第5話 縫製方下級女官カリョン、器用な手を見込まれる
「え?! 何で? 何で?」
縫製方下級女官クドゥサベリ・カリョーキン・トイドエは皇后陛下のお召し、という言葉にすぐには反応できなかった。十呼吸ほど口をぽかんと空けた後、かっと目を見開き、驚きの言葉を一気にまくしたてた。
「いや、ともかく呼んで欲しい、とのご所望なのだ。実際、あの形の飾り紐に関してはそなたが最も詳しいし上手く作ることができる。あの方が何をお考えになっておられるのかは判らぬが、ともかくお目にかかって来るが良い」
自分はまとめなくてはならないものがある、と別の部下を呼び寄せた。
「え、ではあの、筆頭様、私一人で行かなくてはならないのですか!?」
「迎えをお寄越しになった。そちらについて行くがいい」
確かに、縫製方の作業場の外に上級女官の姿があった。
「女君の側仕えをしております。メ・サボナンチュ・ククシュクです。私と一緒に付いてきてくれますか?」
微笑むサボンの表情に、カリョーキンは断ることができないと悟った。この新入りの上級女官についても、彼女達若い下級女官は噂の種にしていたのだ。
*
縫製方作業場から現在アリカが住む館までは庭園を抜け、多少の距離がある。女君は既に皇后の地位は与えられているが、後宮の中心である皇后宮には皇子が生まれた後に移ることが決まっていた。
「その際にはやはり衣装が必要だと言われまして」
「あ、あの……」
庭園を抜けながらサボンは何気なくそんなことをカリョーキンに言う。
「はい何でしょう」
「あの、サボナンチュ様」
「サボンと呼んで頂戴な。私も貴女をカリョンと呼んでいいかしら」
「そ、それは無論構いませんが」
「それではカリョン、女君は貴女のその器用な手を欲しがっておられるのよ」
「器用な手?」
「ええ。女君は何かと知識が豊富で、お試しになりたいことは沢山あるのだけど、それに手がついていかないのだとご自分に腹が立つとのことで」
はて何のことやら。
何もサボンは嘘は言っている訳ではないのだが、そもそも皇后アリカケシュの生活など知らない下級女官には彼女の言葉の意味などさっぱり判らない。
「一応私にもお尋ねになったのだけど、私も決して器用ではなくて」
「いや、その」
何か根本的なところが抜けている様な気がする。だがそんなカリョンの戸惑いに気付いてか気付かずか、サボンは庭園の花をいちいち指しては、これは何とあれは何とカリョンに問いかけるのだった。
「サボン様は花にはお詳しくない?」
「好きではあるんだけど」
彼女はそう言って苦笑する。
「アリカ様は一度花の姿と名前が一致したら絶対にお忘れにならないのよ」
「絶対に?」
「少なくとも、私が見た限りでは。書庫の本の中でも、ともかく草木や生き物に関しては、詳細な絵の付いたものを探し回っていらしたし」
「そういうものがお好きなのですか?」
「好き……」
サボンは軽く足を止めて考え込む。
「寝食忘れて夢中になるのが好き、というならきっとお好きなのだわ。あと帝国内で使われている言葉のこととか」
「言葉?」
「カリョンは何処の生まれ?」
「あ、東北河管区の街です。」
「少し遠い所から来たのね」
帝国には大河と呼ばれるものが数本ある。
定義としては、東の海から西の砂漠近くまで支流込みで続くものである。
その中で最も北に位置するのが東北河だった。土地の者は別の名で呼ぶが、公式にはその名を使用している。
「あの編み紐の模様は、そちらのものなのかしら」
さあ来た、とカリョンはやや身構えた。
「いえ…… 編み方は母に教わったものなのですが、色合わせとかは私が考えたものです。教わったものはだいたい一つの色で作るものだったのですが、それではつまらないな、と」
「凄い」
短いが、聞いた側がはっと息を呑む様な響きだった。
「羨ましいわ……」
「ですがサボン様、上級の方は私どもには判らない様々な知識をご存知で」
「これは女君も仰有っていたけど」
ふう、とサボンはため息をついた。
「判っているのにそれに身体がついていかない、っていうのは酷くもどかしいことなのよ」
つまり、そのもどかしい部分を自分にさせようというのだろうか? いやそれは無い。さすがにこんな若輩の下級女官にそんなことは。
言葉少なになった二人の横を声の良い鳥がすぅっと横切っていった。
「いい声ね」
「はい」
こういう時、当たり障りのない言葉が吐ける様に、この道を選んだのだろうか。ふとカリョンは思った。
*
そして対面した女君、はその時酷い格好をしていた。起きたままではないか。
「まだ着替えられてないのですか……」
「今日は特に誰かが来る予定も無かったし、構わないじゃないかと思ってたんですよ」
「そう言って、今こうやって私が呼んで来た相手にはどうなさるおつもりですか」
「そう―――、そうでした!」
顔をしゃんと上げる。
女君の短く切った髪が揺れた。長く伸ばした部分は編んで後ろに回していた。あ、癖がついてしまう、と反射的にカリョンは思ってしまった。
床で大きな図版を広げて眺めているということに気付いたのは、その後だった。
「どうしますか? 彼女を立たせたままで良いのですか?」
「そうですね、話がしづらいから」
座ってくれ、と手で示す。何処に? と動揺しているうちに、サボンがアリカに敷かせているものよりはさすがにあっさりとしたものを二つ出してきた。一つを自分に敷き、もう一つに座る様にとうながす。
その間にアリカは横に置いていた紙の束から一枚取り出し、幾つかの形をその上に描いた。
楕円。楕円のつながり。その上に何かしら線が乗っかって。×もある。
「何だと思います?」
直接アリカはカリョンに問いかけた。
「え? ……いえ、何のことやら」
すると次に、また横に置かれていた箱から、糸を幾重にも重ねて巻いた球と、先が鉤状に曲がった金属の棒を取り出した。
「この間、実家の父上に頼んで作ってもらったんです。思っていたのとはやや違う形なんですが……」
そう言いながら一つ結び目を作り、更に引っかけた糸で次々と輪を繋げていく。
「この輪がこれ」
そう言って、紙の上の楕円を指した。
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