第34話 保存食を作って欲しい
「解せぬ」
「そうでしょうか」
「お主は死ぬかもしれないことにわざわざ代わらせた相手をそうも思うのか?」
「いえ、私が言い出したのです」
「何故」
「私は彼女とずっと一緒に育ってきました。もし彼女が居なくなった時、私は彼女以上の主人を持てるとは思えません。私のこの性格では」
「……まあ…… な……」
さすがにそれはうなづけるところである。
「だとしたら、もし頼まれたならば代わろうとは思っておりました。私には無くすものは彼女という主人しかなかったのですから」
「確かに主人は無くしたな……」
そして今のアリカが主人となり、二人とも生き残った。
「あとこれは結果論ですが、彼女がこの『知識』を持って生き残れていたら、二代様のようになっていたかもしれません――― それは私には耐えがたいことです」
「そう思えるのか?」
「彼女の根は善良ですから、……相当なものを見ない振りをしないと、耐えられるものではないのではないですか?」
「まあ、な……」
ダリヤはうなづく。彼女等の得た「知識」の中には、吐き気を催す様な光景も山程ある。
それが何処の世界のいつのものかは判らないが、作り物ではないであろう何処かの歴史が。
「私なら耐えられます」
「先帝は目を逸らさなかったな。あれは我が孫ながらそこは強かった。だがカヤはそうではないな。そこは母親の弱さを引き継いでる」
「上手く逸らせたならそれで良いではないですか。太后様は下手なことにお使いになりそうになった。そこはまずいと思います」
「だからお主は彼奴の心をとりあえず折っておいたのか?」
「どうでしょう」
アリカは首を傾げた。
「折ったというより、上手い応答が見つからなかったから退場した、という様に見えましたが」
「あれにはそれで充分だ。自己卑下が根の部分で酷いくせに、妙にプライドが高い。だから普段我々の持つ言葉の力を行使するだけに、言葉に弱い」
成る程、とアリカはうなづいた。
「―――まあ、お主なら、当分は何とかできるだろう。少なくともお主はできないこととできることを区別して他者に振り分けることは上手そうだ」
「できないことをやって失敗するよりは」
「全くだ。ところで私には保存食を作ってくれる様に命じてもらえぬかな」
「保存食」
「言っていたろう? 豆を甘く煮潰したのを寒天で寄せるものだ」
わかりました、と晴れやかな口調でアリカは答えた。
*
「と言ってもまだ試作段階だよ!」
サボンから伝言をもらったタボーは呆れた様に両手を広げた。
「保存食にできるだけの煮詰め方がどの位なのか、まだそこまでやっていないけどねえ」
「何でももう今週中には出たいとか」
「突然な方だ!」
研究班の皆集合、とタボーは配膳方の女官に声を張り上げた。
この頃、普段の食事を作ることと並行して、皇后の「知識」から出る望みに応えられる様にする女官が、若い者の中から集められていた。
例えば飾り菓子に使う「飴がけ」などの調査に市場の露店に観察しに行ったのもこの若い者だった。
これという技術があったら、宮中の者という証明をした上で職人に対し教えを請う。どうしてもその場で判らない時には足を運ばせることもある。その交渉もしなくてはならない。
またその一方で、各地から集った女官から聞き取り調査をすることもある。心太から寒天に至る辺りでは、海岸沿いの出身の者をわざわざ故郷に派遣させたこともあった。
「豆にしても、どれがいいんですかね、あの方は」
「馬に乗る方だから、重さは大丈夫ということなんですが」
「みっしり、か」
そういうことだろうな、と伝えるサボンも思った。
サボン自身は、豆を煮詰めたものを漉して粒を無くしたものを、さっぱりと口に入れたら崩れてしまうくらいに固めたものが好きだった。
暑い時期、氷室から貴重な氷を出して削ったものに甘い蜜を掛けるのがかつては好きだった。だがあれは時には頭が痛くなる。そこまででなくとも、冷たい清水の中にしばらく容器を置いておけば美味しくいただけるこの菓子はよくまあ完成させることができたな、と口にできる都度思うのだった。
そして情報は隠さないでおくこと、というお達しにより、次第に市井でも心太や寒天を使う菓子が広がってきていた。海辺の藩候領ではあちこちからの注文が増えた、との声が上がっている。
それは豆に関しても同様だった。どちらかというと豆は主食、もしくは塩味系のスープに入れるものとしての使われ方が多かった。蒸したり煮たりして柔らかくするのは、調味料を作る時くらいだったという。
また、砂糖の需要も増えたため、寒冷地での砂糖大根、南方での砂糖黍も作られることが奨励されだした。
だが需要があるからと言って、一つの作物を作ることに集中しすぎるのは土にも生態系にも良くない。アリカは皇帝を通してその辺りを藩候達に通達させていた。
「基本は皆自分達の食べるものは自分達の領地で作る方がいいと思います」
皇帝はそれに対しては「そうだな」としか言わなかった。
「ま、ともかくあのお方の御出立までには詰めてみるよ。できるだけみっしりとだね」
「はい、みっしりと」
タボーとサボンはそう言って苦笑し合った。
*
そんな通達をした後、アリカの元に戻ろうとすると、女官長から呼び止められた。
「手紙が二通あるのだけど。皇后陛下のご実家から、陛下と、それと貴女宛」
「私にもですか」
「そう書いてあるわ」
ほら、とレレンネイは手紙の上書きを指す。
途端、サボンは受け取った封をすぐさま開けた。書き手の字に見覚えがあったのだ。
「女官長様」
「急ぎの用事?」
「……いえ、急ぎかどうか判らないのですが…… すぐ上の姉君がご結婚なさるとか」
手紙はマドリョンカからだった。
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