第2話 皇后は子供では無い方向に手を広げて行く。

 少年達は朝早くから学問所へと行く。

 家庭教師を雇っても良いはずなのだが、あえてそちらへ行く様にと指示されていた。

 時々やってくる母親の側近の女官に彼は聞いたことがある。


「サボンは確か母上と一緒に家庭教師についたんだよね?」

「ええ。でも私はさっぱりその辺りは苦手で」


 そう言いながらラテの頭を撫でる彼女の笑顔は柔らかい。


「学問が苦手だったの? だって母上の仕事を一緒にやっているじゃない」


 そう、現在のこの皇后の首席側近女官は、他の者がさっぱり理解できない皇后の仕事を理解して周囲に伝える立場でもある。


「それは私が陛下と一番長いお付き合いをさせていただいているからですよ。あの方は時々考えていることが多すぎて、それを言葉にするのが難しくなってしまうことがあるのです」

「……よく判らない」


 少年がそう言うと、サボンは軽く目を伏せた。二十代も真ん中の、輝く女盛りになりつつあった。

 いつか女官長になるのではないか、とも囁かれているが、本人がそれは否定している。


「私はあくまで側近ですから」


 女官を統括するものではない、と。



 現在の女官長はもとの縫製方筆頭である。レレンネイは皇子が生まれてから五年後、病気で宮中を退いた。

 縫製方筆頭ブリョーエは自分が指名された時、即座に固辞した。だが皇后は彼女にこう言った。


「最も多部署を持つ縫製方を仕切っていたその手腕を生かして欲しい」


 宮中でも衣食住の三本柱、縫製方、配膳方、技術方は確かに重要である。だがまずは儀典方の方から選ばれるのではないか。皆そう思っていた。儀典方筆頭にしても同様だった。


「儀典方はまず現在の帝国における儀典についてまとめて報告することから頼みたい」


 渋々、という様子ではあったが儀典方はその命令を呑んだ。実際、帝国における儀典関係は統一して既に何十年も経つというのに、まだ酷く流動的なものだったのだ。


「何も今まであったものを否定しようというものではない。ただどんなものがあったのか、そしてどう儀典方ではしていきたいのか、その展望が知りたい」


 言い切るその声に逆らえる者は誰も居なかった。

 同様に国軍にも現在に至るまでの軍管区制度の変遷や、歴代の担当者とその業績について細かく記した者を要求した。

 そして最も厳しく精査を命じられたのは司法方だろう。呼ばれた司法方筆頭は、山の様に積まれた、しおりを挟んだ過去の資料をワゴンに積まれて持って行く様に命じられた。


「口で言っていると数日でも済まない。矛盾がある点に関して書き付けを挟んである。誤っているなら訂正を。そうでないなら事実と意図を説明できる様にせよ」


 腰ほどの高さのワゴンには、司法方筆頭の首の辺りまで切り紙の書類が積まれていた。


「全部ですか」

「そう言った」

「全部ご覧になったのですか」

「是。そうでなくてどうして矛盾と言えるか?」

「大法典とは」

「それと照らし合わせての矛盾と言っているのだが」

「解釈が」

「あるならそれをまとめて後に説明せよ」


 司法方筆頭は相当頭に血が上ったらしく、翌日辞表を提出した。皇后は「そうか」と言っただけでそれを受理させた。そして副頭に引き継ぎを命じた。

 横暴だ、という声は無論出た。だが皇帝自身がこう言った。


「とりあえず職務を遂行するように。その上で皇后の命令が道理に合わないものであるというならば俺に直接言うがいい」


 そして実際のところ、誰もそれをできなかった。

 各部署の結果が出た後、皇后は技術方から訓練教育方を独立させた。


「この先帝国の臣民全体が最低限読み書き計算ができる様になるための施策を作成するように」


 その大本の技術方には、三つのことを命じた。

 まず先に試作させた炭筆と墨筆の改良と簡易化と費用を安くする方法。

 次に紙の増産。これは材料の洗い出し直しも兼ねていた。この時代の紙は大本の植物の繊維の色がそのまま出ていることが多かった。そして弱かった。

 より丈夫で良質な白い紙を、と皇后は望んだ。

 そして最後に現在の測量術の確認だった。

 正直、技術方は皇后が何をしたいのかさっぱり判らなかった。だがその理由はこの命令の一年後には判明した。皇后は国軍と組んで北限渡りをする様に彼等に命じたのだ。


「世界の果てから落ちてしまいます」

「それを見た者が居るのか?」


 それには答える者が出なかった。そして確かに技術方には疑問に感じていた者が居たらしく、希望者は予想以上に現れた。

 国軍の中から北の地、草原、砂漠近くの出身の者が選ばれて「北限渡り」が行われることとなった。

 一方で南方からは船を出させた。できるだけ外海に出ない状態で西へと進むと何処まで行き着くのか?

 それに関しては海沿い、特に南の藩候が協力を要請された。


「西には野蛮人の島があると聞きます」

「ではそれを確かめてきて欲しい。その野蛮人達が攻めてこないという保障は無い」

「今まではございませんでした」

「これから全く無いという保障ができるか?」


 にべも無い。

 その様にして、ちゃくちゃくと皇后はその心中に温めてきた計画を実行に移していったのだ。

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