第13話 皇帝のちょっとした、だけど切実な我が儘①

「俺の我が儘なのだ」


 皇帝はそう言っていた。



「もう当時のことを知る者はそうそう居ない。生き残ってしまった者が勝ちだ」

「私はその顛末についてお聞きしても構わないのでしょうか」

「そなたの中にも記憶の一部は伝わっているかもしれない。だが他人の個人的な記憶というものは無意識に開かないということもあるからな。俺は俺でたまにはそう言った話もしておきたい。いずれ全てが過去のものになる」

「過去のものにするおつもりですか?」

「俺は好んでこの地位についた訳ではないからな。いつも代わってもらえるものなら代わってやる、と思っていた。そなたが来たことでようやく終わることができる目処がついた」


 その言葉の示す意味がアリカには判る。だがここでそれを形にしてはならない。それだけは判っていた。


「五十年がところ昔、宿屋の息子のところに奇妙な女がやってきた。その女は俺のお袋に対して、酷く馴れ馴れしかった。昔の知り合いだと言っていた。

 お袋は明るい美人だった。昔は桜の国で剣舞でならした女だった、そう本人以外から聞いたことがある。

 本人はそんな気配は全く見せなかった。確かに動きはきびきびとしていたが、俺の知っている彼女は既に日々の働きとそれに応じた食事で誰もが安心できる様なたっぷりとした身体になっていたからな。

 ところがその時訪れた女は、お袋よりずっと若かった。若く見えただけだがな。

 お袋は俺の生まれる前に桜の国を脱出してきたらしいが、その時の知り合いだという。嘘だと思った。

 だが嘘じゃなかった。当然だ。俺を産んだ女だったからだ。

 お袋から俺は聞き出した。その女は孕んだことでしばらく正気を失い、お袋が世話をしていたということだ。そして産んだ俺をすぐさま突き殺そうとした」


 ひっ、とアリカの喉は鋭く息を吸い込んだ。


「お袋は女を叩きだした。自分の子供を殺す様な奴はもう友でも何でもない、と。子供は自分が育てるから決して顔を見せるな、そう言って本気で叩きだしたらしい。

 何せ子を産んだ直後でもその女はまるで平気だったからな。

 そう。俺を孕んだことで、その女は『皇后』になってしまっていた訳だ。

 同時にその時、ずっと味方の振りをして自分を孕ませ、誰よりも敬愛する主君と国を滅ぼしてしまった復讐すべき男の正体が分かってしまった」

「風夏太后さま……」

「先帝は遺言であの女に天下御免の称号を与えたから、今も何処かで勝手に暮らしているだろう。

 ただお袋のところに現れた時は、相当物騒なことを考えていた。何せ桜の国の間者の生き残りをとりまとめた集団と通じていたからな」

「何を為そうとしていたのですか?」

「俺を帝都に連れだそうとしたのがあの女とそいつ等だ。その女が母親と言うなら、確かに一度は父親という奴を見てみたいと思った。宿屋の息子としては、話に聞く帝都も見てみたいと思うのもごくありふれた希望だ。だが奴等の狙いはそうではなかった。桜の民の血を引く俺を皇帝として認めさせるために連れて行きたかったということだ」

「でも」


 アリカは話を頭の中で素早く順序立てる。


「結果として、彼等の目論見は成功した、ということになるのではないですか?」

「半分半分というところだ」


 ふい、と皇帝は立ち上がり、天井に顔を向ける。


「居るのだろう? 今日は誰の番だ」

「……シュミドリがここに」

「下りて来い」


 は、と言う声と共に、屋根からするりと二つの影が皇帝の脇に下りてきて頭を垂れていた。


「陛下、これは」

「今のところ、俺の直属だ。『残桜衆ざんおうしゅう』と呼んでいる」


 個々の名らしきものも、聞き慣れぬ呼び名も、明らかにいつも使っている言葉とは別物なのに、アリカの中で意味は通じた。


「桜の国の残党、と考えても宜しいのですか?」

「今は俺の――― 皇帝の直属の部下ということとなっている。だが、俺が消えた後には、そなたにやろう」

「え」

「そのうち生まれてくる世継ぎにやってもいい。そなたがそのまま皇后となる女に受け継がせてもいい。ともかく彼等はその様に生きてきて、その様にしか生きる術を知らない。あの女は俺に彼等を押しつけて、自分は勝手にまた飛び出していったのだからな」

「宜しいのですか」

「自由にすればいい、と俺は言った。彼等の件もそのうちおいおい教えよう。だがとりあえずは挨拶だけはしておけ。朱」


 顔を上げたのは、闇に溶け込みそうな装束に目の部分だけが鋭く開いた男の様だった。


「朱は残桜衆の筆頭。我々は桜の血を引く陛下にお仕えすることを今は生業としております。もし陛下が貴女様に我々をお譲りになるということなら、我々は貴女にまた忠誠を誓います」


 なるほど、とアリカは思った。


「了解致しました。陛下が仰有る通りに。ただ一つ聞きたく思います」

「何だ」

「太后様は、つまりは復讐を為した、ということで宜しいのでしょうか」


 控えている二人の方から、アリカの耳に生唾を飲む音が聞こえてきた。


「率直だな」

「知りたいことは率直に聞くのが最も早道ではないでしょうか」

「そうだ。彼等は俺を立てるため、だがあの女にとってはそれは結果に過ぎなかった。あの女はただ、復讐を成し遂げたかっただけだった。その手で先帝を討ちたかったのだ」

「それが可能だったのですか?」

「可能な状況があった」

「可能な状況」


 ―――では、とその言葉を機に控えていた二人は再び姿を消した。


「当時、帝都において帝国統一を祝した大分芸大会が行われた」

「それは…… まるで逆賊を呼び込む様なものではないですか」

「もしその様な動きがあれば、一網打尽にもできる。父は武帝とも呼ばれていた。その辺りの算段はできていたのだろう。あの女の目論見も――― それをまた利用したとも言えるかな」


 皇帝は軽く目を伏せた。


「いや、言ってしまえば全てが先帝の手のひらの上だったのかもしれない。桜を滅ぼすことも、あの女に俺を産ませたことも、そして復讐に駆り立てることも。そうしないと、世代交代が起きないのが、この帝国なのだから」


 つまりは、今この様に自分に自由にしろ、と言うのも世代交代の一環なのか。アリカは思う。だがそれはここでは口に出さない。


「俺は当初は桜の残党に連れられ育った地を出た。だが途中から目的を知り、一人で帝都に向かった。大武芸大会に出れば、皇帝の顔くらいは拝めるかと思ったからな」

「お会いしたいとは」

「そこまで思ってはいなかった。俺にとって、父親というのはお袋の話の中の、死んだ男だったからな。それはそれで間違っていない。お袋達の同僚の顔をして、近衛の勇士として居ながら裏切った男は、その時点でお袋の中では死んだに等しかったのだろうよ」


 そうですか、とアリカは答えるしかなかった。


「ただその道中で、初めて帝都に行く若い姫と知り合いになってしまった」

「もしや」

「そう、その時十六になってようやく帝都に入ることを許された、当時のサシャ――― ヤンサシャフェイ公主だ」

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