第20話 育ての母が来なかった理由

「……あれは最近来たかい」


 馬車の中でカイは窓の外を眺めながら、息子に問いかける。

 彼女の切り替えは早い。昔からそうだった。この「息子」を育てることにした時も、手放す時も、未練たらしい行動を自分が取るのは嫌だった。それは彼女の花街での育ちのせいかもしれないし、反面教師にした女のせいかもしれない。

 まあ何も、全く息子に会いたくない訳でもないし、男の子ができたというなら見てみたいという気はある。

 ただやはり、タイミングというものは何処にも必要なのだ。

 正直先はそう長いとは思えない。そして息子もまた、ようやく解き放たれた、という様な顔をしている。自分に甘えたいがための「来て欲しい」ではない様だ。

 だったらまあいい、と。

 だがやはり気がかりなのは。


「来るかも、とダリヤ様は仰有っていたよ」

「そうかい」


 あの女だけは厄介だ、とかつての友を思う。

 その昔彼女が出会ったイチヤは「親切な人のために尽くしたい」「好きなひとになかなか気持ちを打ち明けられない」「向こうから欲しいと言われて嬉しかった」という可愛らしい娘だったのだ。

 戦い方を先に見ていたので、何とまあ、と驚いたものである。

 十人衆の中で、自分も相当おかしな出ではあったが、さすがに花街では長く続かないことを知っていた。外見が整っていようが、結局は花街から出られないで終わる可能性も高い。だったら何かしらの出る手段を考えて全てを学んでおく。そして彼女は勝ったはずだった。

 ところが頼りにした国自体が無くなってしまった。まあそれも仕方がない。花街に居たままだったらもっと悪かったろう。

 腕はそれなりにある。生き抜く意欲もある。こだわりはない。

 ただその時、身重の友人は居たのだが。

 それに関しても、当時の彼女は生きる支えとしてそれを位置づけていた。厄介なことがあっても、誰かのため、と思えばそれなりに気を張っていける。

 だからこそ、その友人が生まれたばかりの自分の子を殺そうとしたのは本気で許せなかった。子殺しもそうだが、まるで災厄の根源の様に悪し様に罵ったのは我慢ができなかった。

 誰の子か、それは予想がついていた。カイと同志である法師のオウミに託していったあの男。イチヤが好きだった男。

 好きだったからこそ憎い。腹の子も憎い。判らないでもない。が、殺すこともないだろう、と。

 だからカイは彼女を追い出した。絶対にあれは生き延びる、と思った。ここに子供が生きているなら。憎いと思った男が居るなら。

 あれは絶対に復讐をすると思った。

 結果として、それは成功したのだろうか? カイには判らない。イチヤが望んでいたのは、本当に復讐だったのか。それともその名を借りただけの、ただ相手と殺し合いをしたかっただけなのか。

 いずれにせよ、自分の「息子」は無関係なところで使われてしまった。そして皇帝などという地位―――当人から言わせると、バケモノらしいが―――になってしまったという。

 息子は宿屋の倅として育てた。その様に育った。皇帝の器ではない。身体ではなく、気持ちが。

 だから絶対に帝都へ行くことは拒んだ。自分が行けば甘えてしまうと。それはまずいと。


「せめて自分の義務を果たしてからにしなさい」


 そう伝言したのだ。

 あきらめてからは、村の半分が自分の護衛になったことに、ずっと彼女は気付いていた。

 宿屋が決して傾かないのも、旅人がちゃんと自分のところに泊まってくれるせいだということも気付いていた。

 さすがにそこまではどうこう言えない。来る者は自分を旅人だと言うのだから。そこで必要以上に銭を落としていったならば、まあそれは宿にかければいいのだ。彼女はそう切り替えた。

 目が弱くなってからは、何かしようとするとその前に危険なものを取り除いてくれることも知っていた。

 何だかんだで同じ村の住人として、彼等は良くしてくれていたのだ。任務以上に、彼等は自分の店を好いてもくれた。

 中には元々住んでいた村人と結婚した者も居た。

 時には自分の仕事そのものを白状する者も居た。知らないふりをしておいた。

 しかし確かにもう今は年老い、息苦しい時もあるのだ。

 そこへ帝都から皇子が、皇太子が誕生したという知らせが来た。村全体で喜んだものだった。

 さすがに帝国あげての祝いに、酒や菓子が配られた。いや本当に良かったと涙ぐんで彼女の店で喜ぶ者も居た。

 カイはその時から、まあいずれは来るだろう、と思っていた。ただタイミングなのだ。


「で、お前の新しい嫁はどんなのだい?」

「若いけど肝の据わった娘だ」


 ほぉ、とカイはうなる。


「成る程。お前がそう言うなら、相当なものだね。ダリヤ様とはどうだい?」

「仲良さげの様子だよ。ダリヤ様が彼女を気に入った感じだ」

「で、あれは」

「そうなんだよ」


 彼は大きくため息をついた。


「大概の時は留守にしたり、用事を作ったりしていて会わずにいられたんだけど、今度ばかりはなあ……」

「新しい嫁は、どうにかかわしてくれるかね」

「かわしてくれるかどうかは判らない。だけど、あのひとよりは、皇后の『知識』を恐ろしく早く理解しようとしている。しかも俺よりずっとましな方向に」

「は。お前がその『知識』とやらを役立てたことがあるのかい?」


 皇帝は両手を挙げた。


「残念ながら。悪い方向に使わないでおこう、と思うのがせいぜいだよ。先帝陛下の様にこれでもかとばかりに活用することも、あのひとの様に嫌な方向に利用するのも俺は嫌だ。ただもう、普通に家庭を持って日々の仕事に汗かいていればいいだけだったんだけど。でもまあ、やっとサシャと毎日過ごすことができる様になった」

「お前もなかなかに残酷だね」

「何が」

「サシャ姫がお前の姿を見て何も思わないこと無いだろう?」

「こればかりは――― 俺の甘えだ。どうしようもなく」

「だからあたしゃ、お前の呼び出しに絶対応じなかったんだよ」

「知ってたよ」


 ふん、とカイはまた窓の外を向いた。

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