第3話 山吹

 冠者殿とは木曽冠者源義仲。巴はもちろん、山吹にも主である。彼が十三の歳に石清水八幡宮で元服して以来、近しい者達は皆、冠者殿と呼ぶ。


 彼が、未だ駒王丸の幼名で呼ばれていた頃、ちょうど二つを数えた年であったという。東宮帯刀先生であったその父、源義賢は、内輪の争いによって、甥であり義仲には従兄に当たる義平に、館を襲撃されて討たれた。母である小枝の君は、畠山重能、斎藤実盛という二人の武将の計らいで、幼い駒王丸を連れ、その乳母の夫であった兼遠を頼り、木曽谷に逃れてきたのだ。駒王丸は、深い木曽の山々に守られた地で、兼遠の庇護のもと、巴を含めたその子供達と共に育った。


 山吹は、周囲が認める義仲の嫡妻候補である。滋野にしてみれば、帝に連なる貴種、源氏と縁を結ぶことで、基盤を堅固なものにできる。一方義仲は、家門復興のため、戦力を必要としていた。それには、滋野を率いる海野の娘、山吹と婚姻を結ぶのが一番いい。巴には、義仲を支える家臣の一人として、反対する理由がなかった。


 海野の館を辞した巴は、愛馬春風に跨がって、府中にある父の本邸へ向かった。山間を抜け、田畑を過ぎる。


 いつから、こうなったのだろうか。

 巴は心中で嘆息を漏らし、幼い日に思いを巡らせた。 幼い頃から巴は、義仲の家来になろうと、兄弟達と共に武芸に励んだ。

 一番上の兄は次郎といって、巴より五つ年長で今年、二十歳を数える。一足早くに元服し、現在は、伊那樋口に館を構え、樋口次郎兼光を名乗っている。滋野とは勢力を別にする諏訪神党から妻を貰い、既に子も何人かいる。幼い頃から、何かと頼れる兄であった。

 その下の四郎は、三つ上の十八歳。義仲とは歳も近く、特に親しい。共に元服した後は、筑摩の今井に領地を与えられ、今井四郎兼平を名乗る。巴は昔から、何故か四郎にだけは負けたくなくて、いつも張り合っていた。幼い頃の三歳差は大きいが、最近、ようやく追いつけるようになった。

 さらにもう一人、五つ下で十歳の五郎がいる。彼だけが未だ童形だが、武芸の見込みは充分にある。もう一、二年もすれば元服だろう。


 ある日、父に連れられて海野の館を訪れた。まだ駒王丸の名であった義仲や、兄弟達、そして海野の嫡男弥平を交えて、弓馬の腕を競った。そんな中、巴一人だけが奥に呼ばれた。そして対面したのが、山吹であった。山吹は、男子と同じ童水干を身に纏った巴が、同い年の従姉妹であると知り、興味を持ったのだ。

「どうして、男の子の格好をしているの」

「駒王丸様の、お役に立つためです」

 多分、それが初めての会話だったように思う。巴の答えに、山吹は驚いた様子だった。しかし、すぐ親しげに話し掛け、弓馬や剣、狩りのこと、木曽の地形や大陸の書物など、巴が学んでいることを聞きたがった。

 一方の山吹は、箏の琴だけでなく縫い物も上手く、物語や絵巻物に詳しかった。巴は、何度聞いても曲の聞き分けはできず、縫い物もひどい出来だったが、山吹と過ごす時間を苦痛に感じたことはなかった。それまで見向きもしなかった物語や絵巻物が、意外に面白いことも知った。


 そんな風に親しくなった巴と山吹であったが、気付けば、二人の間に溝ができていた。二年前、巴は裳着を行った。山吹もその数ヶ月後に盛大な裳着を行ったが、その頃には、もう、どうしようもなくなっていた覚えがある。それでも山吹は事あるごとに巴を呼び出し、今日のような会話を繰り返すのだ。

――私が冠者殿に嫁いでも、

 山吹は、確かに言った。いずれそうなることは、とうに知っていた。理解っていたつもりだった。けれども、彼女の言葉を聞いて、確かに自分の胸はざわめきを覚えた。まだ、今ではないと、心のどこかで安堵していたのだ。考えてみれば、義仲は十六、自分と同じ年の山吹は十五を数える。いつ、その時が来てもおかしくはないのだ。

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