第14話 母夫人の怒りとイルリジーの踏ん張り

 ミチャ夫人はアルィアーシェをこちらで育てる、と主張した。


「そんな! 乳母をつけて家で育てます!」


 無論イルリジーは反対した。やっとのことで妻が命がけで産んだ娘なのだ。手元で育てたいと思って何が悪い。


「無論乳母をつけるのはこちらでも同じだわ。ただそちらは本当に男の子ばかりでしょう? 女の子を育てるのは……」

「そうだな、うちには私の娘達も居る」


 シャンポンが口を挟む。彼女には既に男女一人ずつの双子が居た。


「こんな近いんだ。常にこっちにやってくればいいだろう? 貴方は仕事も忙しいことだし」

「しかし……」


 ちら、と話し合いの間別室に居たはずの息子達三人が心配そうにイルリジーの方を見つめていた。


「……アーシェ、お祖母様のところに引き取られちゃうの?」


 中の子がおそるおそる問いかけた。


「そんなこと!」


 父親は反射的に返した。


「毎日でもこちらに来ればいいわ」


 ミチャ夫人は珍しく強固な姿勢を崩さなかった。


「あの子が…… あの子がどうしても女の子を産みたかった理由は一つしかないわ!」

「……何ですか一体」


 それは自分と彼女との間でしかしていない話だと――― 彼は信じている。実際そうだった。

 だがこの母は違った。


「あの子は今の皇后陛下にずっと対抗心を燃やしていたのよ! マドリョンカはアリカ様に対して! 私の身分がお亡くなりになったあの方より低くなかったら!」


 そうしたら運命を試すのはマドリョンカだった。

 新たな「皇后」に対面した時の末娘の様子がミチャ夫人にはずっと忘れられないものとして記憶の中に存在していたのだ。


「あの子は決してアリカ様より劣っているということはなかった! 運よ! でもその運を試す機会が私のせいで後回しになったのよ! ……私のせいで……」

「お母様」


 シャンポンがなだめる。


「駄目だろうか、イルリジー? ……別に貴方の娘を取ってしまおうという訳ではない…… ただ貴方も三人もの息子を放っておいて大事な娘を乳母に任せきりにできるのか?」

「だが……」

「だから時々うちに皆も泊まりにくればいいのよ!」

「だったら!」


 イルリジーは声を張り上げる。


「お義母さんがうちに来て暮らしてくださいませんか?」

「そちらへ?」

「僕の実の母はとうの昔に居ない。貴女はずっと僕にとっても大切な人だ」

「だけど旦那様が」

「義父上にも相談させて下さい」

「それが今遠征中なのよ」

「……!」


 何って間の悪さだ! イルリジーは内心歯がみする。

 ミチャ夫人はサヘ家の第三夫人だ。第一夫人はずっと帝都の本家に住んでいる。シャンポンの結婚と共にこちらへ移り住み、彼女の夫君である軍人のサハヤと共住みしている。


「シャンポン、シャンポニェ、サヘ家を継ぐのは君だろう? 君と夫君だろう?」

「ああ。もう残っているのは私しか居ない」


 サヘ家は第一夫人の総領息子、最愛の第二夫人の娘、それに第三夫人の四姉妹と大勢が暮らしていたはずだ。

 なのに身体の弱かったマヌェだけでなくウリュンもマドリョンカもこの世を去ってしまった。アリカは宮中だ。出てくることはないだろう。


「マドリョンカの代わりにしないと誓って下さるなら、うちであの子を育てるのをお手伝いくださいませんか」


 イルリジーはできるだけ抑えてそう言った。気にはなる。彼女がマドリョンカと同一視して育てないか、と。だからぎりぎりの線だ。そうでもしないと、この女性は生まれたばかりのアーシェを抱えて連れていってしまいそうな勢いだった。

 元々が花街の出だと聞く。下手に姿をくらまされても困る。

 だったら。


「そちらのお宅の近くまで館を伸ばしたのは、皆様とできるだけ一緒に暮らしたいという思いからでした。できるだけ住まいよく用意させます。どうでしょう」


 踏ん張れ、と彼は自分に言い聞かせた。絶対にこの家からこの娘は出さない。


「おとうさま」


 一番下の子は泣きそうな目で彼を見上げた。


「お母様、それでいいではないですか」

「シャンポン、お前……」

「そしてうちの子達もこれまでよりずっとそちらへ遊びに行かせます。勉強も。きちんとした教育を受けさせるにはいい機会ですよ。今この子達が学問を教えていただいているのは、副帝都で一番の学問所です。うちの男の子も来年くらいには行かせる予定ですから」

「ああもう」


 ミチャ夫人はその場に座り込んで頭を抱えた。


「ともかく父上に手紙を出しましょう。その間はお母様、我々は所詮部外者なのですよ」

「お前は本当に、冷たい子だ……」


 低い声でミチャ夫人はつぶやいた。


「皆が皆、お前や皇后陛下の様に賢いという訳ではないんだよ」


 ゆらりと立ち上がり。


「判りましたイルリジー。旦那様に手紙を出します。返事を待ちます。私はその仰せに従いますから」

「義母上……」

「何故止めてくれなかったんですか」


 え、とシャンポンは目を瞬かせた。


「どうしてあの子の妊娠を止めてくれなかったんですか! あの子が女の子をもの凄く欲しがったのは確かです、けど命と引き換えにする程の?」

「お母様!」


 それ以上、子供達の前で言ってはいけない! シャンポンは母の手を掴んだ。


「帰りましょう」

「いいえ言えることは」

「帰りましょう!」


 娘のその勢いに、ミチャ夫人はそれ以上づけることはできなかった。

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