情は、さもありなんといった様子であった。

「それは、巴殿のことですかな」

「何故、それを……」

 兼平や兼光達の前ではともかく、兼遠以外の大人の前で、自身の想いを顕わにしたことなど、なかったはずだ。兼遠もまた、いくら実弟とはいえ、それを軽々しく幸親に話すような人物ではない。

「やはりそうですか。先の評定の折に、樋口殿が、冠者殿のお気持ちがどうのと言っておりましてな。その時は、冠者殿が山吹を気に入るかどうか、という意味を含ませたつもりであった様ですが……わざわざ彼がそう言うのであるから、他ならぬ妹御、巴殿のことがあろうと、考えたまでのこと」

「海野殿、誠に勝手とは存じますが、このことはどうかご内密に……」

「こちらも、むやみに事を荒立てたくはございまぬ。しかし、諏訪殿が動き始めれば、悠長なことを言っておれなくなりますぞ。その点だけは、よくよくご承知おき願いたい」

「ありがとうございます」

「もっとも娘も、何かと巴殿には突っ掛っておる様ですし、冠者殿のお気持ちには、気付いているのでしょうな」

 最後にそう呟いた幸親の声音には、どこか諦めの思いが混じっているようであった。

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