第36話 久々の実家

「まだかしら」

「そんな、花嫁がそわそわしてどうするんです!」


 ミチャ夫人は美しく着飾った末の娘におろおろしつつ、それでも嬉しく注意をする。

 結婚相手である副帝都の隣家、トモレコル家の跡取り、スドゥーラ・イルリジー・トモレコルはマドリョンカの晴れ姿のために、惜しげ無く美しい刺繍の帯や髪飾り、それに手数をかけた頭を覆う絹糸の網飾りとそれに合う宝石を用意した。

 現在のトモレコル家がどのくらい威勢良い存在であるのかを周囲の同位の格を持つ家々に、そして知り合いである藩候達に示すには非常にいい方法である。


「手紙は出したのでしょう? そしてお返事も来ました。だったらいらっしゃるはずですよ」

「どっちが?」

「それは……」

「それは無論、今サボンと名乗っている方に決まっているだろう」


 義母の言葉にマドリョンカは顔を上げる。窓の外をじっと見据える姿からは、いささか以上の緊張が見てとられた。


「上つ方が下の者の結婚式に来ることはできないのだからな」


 だとしたら思った通りだ、とマドリョンカは思う。


「でも礼は失しないで頂戴!」


 ミチャ夫人に言えるのはその位だった。


「判っているわお母様、サボンは今は上級女官。そして今日は皇后陛下の名代。それなりの礼を尽くさなくてはならない訳よね。メイリョン、乳母やのお支度はできていて?」

「はい、皆さんと一緒に」


 そこにはアリカとサボンを一緒に育てた乳母も居るはずだ。

 彼女は少し前に目を痛めたということで、付き添いの者と一緒だった。視界が白くかすみ、殆ど見えないということである。

 ただその唐突さが、メイリョンの母には不安を覚えさせた。彼女は娘に何かあるのか、と問いかけたが、娘は心当たりはない、と答えていた。

 実際はある。

 唐突な目の病気は、マドリョンカの結婚が決まった時に、マウジュシュカ夫人の命令で起こさせたものだった。

 年相応に弱くなって行く視力のことを心配して眼の医者に診せた時に、単なる老眼以上のことは無い彼女の瞳の表面を傷つける様な薬を投与したのだ。

 正直、アリカとサボンの区別のついている者は案外サヘ家の中では少なかった。少なくともこの様な祝い事がある時に、表に出てくる者では。元のサボンは決して社交的な方ではなかったし、元のアリカは家の中では位の高いお嬢様だったから、接する人間も少なかった。

 最も近しい乳母の視線を消してしまえば、まず大丈夫だろう、と確かにマウジュシュカ夫人は思ったのだ。

 なおそれを指摘し、マウジュシュカ夫人に進言したのはマドリョンカだった。


「母はその辺りが非常に甘いと思いますので、奥様の方に」


 そして了承はした。実行もした。納得できることだったからだ。

 確かに知られてはならないことだ。内々に留めておきたい。

 息子の友人に関しては、息子に任せてある。女の領域は女で解決せねば、と彼女は女主人として決断した。

 だがその時、怖い娘だ、とマウジュシュカ夫人は初めてこのミチャ夫人の末娘に対して思った。

 それまでこちらの四姉妹とさして積極的に接してこなかったせいもある。

 実際、すぐ上の娘が具合が悪いことも、この結婚を急がせた理由でもあったらしい。できるだけ早く、という理由の中には虚弱な三番目の娘の命の時間がもう長くないことも大きかったと。

 妹の綺麗な姿を見たがっていたからだ、ということもマウジュシュカ夫人は最近になって知った。

 サヘ家は他家に比べれば使用人には温情篤いほうだった。普段遠征に出ることが多い主人がそう願い、きつく申し渡していたからである。

 マウジュシュカ夫人も、できるだけそうしたかったのだ。


「どうしました母上。気分でも」

「ああウリュン。何でも無い。それより、宮中からは確かにもう出たと?」

「はい。我が友が警護も兼ねて共に来るという知らせが先ほど」

「確かあの、……長い名前の青年だったな」

「センの方です。サハヤは今日はシャンポンとマヌェの方についています」

「シャンポンのか?」

「サハヤはどちらかというとシャンポンと本の話ができるので。それにマヌェに対して気遣いができることがシャンポンには有り難い様です」

「気に入っているのか、シャンポンは」

「どうでしょう。どうあれ、シャンポンは今はマヌェのことで気持ちが一杯ですから……」

「そうだな」


 つい忘れそうになる。息子にとってはあの四姉妹はやはりきょうだいなのだ。そして息子はあの末娘より数段甘いのだ。


「奥様」


 たたた、と小走りに自分付きの召使いがやってくる。これとも長い付き合いだ、と彼女は思う。


「宮中からサボンさんが」

「判った。丁重にお迎えしなさい」



 リョセンに連れられてやってきたサボンは、一年以上離れていた自分の家に久しぶりに足を踏み入れた。

 念のため、頭からすっぽり「流行の」飾り編みベールをかぶっていた。中に入ってからは花嫁に失礼だろうと取る予定だった。

 しかし一緒に馬車に乗ってきたリョセンの視線がいつもより実にその大きな目でまじまじと強い。


「あの…… リョセン様、何か今日の私、おかしいですか?」

「おかし…… くない。ただ見慣れなくて」

「変だったら言って下さいね。自分では判らないし」

「いや変ではない。ただ化粧が珍しいし、何というか……」


 そういう彼自身も珍しい「くだけた礼装」だったので、サボンも何というか何処かくすぐったい気持ちで彼を眺めるのだった

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